2015年01月11日

真冬の島唄|ミタケ・オヤシン



昨日のこと、朝からざわざわと騒がしくバタバタと家事。2015年はのっけからいろんなことが起こる年。午後からは諸作業、もう10日も過ぎた1月のなかで自分は何をなしただろうか…と自戒する。ひなたのねこ展用のポチバッジもギリギリの作業になってしまいましたが週明けには諫早へ到着すると思います。夜になって街へ出て、吉祥寺スターパインズカフェで大島保克さんのライブへ。大島保克さんは沖縄・八重山諸島の島唄(伝承歌もオリジナルも)を三線を弾きながら歌う“唄者”ですが、ご近所ミュージシャン近藤研二さんがギターを弾かれるということで俄然興味が湧いたのです。

地図で見ると八重山諸島は台湾の東にある。昨年5月に台湾へ旅行するつもりが悪天候で飛行機が降りれず宮古島に一時着陸した出来事(そのときのブログ)と日差しの強さ、じっとりと肌を濡らした汗を思い出す。まったくの門外漢の僕でしたが、その歌声は高く澄んで美しく、方言で歌われるので歌詞よりも音階、声色に聞き入る感じになるのだけど時折耳に飛びこんでくる言葉の欠片にハッとするのです。流れに逆らわない音楽だなあと思いながら聴きました。外は寒い夜でここは吉祥寺の地下空間なのだけど目をつぶると去年宮古島で過ごした1時間で浴びた太陽と汗を思い出すような(僕が照明機材のそばで聴いていたことも相俟って)、音楽とはタイムマシーンであると同時にどこでもドアなのかもしれないな、と思う夜でした。近藤さんのギターも素晴らしかった。島唄にギターで伴奏するのはとても難しそうだけども、三線の世界観を尊重した丁寧で繊細な演奏。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドやドアーズ(「The End」)すら彷彿とさせるようなシーンもあり飽きることがありませんでした。

未体験の音楽に2時間浸るというのは新鮮な体験。僕はこのごろ「なにかの縁」とか「なにかの導き」、「誰かの思し召し」みたいなものに対して面白がって全力で巻き込まれていこうと動く傾向があります。近藤さんとは猫がきっかけで昨年末から仲良くさせていただいているのですが、猫がきっかけの近藤さんがきっかけの大島保克さんの島唄、というふうに導かれたのだなあ、と家に帰ってきてポチの大きなポスターを見ながら思いました。で、その大抵のことは「なにかの縁」だという考え方はネイティブ・アメリカンのスー族のいう「Mitakuye Oyasin(ミタケ・オヤシン)=All are related」ということなのか!と数年ぶりにこの言葉を口に出してみて目が覚めたような感覚がありました。

All are related、すべては必然である。自分のなかに新しい旋律が芽生えたらいいなあ。

Posted by monolog at 11:28│Comments(0)TrackBack(0)

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