2008年06月11日

見渡すかぎりの荒野でナンシー関ならこう言うさ

梅雨の谷間、ふらふらと出かけて渋谷で遅めのランチ。

パルコに「ナンシー関 大ハンコ展」を見にいった。5000個を越える消しゴムハンコ展示に度肝を抜かれました。作業場が再現されていたりゆかりのある文化人たちの真心のこもった回顧メッセージがあったりコラム記事パネルがあったり、入場料たった300円で圧倒的な質量、想像以上の大回顧展でした。百聞は一見にしかず、興味がある人はぜひ行ってみてください。

ブログが流行する前に逝ってしまった(2002年6月12日に逝去)ナンシー関さんがもし今の時代に生きていたらテレビはどうなっていただろうか。ここ最近のどうしようもない世の中のあれこれと、それに付随するメディアの流れに対してどのような一言を添えた消しゴム版画を作るのだろうか。そういうことを平日にも関わらずたくさんの観覧客全員が思っていただろうな。

誰もがそれぞれ思ったことを思いのままに推敲せずにリアルタイムに発言して、時に無責任に放り出してしまうような時代だからこそ、今はいろんな思いを言葉にする前にもっと思考を重ねていたいと思う。

夕暮れの井の頭線で角田光代「太陽と毒ぐも」読了。

pastafacenancy2nancy1


Posted by monolog at 21:59│Comments(5)TrackBack(0)

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この記事へのコメント
あっ!笑っている!カワイイ。
大好きな街は変わらない顔で迎えてくれた。散歩はたっぷりとした時間に守られながら陽が傾くまで続き、表通り裏通り。行列に並ぶ人並ばない人、公園の空気、噎せかえるような緑、手をかざしたくなるような光、ハッとする一瞬、水面を飛び越え音と音とが挨拶をしていた午後。
井の頭線から眺めた紫陽花は「暑さなんてへっちゃらさっ!」と言っているみたいなキレイさを見せてくれました。
Posted by ぐり at 2008年06月12日 02:20
今回の事件で改めてブログの怖さを思いました。
本来ならば隠しておきたい内なるものをブログとして活字化することで、身勝手な感情をも社会性を得た気になってはいやしないか。
今一度我を見つめてみなければ、とここ数日反省しきり。

ナンシー関って女性だったんだと今頃知って陳謝。
Posted by のら at 2008年06月12日 04:46
ナンシーさんのチラシ、日曜に代官山の「かまわぬ」でみかけました。
何となく思い出して、数日前からリルケの「マルテの手記」を読んでいます。
街と人、自分をいままでの価値観はとりあえずどこかに置いて、改めて肯定的に感じてみたいなと思ったのかも。
それとテレビにも雑誌にも新聞にも、広告にも、見てもいいけどもう何にも踊らされたくない、そう改めて思ったりして、なんだか改まってばかりいる数日です。
Posted by ますだ at 2008年06月12日 23:12
わ〜私も行こうと思っていました。
明日、パルコに寄ってみようかな?
お皿のお顔がかわいい!
Posted by さちこ at 2008年06月12日 23:37
かえすがえすも惜しい人を亡くしました。
Posted by コブギ at 2008年06月15日 15:16