
ジャーナリストのカメラに失った手足や、亡くした子供の写真を突き出すことでしかイラクに暮らす普通の人々はその現状をアピールできないのか。 政府が政策的親米姿勢を貫くこの国に暮らしていると、僕らは遠い彼の地の普通の風景や本当の苦境はテレビなんかでは観ることはできなくて、週1回1,800円のレイトショーにわざわざ足を運ばないと観れないんですね。まばたきもできないほど映像に釘付けになってしまいました。 開戦前のイラクの日常の営みが非常に穏やかだったのが印象的でした。
僕はアメリカの文化や音楽やファッションや風景が大好きだけれども、アメリカ人じゃないからこそ冷静に公平に思考する義務と特権があると思ってます。自分がいろんな意味でオルタナティヴだと思っている人こそいろいろ調べたりわざわざお金を払ったりしてでもメインストリームが伝えない映像や声に対峙して然るべきではないかと思いました。
100分の上映が終わって、僕を含めて10人の場内でうつむきがちなだれひとりとして声を出せなかった、というのがこのドキュメンタリーの内容を如実に示していたのではないでしょうか。
「ヒバクシャ」という映画を観たときにも同じ感覚を味わいましたが、やっぱり普通に暮らしてると嫌になるくらい知らないことが多すぎます。知らなかったことを知って、さあそれでなにかできるのか、となると言葉ではうまく言えないけれど、知らなかったことを知ったうえでいろんなことを考えたり友だちと意見を交わすだけでも個人レベルでの前向きな行動なんではないかと、真夜中アメリカンスタイルのダイナーでお肉を食べながら感じたのです。