2014年07月09日

ポチの三七日忌

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13年という時間は小学校入学から、中学校、そして高校卒業までの時間と等しい。それだけの時間を一緒に過ごした愛猫がある日から突然いなくなるというのはものすごい暮らしの変化であり、僕はまだ全然その不在に慣れないまま、コンピューターのなかのポチの画像を探しまくってフォルダを作ったり、オンデマンド印刷で大きなポスターを作ってリビングの壁に貼ったり、買ったりもらったりしたたくさんのフレームにポチの写真を入れて部屋のあちこちに(それこそどこを向いても写真立てがあるくらい)置いたりしている。お悔やみをくれた友人知人にようやく返事をして、またその返事に励まされています。

なくして初めてその大切さに気付いた、という物言いをよくしますが、僕の場合はちょっと違っている。13年間ポチはもう毎日可愛くて、何もない日というのがないくらい毎日面白くて、だからいつも大切な存在としてそばにいて「いつかいなくなってしまう」ということもわかっているからそれが怖くて、毎日話しかけて写真を撮って甘やかして可愛がってきました。ポチをなくしたことでその“怖さ”というものからは解放されたけれども、さびしさと悲しさとつまらなさは想像以上のもので「これはちょっとどうしたもんかな…」と毎日ぼんやりする時間があり、それは今日も変わりません。それでも忘れていたくらい昔の写真なんかを眺めているとポチの変な顔やとびきりに可愛い姿、一緒に写っている寝姿なんかがあって楽しくて、抽斗の奥で眠っていた古いiPadをデジタルフォトフレームしてランダムに流しっぱなしにしては楽しかった記憶を反芻しているところです、3週間たっても。

今日7月9日はポチの三七日忌です。

Posted by monolog at 11:20│Comments(1)TrackBack(0)

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この記事へのコメント
山田さん、こんばんは。
悲しい気持ちは時間が経つほど、強く鮮明になって苦しくなってしまいますが、三十七日忌を迎えて、今はしっかり眠れるようになりましたか?

写真や映像が残っているということは、色々な瞬間のぽっちゃんをもう一度リアルに感じ取れそうで、すごく気持ちが和らぎそう…。
13年分全部見るのにも時間がいりますね。
ゆっくり思い出したあげてください。
きっと、ぽっちゃん自身もすっかり忘れてそうなことを、「世界ネコ歩き」を見るように、側で楽しんで一緒に見てくれているような気がしてしまいます。

私も愛犬(ラッキー)を失った後に、長く喪失感が続きました。
ずっと行けずにいた火葬場と共同墓地に、お盆になってやっとお参りしに行くことができてから、悲しみが何かに変わっていくのを感じました。
それは、心の「ある場所」にパズルのピースがぴったりはまるように、ラッキーへの想いがスーッと入って落ち着いて、なんだか楽になって行ったような……そんな記憶があります。

そんなお盆が明けた頃、突然猫が庭に現れて一ヶ月後には一緒に暮らすはめになったりしましたが(笑)(マイケルの姉さん猫です。)

山田さん。ゆっくりしっかり、ちゃんと寝てくださいね!
ぽっちゃん!いつかどこかでまた会える日を楽しみに待ってまーす!
Posted by haru&michael at 2014年07月09日 22:48