2015年06月23日

愛するものへのまなざしー『the loved one』に寄せて(文・五十嵐祐輔氏)

夜の科学オーケストラのメンバーであり、インストゥルメンタル・ユニットfishing with johnを主催する五十嵐祐輔くん。美文家の彼にプレスリリース用のライナーノーツ(レコードショップや媒体向けの資料)を書いてもらったのですが、その文章が端的に『the loved one』のなりたちを説明した素晴らしいものだったので、ここに全文を公開します(フライヤーには抜粋を掲載)。




愛するものへのまなざしー『the loved one』に寄せて

 山田稔明の新しいレコード「the loved one」は愛するものへのまっすぐなまなざしが眩しいほどに溢れたアルバムです。そのまなざしの先にいるのはポチという名前の猫、その愛猫ポチの寝そべる日向、その日向の差し込むあたたかい家、そこで続いていく暮らし、暮らしにまつわるささやかだけど大切なこと。彼はこれまでも日常の機微を手のひらに掬い上げ歌にしてきましたが、そこの中心にはいつもポチという名前の猫がいました。そのポチが天国へ旅立ってちょうど1年、「ポチに捧げるラブソング集」として丁寧に紡がれた本作が私たちの手元に届きました。このアルバムは山田稔明からポチへの贈り物であると同時に、ポチを亡くした哀しみを共有した私たちへの贈り物でもあり、彼と同じく身近に愛するものを持ちながら暮らす私たちの「慈しむ気持ち」を肯定し力強く背中を押してくれる作品集です。

 2001年リリースのGOMES THE HITMANのシングル「饒舌スタッカート」のジャケット写真撮影で出会って以来、13年に渡り彼の大切なパートナーとして共に暮らしてきた愛猫ポチが天国へ旅立ったのは昨年の6月のことでした。彼のポチへの溺愛ぶりは彼のブログやSNSで目にされ、様々な楽曲に登場するミューズとして耳にされ、写真絵本「ひなたのねこ」やポストカードなどのグッズとして手にされ、ファンの方々の間でポチはアイドル的存在として愛され、山田稔明を語る上で欠かせない存在でした。彼がライブのMCで毎回のようにおどけながら語る「たぶん世界で1番可愛い猫なんじゃないかな」宣言には彼の溢れて零れ落ちてしまうほどの愛情が見えて、耳にする度に「ポチは幸せな子だなあ」とこちらも笑みが零れたものです。

そんな彼の精神の一部でもあったポチを亡くした喪失感を思うと今でも心が痛みますが、この1年彼は休むことなくステージに立ち続け、歌い続けて前に進んで行きました。連日の不眠の看病の渦中に生まれた「ポチの子守唄」は勿論、過去に書かれたポチへの歌も亡き後さらに響きを深いものへと変え、聞く者の心を打ちました。夜の科学オーケストラ全員とお客さんでポチを見送った追悼ライブの神聖な雰囲気は今でも強く印象に残っています。

 そんなポチへ捧げられた今作『the loved one』はしかし暗く深刻なムードでは決してなく、むしろ軽快でポップな仕上がりになっています。その背景には彼の側に現れた新しいミューズ、ポチ実の存在が大きいのかもしれません。ポチが亡くなって2ヶ月後のある日、彼の家の庭に突如ポチそっくりの野良猫が現れ、その子を保護して家族の仲間入りをするという奇跡のような物語が彼に訪れました。ポチの生まれ変わりかと見紛うその子はポチ実と名付けられ、その後山田家の日向で喉をゴロゴロと鳴らすようになりました。この新しい家族の存在がアルバム全体のムードをより日向の方向へ導いたのかもしれません。

 隅々までポチ愛に満ちた本作では「好き!」と大声で宣言したり、「好きだよ」とそっと耳元で囁いたり、「好きなんだよなあ」と呟いてみたり、実にたくさんの好きが歌声から滲み出ており(彼の故郷の言葉では「好いとーよ」になるのでしょうか)、そのそれぞれの「好き」に元気が出たり、切なくて泣きそうになったり、優しい気持ちになったり、聴きながら大いに感情が揺さぶられたのですが、最終的には自分も身近な愛すべき存在への気持ちをまっすぐに向けて暮らしを紡いでいきたくなりました。

 今作はお馴染み夜の科学オーケストラの面々の力強いサポートに加え、猫が縁で交流が生まれユニットを組むまでに至った近藤研二さんによるサウンドプロデュース、近年ライブでも共演している高野寛さんによる熱い客演など聴きどころも満載の充実作となっています。特に近藤さんの手による「ポチの子守唄」の死者を優しく悼むような繊細で美しいアレンジは自身も猫を亡くした経験を持つ者としての最大限の慈しみが感じられ、深く胸に沁み入りました。

 本作を手に取ったみなさんにはぜひ大きな音で或いはささやかな音で、家の中で仕事場で車の中で青空の下で暮らしの中で、雨の日や曇りの日や嵐の日にもこの愛に満ちた歌々をたくさん鳴らし、耳を傾けていただきたく思います。日向に降り注ぐ光のような「好き」を浴びて私たちの日々はより確かに豊かに感じられることでしょう。

『the loved one』はそんな光に満ち溢れたレコードです。

五十嵐祐輔(fishing with john/夜の科学オーケストラ)


Posted by monolog at 09:16│Comments(0)TrackBack(0)

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