

13年という時間は小学校入学から、中学校、そして高校卒業までの時間と等しい。それだけの時間を一緒に過ごした愛猫がある日から突然いなくなるというのはものすごい暮らしの変化であり、僕はまだ全然その不在に慣れないまま、コンピューターのなかのポチの画像を探しまくってフォルダを作ったり、オンデマンド印刷で大きなポスターを作ってリビングの壁に貼ったり、買ったりもらったりしたたくさんのフレームにポチの写真を入れて部屋のあちこちに(それこそどこを向いても写真立てがあるくらい)置いたりしている。お悔やみをくれた友人知人にようやく返事をして、またその返事に励まされています。
なくして初めてその大切さに気付いた、という物言いをよくしますが、僕の場合はちょっと違っている。13年間ポチはもう毎日可愛くて、何もない日というのがないくらい毎日面白くて、だからいつも大切な存在としてそばにいて「いつかいなくなってしまう」ということもわかっているからそれが怖くて、毎日話しかけて写真を撮って甘やかして可愛がってきました。ポチをなくしたことでその“怖さ”というものからは解放されたけれども、さびしさと悲しさとつまらなさは想像以上のもので「これはちょっとどうしたもんかな…」と毎日ぼんやりする時間があり、それは今日も変わりません。それでも忘れていたくらい昔の写真なんかを眺めているとポチの変な顔やとびきりに可愛い姿、一緒に写っている寝姿なんかがあって楽しくて、抽斗の奥で眠っていた古いiPadをデジタルフォトフレームしてランダムに流しっぱなしにしては楽しかった記憶を反芻しているところです、3週間たっても。
今日7月9日はポチの三七日忌です。