
僕が生まれて病気がちになった母親の調子が悪いときずっと僕の面倒を見ていたのはばあちゃんだったから頼り甲斐のある力強い姿ばかりが印象深く、晩年の小さく丸くなって寝たきりのばあちゃんを見るたびに悲しかった。
生前には見たことがなかった口紅をぬった顔でもう二度と目が覚めないばあちゃんは女の子の節句の日に天に召されたので、多分毎年3月3日にはばあちゃんのことを思い出すのだろうな。
佐賀の山奥のばあちゃんの家あたりは今もだいたい同じ景色で街の開発とは無縁の場所にあり(写真の風景がそれだ)、故郷に帰ると必ず立ち寄るX軸とY軸の交点0のような場所になった。春の福岡のライブの折にお墓参りをしようと思う。
ばあちゃんはサリンジャーとマンデラと同い年だった。サリンジャーも去年亡くなったがマンデラはまだ生きている。僕はばあちゃんより50余年遅れて人生を歩いているということになる。