2000年にGOMES THE HITMANが『cobblestone』というアルバムをリリースすることになったときに、アルバムタイトルと同じ「コブルストーン」という小説をつけるというアイデアが出た。曲名ごとの章があって、架空の物語がパラレルに進んでいくような。その小説も僕が書くということになりかけたときに「清水さんに書いてもらうというのはどうかな?」とスタッフの誰かが言って、僕も「ああ、それで決まりでしょう!」ということになった。このようにして前人未到の小説付きCDというパッケージは完成したのです。翌年「饒舌スタッカート」のマスタリング作業でアメリカ、カリフォルニアに行くことになったとき、取材同伴という名目で清水さんは僕と一緒にサンフランシスコに同行したんだけど、これは多分にこの小説「コブルストーン」にはらわれた大きな労力に対するねぎらいだったように思う(清水さんと僕はサンフランシスコでキャッキャはしゃいで遊びまわってばかりだったから)。
清水さんが「清水春日」という名前で「ぼんちゃん!」という小説を上梓したときは突然で驚いたが後から思えば清水さんはずっとペンを動かしつづけていたのだろう。ちょうど僕が肺気胸での休養明けの2004年「夜の科学vol.4」にトークゲストで出てもらって、僕の友人溝渕ケンイチロウ氏(カスタネッツ/DQS)が清水さんの小学校時代の同級生だったことが判明してサプライズ対面のお膳立てもした。いつも会ってお茶したりする人ではないが、ひょんなことで数年間隔であって変わらず面白い会話を交わすようなタイプの人だ、清水さんは。『Eclectic』リリース時に小沢健二さんに取材した数少ないライターのひとりでもありました。
で、清水さんが川崎フーフ名義で「がんフーフー日記」という本を出したということを知ったのも突然のことで(2011年の地震の後でした)、いつも聞いているラジオで渡辺祐さんがこの本を紹介してびっくりして、その日のうちに本屋へ行って、その日のうちに読み終えた。2009年から1年少しの間に清水さん家族のものすごい体験記に圧倒されて、すぐ電話をかけたことを憶えている。その後NHKで特番が組まれたり、また雑誌編集の仕事に戻ったとか、いろいろ話を聞いていたのだけど、去年突然メールが来て、中村佑介くんのイラストブックの仕事をご一緒することになった(清水さんは編集担当)。中村くんも『cobblestone』(小説「コブルストーン」含めて)に大きな影響を受けているので、この繋がりは時間がくれた宝物だな、と思った。その頃「フーフー日記」の映画化についても知ったのでした。
果たして佐々木蔵之介と永作博美主演で完成した映画「夫婦フーフー日記」を5月30日の公開を前に昨日観ませていただいて、清水さんにも「観ました!」とメールして「客観的に観られないから感想聞きたい!」と返事が来たのだけど、これが僕も意外とそんなに客観的に観られなくて(本棚に並ぶ本とかCDを凝視してしまったり、佐々木蔵之介さんの丹精な顔と清水さんの眠たそうなマナコを比較したりしちゃって)でも90年代後半のくったくのない楽しさとゼロ年代の鬱々とした停滞感とか、そういう自分の経てきた風景の記憶もフラッシュバックして、泣いて笑って泣いて、最後は笑った。友だちにお薦めしたい映画。
小説「コブルストーン」を今読み返すとインターネットやスマホの発達で簡単に可能になったことを予言しているような箇所が散見される。15年という時間はあっという間かもしれないし長い長い時間かもしれないし、いつもその時間感覚にはそのときそのときにブレがある。小説のなかの“こぶる野市”にいた「僕」や「ダヤマさん」「花坂さん」は15年たってどうしているだろうか。「COB-WAVEのMCフラオ」はまだ現役で、猫のアップダイクはもう星になったころだろうか。清水さんに来月のGOMES THE HITMAN『cobblestone』含む“まちづくり”三部作再現ライブを観てもらえたら嬉しいな、と思った。