2016年03月11日

5年目の3.11とラジオデイズ




家にいるときは朝から晩までずっとラジオが流れている。1階の居間、そして2階の仕事部屋にも小さなラジオが鳴っている。このCMが流れると何時、このコーナーが始まると何時、というふうにラジオは時間感覚を司る時計のようなものなので、年二回4月と10月の番組改編期にはいつもどきどきするのだけど今年の春は大変だ。30年続いた「ゆうゆうワイド」が終了して新しい番組が始まったり、馴染みのパーソナリティが変わってしまったり。プロ野球中継が始まるから夜の時間が退屈になる。頑張って新しい時間感覚を身に着けなくてはならない。

東日本大震災から今日でまる五年が経った。いまだ不自由な暮らしが続く被災地の方もたくさんいらっしゃるだろうし、歴史的な原発事故に関する事態の収束へは遅々として進まない。もう五年、あるいはまだ五年、時間の感覚はここでもゆらゆらと揺らいでいる。小説『猫と五つ目の季節』のなかにもひとつの章を使って書いたが、僕は5年前のその日その時間を自宅で愛猫ポチと一緒に体験した。その日は今日と同じ、金曜日で、地震の瞬間にも流れていたラジオからは「落ち着いてください!落ち着いてください!」という声が響いていたことを憶えている。

世界の終わりのような映像を音を消した薄型テレビ(地上波終了前に買い換えたばかりだった)で眺めながら、僕はラジオに耳を澄ましていた。夜になって不意に流れたビートルズの美しい旋律と言葉に慰められたし、翌土曜日の朝、いつもどおり始まった永六輔さんの「土曜ワイドラジオTOKYO」、お昼の「久米宏のラジオなんですけど」に救われた。その土曜夜に放送された「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」では“人間ナメんな!”というメッセージと音楽を共有して、翌日曜日朝の「日曜天国」では同い年の安住紳一郎アナウンサーの素直な動揺に共感する。思えば、地震のあとの金土日3日間でラジオは僕にとって揺るぎない心の拠り所になったように感じた。

平凡な毎日の暮らしが永遠に続くことはないということを知った、ということが5年前の僕が得た教訓なのだとして、昨日と今日と明日が同じようでいて少しずつ違うということを明確に意識して一日一日を丁寧に暮らしていきたいと思う。僕らはすぐにいろんなことを忘れてしまうが、ひとつひとつちゃんと思い出していくのだ。5年経った3月11日の金曜日の今日も同じように僕はラジオを聴きながら自宅作業をして、そんなことを考えている。あらためて、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げるとともに被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。



Posted by monolog at 14:35│Comments(1)TrackBack(0)

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この記事へのコメント
「ハミングバード」の印象が少し変わりました。アコースティックなアレンジ(言い方合っていますか?)が、自然に帰る感じで、明るくて、優しくて…。辛く苦しくて悲しい時、私はきっとこんな音楽だけを聴きたくなると思います。自分が生きていてこの世を去る時までの勇気をもらうために。
Posted by motokoishita at 2016年03月11日 22:58