何も手につかなくてどうしようかと思ったときに掃除をするというのが自分には一番しっくりきて、今日もキッチンまわりと居間を徹底的に片付けていたら夜になっていて、そういえば18時20分から計画停電だと思ったらもうすでに18時半を回っていたから今日も停電回避か、と思った途端に電気が全部バッと消えた。窓の外も真っ暗になった。
MacBookのディスプレイだけはかろうじて点灯していたけど、急な暗転で何も見えなくなったときに思い出したのは去年の小沢健二「ひふみよ」公演のオープニングの風景だった。iPhoneの光でライターとキャンドル(転倒しない安全なやつです)を探して灯りを。ある意味いま最も役立つガジェット、携帯ラジオをつけてみてニュースを聴いて、しばらくして消した。
掃除をしたばかりの部屋だからほのかな灯りで雰囲気があって、思い立って、僕は久しぶりにギターを弾いて歌ってました、自分の歌を。そしたらとても心が落ち着いてきて「ああ、次のライブでこれ歌おう、あれも歌おう」といろんな考えがわいてきた。遠い昔に書いた歌もこのときのために書いたのではないかといううようなフレーズあったりして過去の自分にハッとさせられる。
停電は2時間ほどでしたがとても暗くて長くて寒かったが、被災されて今もなおこの比にならない苦渋の暮らしをされている方々を思うと心苦しかった。いい話を聞いても悪い話を聞いても一日のなかで何度も涙が出るし、原発のことも気が気でならない。こんなふうになるなんて思いもしなかったが、こんななかでもどうにか頑張って日々を更新していかないといけないのだな。
地震が起きた金曜日の夜、全然眠れなくて明け方まで僕は書くべき返事のハガキを書いてそのまま朝になってうちから一番近いポストに投函したのだけど、それはなんだか心のバランスを保つための祈りのような行為でした。
福岡のcafe tecoから電話があり、静岡のサリーズガーデンとも話をし、そしてさっきまで恵比寿天窓switchのスタッフと打ち合わせをしてました。皆さん思うことがたくさんあり、僕もここ数日いろんなことをずっと考えています。
今日高田漣さんのコラム(URL)を読んで、「ああそうだ、この曲は祈りの歌だ」と思った歌、2005年末にイトケンさんとfishing with john五十嵐くんと3人で録音した高田渡さんの「鉱夫の祈り」のカバーを、皆さんのちょっとした息抜きのおともに聴いてもらえたら嬉しいです。