
リハーサルを眺めながら僕は初めて「ライダー」を聴いて心が震えたのはいつだっただろうと記憶を遡っていた。10年以上も前のことだ。デビューして初めてヒックスヴィルに接したのは2000年の『cobblestone』のツアーで行った福岡のライブ後、同じく福岡のイベントで同じホテルに泊まっていた彼らの打ち上げにひとりもぐりこんだときだったと思う。しこたま飲んで小沢健二とフィッシュマンズについて熱く語って朝方一緒にホテルまでタクシーで同乗させてもらったことを憶えている(次の朝すごい寝坊をした)。
その後、フィッシュマンズ関連のイベントで僕は木暮さんと「ひこうき」をやったし、『mono』の後の頃のソロを中森さんに手伝ってもらっていたし(今お世話になっている車屋さんも中森さんが紹介してくれた)「そばにあるすべて」の優しいコーラスは真城さんだ。高円寺で三人と一緒に演奏した「いちょう並木のセレナーデ」と「愛し愛されて生きるのさ」は至福の時間だった。自分のキャリアを振り返るとヒックスヴィル印がいっぱい刻まれているなーと昔と変わらず胸を躍らせる「ライダー」を聴きながら僕は思った。
ゲストで出演のカーネーションの直枝さんにも緊張しながら挨拶を。『Edo River』というアルバムを大学時代にたくさん聴いた。「本も読みました!」とライブのフライヤーを渡しながら“山田稔明 with kickingbirds”の名前の由来を「ニール・ヤング with クレイジーホースにならってインディアンの酋長の名前から取ったんです」と伝えると「最高じゃない」とほめてくれた直枝さんは偶然にもインディアンの横顔モチーフのトレーナーを着ていたのだ。