音楽と生活


こんな涼しい季節があることを忘れていた。だんだん体の調子が良くなっていく感じがします。
夜、知人と会食。音楽の話など。ビッグサイズの飲み物を頼んだときに予想より大きいグラスが運ばれてくると妙に恥ずかしくてまわりを気にしてしまう。
ある音楽評論家の方の文章を読んでいて、「音楽を聴くということは個人的で孤独な行為であって、だからこそ同じような趣味の人と出会うとこの上なく嬉しい」というくだりに忘れていた感情を思い出した。
中学生のころCDの値段は3200円と高価だったから、他の誰かが持ってるCDは買わないという基本姿勢があって、買ったCDがあたりかはずれかというのももちろんだがそのCDを聴き込んで好きになれるかなれないかというクリアすべきハードルがあった。中1で背伸びをしてトーキングヘッズをジャケ買いした友達はその後ニューウェーブ狂いになったし、初めて買った洋楽のCDがThe Hootersというアメリカのバンドだった僕はやっぱりアメリカの音楽が好きになった。ここまで音楽の楽しみを享受できるようになれたのは3200円という高い授業料があったからかもしれない、と1500円くらいで新譜が買える今、あらためて思う。
Posted by monolog at 12:52│
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雨が降り出しても蝉は去り行く夏を惜しむように最後まで鳴いている。私も今年の夏にありがとうございました、を込めて今日1日を大切に過ごそうと思います。
大切な言葉とそれをなぞるような音たちがあるのならこちら側はそれに心を委ねればいい。そうしていることがなぜか幸せに繋がる。そう感じています。
確かにすねかじりにはおいそれと買える価格ではなかったですねー。
「TVで聞けるものは買わない」というルールのもと選定してました。これは今でもそうかなー。
最近昔持ってたレコードのリイシュを買い集めてます。レコードの音が好きだったけどCDはコンパクトで助かりますね。
何もかも飛び越えて通じ合ってしまうことがあります。相手のことを知る順序を健康的に間違えているにもかかわらず、とても嬉しく思ってしまいます。その瞬間には何かがある気がします。