2011年03月16日

停電の夜に

写真何も手につかなくてどうしようかと思ったときに掃除をするというのが自分には一番しっくりきて、今日もキッチンまわりと居間を徹底的に片付けていたら夜になっていて、そういえば18時20分から計画停電だと思ったらもうすでに18時半を回っていたから今日も停電回避か、と思った途端に電気が全部バッと消えた。窓の外も真っ暗になった。

MacBookのディスプレイだけはかろうじて点灯していたけど、急な暗転で何も見えなくなったときに思い出したのは去年の小沢健二「ひふみよ」公演のオープニングの風景だった。iPhoneの光でライターとキャンドル(転倒しない安全なやつです)を探して灯りを。ある意味いま最も役立つガジェット、携帯ラジオをつけてみてニュースを聴いて、しばらくして消した。

掃除をしたばかりの部屋だからほのかな灯りで雰囲気があって、思い立って、僕は久しぶりにギターを弾いて歌ってました、自分の歌を。そしたらとても心が落ち着いてきて「ああ、次のライブでこれ歌おう、あれも歌おう」といろんな考えがわいてきた。遠い昔に書いた歌もこのときのために書いたのではないかといううようなフレーズあったりして過去の自分にハッとさせられる。

停電は2時間ほどでしたがとても暗くて長くて寒かったが、被災されて今もなおこの比にならない苦渋の暮らしをされている方々を思うと心苦しかった。いい話を聞いても悪い話を聞いても一日のなかで何度も涙が出るし、原発のことも気が気でならない。こんなふうになるなんて思いもしなかったが、こんななかでもどうにか頑張って日々を更新していかないといけないのだな。

地震が起きた金曜日の夜、全然眠れなくて明け方まで僕は書くべき返事のハガキを書いてそのまま朝になってうちから一番近いポストに投函したのだけど、それはなんだか心のバランスを保つための祈りのような行為でした。

福岡のcafe tecoから電話があり、静岡のサリーズガーデンとも話をし、そしてさっきまで恵比寿天窓switchのスタッフと打ち合わせをしてました。皆さん思うことがたくさんあり、僕もここ数日いろんなことをずっと考えています。

今日高田漣さんのコラム(URL)を読んで、「ああそうだ、この曲は祈りの歌だ」と思った歌、2005年末にイトケンさんとfishing with john五十嵐くんと3人で録音した高田渡さんの「鉱夫の祈り」のカバーを、皆さんのちょっとした息抜きのおともに聴いてもらえたら嬉しいです。




Posted by monolog at 23:42│Comments(1)TrackBack(0)

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この記事へのコメント
福島から。
鉱夫の祈り、避難している被災者や、
今も原発で不眠不休で作業している作業員の姿と重なるところがあり、
涙が出ました。
避難先から動けず、ただ政府や東電に祈ることしか出来ない自分とも。
私も原発から40キロほどの家から逃げてきて、
60キロほどの実母の実家に今、一家で身を寄せています。
実母の実家に、継母や祖父母までお世話になっているのは、
とても複雑で、お互い気まずいはずですが、叔父家族は
あたたかく迎えてくれました。
一昨日から水が止まってましたが、今朝ようやく復旧し、
電気・ガスも生きているので、さほど不便のない生活なのが本当にありがたいです。
鉱夫の祈りの入ったトリビュートアルバム、地震で自室のCD類も
全部落下してごちゃごちゃで、どこにあるのかわからない常態
で出てきてしまった。原発が落ち着いたら、早く救い出してゆっくり聴きたいです。
Posted by あだしの at 2011年03月17日 09:14