2011年08月24日

[8月の近況] ドライブ旅;東京-福島(8月9日)

th_DSC05457四国大阪の旅から帰ってきて休む間もなく(ていうか夏休みなんだけどな)今度は東北道を福島へ。今年の4月以来のあんざい果樹園におじゃましました。ダン・ラ・ナチュール千葉奈津絵さんの本作りの最終撮影、カメラマン役の巣巣岩崎さん、編集人のmillebooksの藤原さんに同行して4人旅。

前回福島に行った話はブログに書かなかった。地震と原発事故から一ヶ月後の福島訪問についてうまく言葉にできなかったので、後日文章をまとめて「MONOLOG vol.3」に掲載しています。もし興味のある人はぜひ読んでみてください。

朝7時に都内を出発、ぐんぐん上がる気温。春との違いは東北自動車道を走っていて感じた道路の凸凹、地震の爪痕がおおかたキレイに整備してあることでした。自衛隊車両や支援物資を運ぶ車に追い越されながら。連なる緑の山々が目にしみる。11時前に福島に到着。罹災証明を見せるために料金所には車の列ができていました。

挨拶をすませ早速果樹園へ。撮影チームは午前中の陽光のなかでシューティングを完了したいようでさくさくと作業が始まる(僕はただぼんやりしていました)。春に可憐な花を咲かせていた桃の木にはまるまるとした赤みがかった桃がなっていて、なんだか感動してしまった。「桃の花」っていうのは春の季語、「桃の実」っていうのは秋の季語なのですね。夏が育む果物という感じがします。

おとうさんが「どれでも獲って食べてみなさい」と果物ナイフと水の入ったバケツを持ってきてくれたので、木の枝の上のほうになった桃をもいで食べてみた。実はまだ固いのにとても味わいがあって美味しい。

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th_DSC05484春に訪ねたときにはなかったもの。おとうさんは中国製のガイガーカウンターを手に入れていた。地表すぐの場所、桃の木の枝の影、木の上といろんな場所で測って見せてくれたのだけど、雨や風の具合でそれぞれ値が変わってくるのだそう。

あんざい果樹園の桃もこれまでどおりの桃ではなくなったということが目を背けらない現実。しかし今年の桃は例年よりもかなり甘いそう。4代目伸也さんも桃畑にやってきてニコニコと「禁断の果実を食べてしまったね」と冗談交じりに言う。現実と直面している方たちの口から出るブラックジョークはなぜだか力強い響きがある。

この日は猛烈に暑い日で、太陽に焦がされて大汗をかきながら洋なし畑を見たり犬のりんごの写真を撮ったりしているうちにお昼、太陽がてっぺんに昇って自分の影がなくなる瞬間を見た。

お家にお邪魔してお昼ご飯をいただく。おかあさん、伸也さん、ダンラナチュールなっちゃんも台所に立ち、桃を使ったサラダ(秋に出るレシピ本に載っているやつ)やフレッシュな野菜を配したパスタなどをたらふくご馳走になり、暑さでぐったりした身体にふたたび活力が。

ランチの歓談のなかでちょうど一週間後に開催される予定だった「PROJECT FUKUSHIMA!」、入場無料だし誰でも参加できるからと勧められたのだけど、スケジュール的な問題等で二の足を踏んでしまって結局自宅のコンピュータの前でユーストリームでその様子を眺めることになった。「ああ、やっぱり行けばよかったな」と、好き勝手にいろんなところへ出かけていった夏にひとつだけ後悔が残りました。伸也さんの新たなサイト「アタリマエノタベモノプロジェクト」も紹介しておきます。

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とても穏やかな時間を過ごし、おいとまの時間に。たくさんの桃とフレッシュジュース(深い味がして美味だった!)をお土産に購入。ニュースでも報道されているように今年桃は注文が激減しているそうです。あんざい果樹園の桃は作った人の顔が見えて、これまでの人生で食べた他の桃とは違う味わいです。また来ます。お世話になりました。

帰りの東北道も例にもれずひどい渋滞で東京に辿り着く頃にはとっぷりと日が暮れた。とても充実した長いけどあっという間の一日。翌日僕は桃をざくざく切ってリンゴやレモンと一緒にワインにつけて自家製サングリアを作りました。とても甘くて美味しいやつが出来上がりましたよ。

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Posted by monolog at 12:14│Comments(1)TrackBack(0)

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この記事へのコメント
五月に巣巣に行ったとき、「福島に行っていた」と聞いて、
驚きやら、嬉しさやら、不安やら、いろいろな想いで複雑でした。
今は不安が少し落ち着いて、同じ福島の空の下に、山田さんがいたことが、福島の土を踏んでくれたことが、五月に聞いたときよりも嬉しい。
いつのまにか、天気予報と一緒に県内各地の放射線量がTVやラジオで流れるのが当たり前になって、もう何ヵ月も、一度も揺れない日がないことが当たり前になったけれど。
それと同時に、あの日から数日経って、たまっていたたくさんの安否を心配してくれた優しい人たちのメールを見たときの泣きたくなるほどの嬉しさや安心感、Skype通話でようやく姉と連絡がついたときの安堵感を思い出さない日はないです。
自分はなにもできないけれど、ただ一つできることは、「大丈夫」って、笑って、元気にしていようと思いました。安心をくれた人たちに、自分が元気にしてることで、安心を返せますように。
Posted by あだしの at 2011年08月24日 21:21