2007年11月21日

作家を信用するな、という話

ichigaya11月曜日、夜になって吉祥寺曼荼羅にキッチンのライブを観にいった。吉祥寺界隈に長いこと住んでいるが曼荼羅には初めて入った。中央線っぽいというか、雰囲気のある穴ぐらみたいなしっとり気持ちのいいハコだ。

キッチンというのは男女2人組の良い歌を聴かせるグループでKKBでお馴染みの安宅くんがかつて在籍したバンドで最新のアルバムではイトケンさんがドラムを叩いて(この日もイトケンさんサポートDr.)上野くんがディレクションしている。近所なので散歩がてら、というつもりで聴きにいったのですが久しぶりに生の音楽を聴いて感動した。良い言葉がたくさんあってライブ中に言葉のイメージがバババっと湧いたりして2回くらいメモを取ったりしてしまった。終演後外へ出ると雨が降っていたが観にきてよかったなーと思いました。



火曜日、昼から四谷、市ヶ谷。森達也著「ぼくの歌・みんなの歌」という本がとても面白く、「ああ、昔は英語の辞書を片手に死に物狂いで歌詞の意味を知ろうと頑張ってたなー」と10代の頃を思い出す。「Yesterday Once More」と「Hotel California」、「Born in the U.S.A.」に隠された時代背景と歌詞のリンクを若者に伝授。もはや定説となっている歌詞に含まれるメタファー(例えば「Hotel California」における“あいにくうちでは1969年以来お酒(魂)はお出ししていません”とか)は知らないよりは知っていたほうが音楽が面白く聞こえる。

歌詞の言葉には曖昧さや不可解さがあるほうがいい、と僕は思っていて、例えば僕が書いた「それを運命と受け止められるかな」という曲は「それを運命として、嗚呼、僕は受け止めたいと思ってるけどできるかなあ」という意味なのか、「いや、それを運命だなんて僕は簡単受け止めたりしないぜ」という意思が含まれているのか、その答えは歌詞の中には“ない”と思うのだけど、それが作者である僕のなかに明確な答えとして存在するかというとそんなことはなくて、そこに含まれる言外の意味は歌うたびに不安定にころころ心変わりする。かといってそういうふうにウソぶくことで「それを運命だなんて簡単に受け止めたりしないぜ」という熱い思いを僕が照れ隠ししているのかもしれないわけで、本当の意味とか正解なんてものはあってないようなものだ。いわゆるSKN(=そんなの関係ねえ)ということだ、と僕は今日考えた。意味は聴く人が決めるのだ。

Posted by monolog at 02:44│Comments(3)TrackBack(0)

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この記事へのコメント
作品は作者の手を離れた途端に飛び立ってゆく、みたいなことでしょうか。。
山田さんのライブでの話を聴き続けてきたから、今日の話は、長年かけて自然に理解できるようになった、という感じです。
鳴らされる時々で気持ちや考えも流れていますもんね。
人が奏でる音楽、それくらい振れ幅があった方が懐も深いってもんです。
そういう意味でも、一つ一つのライブがいつも楽しみなんです。「今」を再認識というか。
Posted by ますだ at 2007年11月21日 03:10
作品がすべてであって、その意味など無記号。作品に向かうことは、無重力の中で私たちの魂がとる姿勢、のように思えます。
ところにより言葉が固くなってしまいました。
今日は眩しく晴れて富士の白帽子が遠くにあり気持ちいい眺めです。白いニット帽子が良くお似合いです。
Posted by ぐり at 2007年11月21日 11:13
こんばんは。
いろんな捉え方ができるというのは面白いけれど難しいなあ、と思います。

私は大学で日本文学のゼミに入っていたのですが、「人によっていろんな捉え方がある」という理屈を楯に、書いてある事実を無視して思い込みで作品を解釈する人も中にはいたし、うっかりすると自分も思い込みで突っ走りそうになりました。

曲の歌詞も、変な先入観を持たずになるべく素直な気持ちで聞きたいと思っているのですが、そんな単純なことが意外と難しいです。





Posted by あゆみ at 2007年11月24日 02:27