果たして2日目。セットリストを当日午後ぎりぎりまで検討しながら会場入り。曲順や楽曲の取捨選択がめんどくさくなった僕は“観にきた人が満腹になるような、来なかった人が後悔するような夜”をコンセプトにリクエストからなにからをすべて年代順に並べて30曲越えのリストを作りました。すべてGOMES THE HITMANの曲で。


この日は僕の誕生日。39歳になりたての、新しい1年の始まりに歌ったのは「誰かが自分の生まれ日のことを憶えてくれていると独りではないと勇気が湧いてくる」と歌われるさだまさしさんのカバーから。まずは1997年12月にリリースされて今年でちょうど15年になる初めてのCD『GOMES THE HITMAN in arppegio』を全曲演奏(「朝の幸せ」の前には目覚まし時計の音をiPhoneで鳴らす。隔世の感)。「僕はネオアコで...」のインパクトが強いがこの頃僕ははっぴいえんどやはちみつぱいなどにはまっていたので実はとてもフォーキーな楽曲群なのだ。
そこからは時代順にひたすら演奏。青春の日々。好きな歌がたくさんあって、思い出させてくれたリクエストに感謝。この日も合間にくじ引きをはさみながら。「R.E.M.賞」や「サブカル賞(「評伝ナンシー関」と「ニャ夢ウェイ」)」「青春賞(「桐島、部活やめるってよ」原作と太宰治の本)」、福田利之賞と題した福田さんのポストカード/手ぬぐいセット、switch賞のワインなどが続く。
この日はひとりゲストを。宮城県気仙沼からライブを観にきてくれた“気仙沼”くん。昨年の地震以来やりとりを続けて、今年の春には僕を被災したいろんな場所に連れ歩いてくれた。ライブで皆さんと企てたささやかな義援金も彼が勤める気仙沼市役所に断続的に続けています。“気仙沼”くんから直接客席の皆さんに感謝の言葉。僕は静かに感動してて、彼がロボットのように緊張してガチガチじゃなかったら涙がこぼれていたかもしれないな。気仙沼くんからもくじ引きの賞品、気仙沼ふかひれスープと仙台牛たんカレー。気仙沼くん、快く僕のお願いを聞いてくれてありがとう。




その後も『cobblestone』を中核とする“街づくり三部作”、「饒舌スタッカート」から『mono』へと時間軸が進んでいく。「fielder's choice」のような僕自身も記憶の彼方に置き去りにしていた歌に再び光と風を通してくれた辛抱強いベテランリスナーにも感謝。「僕は僕が今この場で僕であることをおもっては」と歌うこのうたは「僕は僕に会いにいく」と結ぶ。まさにこの日の情景のよう。
カフェ長男堂がとても美味しいオムライスとビーフシチューを提供してくれた。完売御礼。僕も楽屋で食べたが旗を立てて気分がわくわくするフードだった。結構今でも頻繁に歌う曲でもあるがこの日の「手と手、影と影」はひとつの到達点として感慨深い歌になりました。絶対途中で枯れると思っていたノドも圧倒的に自分で支配していた。みんなにスキャットしてもらって合奏した「memoria」という曲に僕の正直な気持ちがこもっている。

自分の誕生日にジョン・レノンのことを強く思うのは毎年のこと。ウクレレが当たった人のために「Imagine」をプレゼント。サプライズのHAPPY BIRTHDAYにも嬉し恥ずかしありがとう。素晴らしい一年が僕にも皆さんにも訪れますように。最後は「雨の夜と月の光」をみんなのハンドクラップとともに。結局32曲、3時間半のライブになりました。
これだけGOMES THE HITMANを歌うこともしばらくはないでしょう。他にはないくらい良い曲だ、自分が歌うべき歌だと根拠のない自信にすがって音楽を作ってきて、この日はそれを出し惜しみなく全部歌った夜でした。今僕は新しいアルバムを作っています。それは春頃に皆さんに聴いていただけると思う。僕自身の音楽キャリアのなかで最高傑作になるはず。それは確実に、この日歌った過ぎ去りし日々の歌たちが築いた土台の上に成り立つ歌なのです。二日間どうもありがとうございました。またすぐにお会いしましょう。