
武蔵野に長いこと住んでいるが今年初めて禅林寺という太宰が眠るお寺に行ってきた。目を見張るほどの混雑はなく、しかしひっきりなしに人が入れ替わり手を合わせる。僕も手を合わせてきました。
墓石に刻まれた名前のくぼみに桜桃にちなんで備えられたサクランボが詰められた赤い色が鮮やかだった。お年を召した方から若者まで幅広い世代がいてささやく声が聞こえる。「太宰はキャメルの煙草が好きだったそうだ」とか「ゴールデンバットもだよ」とか。津軽弁でしゃべる声も聞こえてきて耳をそばだててみる。
晩年の仕事部屋や行きつけの料亭の跡を見て、今年の春に三鷹駅の南に完成した太宰治文学サロンも初めて覗いてみたがここも大賑わい。未完の遺作「グッドバイ」の原稿、読みやすいクセのない文字だった。
曇り空の下、自転車で玉川上水沿いを走るとそこにもガイドさんの案内を受けながら文学散歩をする太宰ファンがたくさん集っていて、僕は何回か立ち止まって話を立ち聞きしたり走り心地のいい道(風の散歩道と名付けられている)を行き来したりしてなかなか暮れない午後の時間を眺めました。
大学時代、文学の授業中によくぼんやりと太宰とサリンジャーとケルアックの共通点を考えあぐねていたことを思い出す。小説を書くためだけに生き急いだ作家の魂みたいなものをじんわりと感じながら帰ってきて新しい歌を書き始めました。


