
昨日のこと。CDのプレスと流通でお世話になっているBRIDGE Inc.にマスターDDPとアートワーク周りの色見本を届ける恒例の儀式。『新しい青の時代』以来毎年続いている。よく考えたら4年連続(その前の『Christmas Songs』含めると5年)でCDを世に出しているというのは大したことだ、と改めて思う。7月7日発売のものをこの時期に入稿しているというのはかなりスリリングで各所にご迷惑をおかけしているが、エンジニアの手塚さんとこのアルバムについて打ち合わせをした2月の終わりからずっと充実した制作の季節を過ごせて幸せだった。7月にはCDが刷り上がって到着する。
仲良くしている若い音楽家が一足先に『pale/みずいろの時代』を聴いて、「変な質問で申し訳ないのですが…」とメッセージを送ってきた。「なんで山田さんは何年音楽を作られても、ずっと進化をし続けられるのでしょうか」と。「『新しい青の時代』を初めて聴いたときにきっとこれは山田さんの全部が入った最高傑作なのだろうな、と思ったのですが、その次のアルバムも、今回のアルバムでもそう思わされました。これは賛辞ではなく、多分嫉妬です」と言うから「おま、褒め上手だな!」とやり返したのだけど、心配するな若人よ、人の芝は青く見えるのだ。自分の畑は荒涼として新しい芽吹きが何にもないような気持ちになるときが誰にだってあるのだよ。僕だっていつだって、あるいは定期的に、そういう気分になる。
僕は2013年に『新しい青の時代』を作ったときに、「このアルバム以上のものを作るのに何年かかるのだろうか…」と愕然とするくらいのやりきった感覚があって、未だに物販などで、初めてライブを観てCDを買い求めるお客さんには「最初に聴くなら『青』がお薦めです」と言う。薦めながら、これから初めて『新しい青の時代』を聴くなんて、この人は幸せだなあと他人事のように思う。あれから3年経って、『猫と五つ目の季節』と『the loved one』、そして『緑の時代』と『pale/みずいろの時代』という過去の自分と対峙する作品を作り終えて、ようやく<『新しい青の時代』の次の作品>に向かう旅に出ることができるような気がしている。「あさってくらいの未来」という曲を聴き返しながら、『青』の向こう側への旅の途中で出会うのはどんな風景なのだろうか、と武者震いしているところだ。あさってくらいの未来の話。