あしあとを残して猫は

昨日は代官山の“晴れたら空に豆まいて”というライブハウスで打ち合わせ(春の「夜の科学」を代官山でやってみようかと思っている)、その後同じく代官山で映像制作チーム“ナナ色”の打ち合わせで美味しい博多水炊きをいただく。帰宅後録画しておいたアカデミー賞を眺めて樹木希林さんの受賞スピーチに感動。
明けて寒い土曜日、猫とホットカーペットで並んで寝そべりながら町田康
「猫のあしあと」を泣きながら読み終える。本を読んで泣くことはそうあることではないのですが、2004年の町田康
「猫にかまけて」で泣いて2005年リリー・フランキー
「東京タワー・オカンとボクと、時々、オトン」で泣いて、それ以来の涙で文字が読めなくなるような読書。猫をなでながら読んだからよけい切ない。
猫を飼っているのではなく猫と暮らしているのであって、猫に癒して欲しいから一緒にいるのではないのです。猫の小さな命に対して最後まで献身的な著者の姿と文章にため息がでました。
Posted by monolog at 18:11│
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猫を飼っているのではなく猫と暮らしているのであって、猫に癒して欲しいから一緒にいるのではないのです。
この言葉に感動しました。
私もそういうふうにおもわなきゃいけないのかなぁとか
考えてしまいました。
猫の微妙なあの距離の保ち方が私は大好きです。
なぜ好きなんだろう、と考えてみました。
すると心は、なぜ理由が必要なのか、と言っていました。
好きなものは好きなんですね。それでいいし、それがいいんですね。