田舎のばあちゃん

相変わらず僕は東京で暮らしているのだけども、昨日はお盆ということもあって先祖のお墓のある田舎のばあちゃんの住所をなんとなく検索窓に書きこんでみたら
こんなページを見つけて驚いた。紹介されているのはうちの母の姉、だから僕のおばちゃん、舞台となる古民家は僕が子供の頃に服を泥だらけにして遊びまわったおばあちゃんの家なのだ。ギャラリーのようなことをしているという話を何となく聞いていたのだが「ギャラリー」という洒落た響きと記憶の風景が不似合いでピンとこなかったところにやっと符号が一致した。
それでなんとなく母親に電話してみたらタイミングよく祖母がホームから一時帰宅していたので久しぶりに話をすることができた。「元気ね?」と言うと「元気ね?」と向こうも尋ねてくる。言葉は少し弱々しくなったがもう89歳になるというから意志の疎通ができることを幸せに思わないといけない。「足も腰も痛くてどうもこうもならんたい」とばあちゃんが言い、受話器の向こうにいるうちの母や親戚たちが「90もなろうとしてるのに当たり前たい」と笑っている。自然に涙がこぼれてきてびっくりして僕も変なタイミングで少し笑った。
89歳ということはおばあちゃんは1918年の生まれで、太平洋戦争が始まるときに23歳、終戦を27歳で迎えその間に最初の夫を戦地でなくしている。うちの母親を産んだときは31歳で僕が産まれたときは55歳。僕の記憶に鮮明に残る快活な姿というのは60代から70代の頃のばあちゃんだ。僕は根っからのおばあちゃんっ子で産後入院しがちだった母のかわりにひらがなもおばあちゃんに教わってる。おばあちゃんを嫌いになったことが一度もない。今になって強く思うのは、残された時間でもっと話を聞きたい、大人の言葉で今いろんなことを話したい、ということだ。
今日で62回目の終戦の日を迎える。ニュースでもたくさん関連映像が流れているのを、多分僕が知ってるよりもっと小さく丸くしぼんだばあちゃんがどんな思いで眺めて、それについて何かを言ったりするのだろうか。東京では逃げ場がないほどの暑さが何日も続いていて身体を疲労させるけれども、僕の倍以上の歴史にまみれてきたばあちゃんの健康と、繰り返さない過ちと願い事のいくつかを妙にスッキリした頭で今祈って、そして考えている。
Posted by monolog at 10:45│
Comments(8)│
TrackBack(0) │
この記事へのトラックバックURL
山田さんのおばさん、どこか山田さんの面影がある気がします。
記事に写っているおうちが山田さんのおばあちゃんのお家で、
おばさんが一緒に遊んだ親戚の子供が山田さんなんですね。
なんだかつられてわたしも泣きそうになりました。
母方の祖母が亡くなった日、私は何となく祖母に会わなきゃいけないような気になり、近々時間を取ると母に話して仕事に行きました。今思えば祖母は私に最後のチャンスを知らせてくれていたのかも。
祖母は80過ぎても歩いて2キロ近くあるスーパーまで一人でスタスタ買い物に行っちゃうような人でした。ホントに元気で笑うとチャーミングで猫が好きで。
山田さんおばあさんに会いに行ってたくさん話しをして下さいね
今日感じたことが、思いが、きっと全てに繋がる気がします。
私はばあちゃんに会いたくなると1人でふらりとお墓参りに行きます。時間をかけて、あれやこれやをやり近況報告を長々を淡々とします。聞いてもらった安心感からでしょうか、帰りの足取りは軽くなっています。もうすぐ、ばあちゃんに会いにいく日が近づいて来ています。「焼きタケノコを食べる会」参加したいです。いい故郷ですね。ティピもステキでカワイイですね。
おばあちゃん、小さい山田さんが可愛くてしょうがなかったんじゃないでしょうか(^^)
日常に追われて紛れてしまうけど、離れて暮らす人を想う時間を大切にしたいです。
自分の経験とか書き出すと長くなるので敢えて書きませんが、別に理由なんて必要ないですよね。
山田さん、またお時間を作っておばあちゃんに会いに行ってください。
祖父母が数年前に亡くなってしましましたが、思い出す度に後悔します。
なぜあの時、気の利いた事を言ってあげられなかったんだろう?あの時、ちゃんとお礼を言ったか?励ましてあげたか?等々…
自分が意識しているより多く、彼らの残像が心に残っているものです。
30代の我々でさえ、日々考えることが行き来するのだから、90近い人の頭の中は、どんな宇宙が広がっているのかと思います。
私の母が自分の子を叩くところを見て、「大事な孫になんて事をするんだ」と言ってくれたりしたそうです。
自分が受けた恩を同等に返すことは私には出来ませんでしたが、山田さんにはまだチャンスがあります。
わたしのおばあちゃんは京都の人で、夏休みにおばあちゃんちに行くと、8月16日の大文字の日には、わたしの手を力強く握って、京都の町をあちこち走り回りながら五山の送り火を見せてくれようとしたことを思い出します。走ったくらいでは五山全部を見ることは不可能なのですが。
今おばあちゃんは生きていますが、ぼけてしまってすべて忘れてしまって、何を話したらいいのかわかりませんが、皆さんがお墓の前でお話されていることなんかを読んでいて、わからなくても生きてるうちに一生懸命話をしてみようと思いました。
私もこれを見てとっても祖母に会いたくなったのですが、二年程会えない日々がつづいてます。
しかし先日帰省した父の話によると、相当弱ってしまっているとの話を聞きました。祖母は御年94歳。早く会いに行きたいです。