2014年10月18日

秋の猫騒動 サード・シーズン(5)



朝晩はすっかり肌寒くなりました。自由奔放に駆けまわって捕まえようと思っても昼間はウナギのようにすり抜けていくポチ実も、気づくと体をつけて添い寝していたり、毛布の中に入ってきたり、猫専用ホットカーペット(ポチのおさがりだ)の上で夢見心地で伸びているのを見ると「ああ、やっぱり冬が一番いいな」と来るべき季節に心が踊ります。5月生まれのポチ実は北風吹きすさぶ冬の厳しさを知らずに大きくなっていくのです。

ポチ実のいろんなクセが目につくようになってきて面白い。遊んでいて目をじっと見つめるとパンチしてきたり、カーペットの隅っこを一心不乱に猫キックしたり、僕のレコードコレクションをガジガジ噛むのが好きだったりいろいろだが、一番驚いたというか、初めて見たのは、遊んでいて興奮が頂点に達すると「バッ!」と咳でもない鳴き声でもない、パーカッシブな破裂音を口から発するのだ。僕はそれを見てオデッタというフォークシンガーを思い出す。こんな感じだ。迫力はあるのだけど、はしたないからやめさせたい…。可憐でかわいい猫でいてくれろ。

こんなふうにポチ実の姿を見ていても、毎日ポチのことも思うのは変わらない。先日ギャラリー芝生のユサさんと猫の話をした。彼は斎門富士男さんの邸宅でスタッフをしていた経緯からポチを仔猫のときから知っている人で、もっというと初代ポチ(ポチの先代がいたのです)が亡くなって斎門家が意気消沈したところにあらわれた仔猫があまりにも仕草や肢体が似ているということで同じ「ポチ」という名前を付けたことも知っているから、ポチ実が登場した奇跡みたいな話に興奮していた。魂の継承というか、そういう不思議なことを実際毎日目の当たりにしている。

ポチにはいくつもクセがありました。尻尾の付け根を叩くとおしりを突き上げたり、興奮すると名前を呼んだだけで首をクイクイっと振るところとか、ご飯をあげるまえに袋に入ったフードを差し出すとヒゲの付け根を押し付けてきたり、人間がご飯食べてるとすぐダイニングテーブルに乗ってきたり、羽根のおもちゃをなめたあとに頭を振るとか…。体の模様がそっくりなだけでなく、ポチ実はウソみたいにポチと同じことをするので、僕はポチ実を眺めながらいつもポチのことも思い出すことになります。

まこという名の不思議顔の猫」のまこが先週亡くなった。僕も何冊も本を持っていたし、まこがいなくなるなんて想像もできませんでした。ポチのことがきっかけで仲良くなった「おばあちゃん猫との静かな日々」の下村しのぶさんのうちの照枝さんも一周忌を迎えたそうです。今年は知り合いや友だちのうちの猫も何匹も天国へ登っていったし(みんなだいたい15歳くらいでした)、生きているということは同時に最期のときへ向かってゆっくりと歩いているということだと改めて実感しています。ポチが死んでしまったときには僕ももうしばらく猫は飼えないなあと思っていました。ポチの代わりになる猫なんて…と。久しぶりに長い旅行でも、とアメリカ旅行のガイドブックを買ってきたくらいです。

しかしそこにキラ星のように登場したポチ実は必然的な猫で、今年の冬は特別な新しい季節になります。ポチは大きな額縁の中から威厳のある顔でリビングで大騒ぎする僕とポチ実を眺めています。猫騒動のいろいろでお世話になった料理研究家の桑原奈津子さんが自由な野良猫だったポチ実を捕獲することに心の葛藤があった僕に「ネコが死んだらな、次のネコを飼うんや。死んだネコの一番の供養は、次のネコを幸せにすることや。そうすると、死んだネコも幸せになるんやよ」というあるおばあちゃんの言葉を教えてくれました。ポチは色褪せず心の中にいて、ポチ実は毎日家じゅうを活き活きと鮮やかに駆けまわる。これを幸せと言わずになんというのでしょう。

ポチが元気だった春の「ひなたのねこ」展、そしてポチ不在のセンチメンタルな真夏の「ひなたのねこ」展、そして来週から始まる鎌倉、秋の「ひなたのねこ」展でのポチとポチ実の存在感。これだけ毎回雰囲気の異なる展示になるとは想像もできませんでした。仕掛けたストーリーテラーは誰でしょうか。神様かなにかでしょうか。それともポチ自身?猫騒動はまだまだ続きます。「ひなたのねこ」展でお待ちしています。秋の鎌倉でお会いしましょう。




Posted by monolog at 13:06│Comments(0)TrackBack(0)

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