2017年09月21日

SWEET 43 BLUES



僕がGOMES THE HITMANでデビューする前、大学を卒業してから映像制作の会社で仕事をしていたことは昔からよく話していることで、小説『猫と五つ目の季節』のなかでもそういう記述がある。不眠不休のAD、アシスタント・ディレクターというと響きはそれなりだが、要は使いっ走りの何でも屋だったから、しんどい記憶ばかりが折り重なって記憶の層になっている。それでもいくつかの眩しい思い出や心の動きがあって、それが今に繋がっているのだから何をやっても無駄な時間というのはないのだなあとしみじみする。

初めてチーフAD、いわゆる現場の使いっ走りレベルでのリーダーとして撮影したミュージックビデオはアップル&ペアーズというバンドの「ときには空」という曲だった。僕が撮影場所の提案やロケーションハンティングを任された(試された?)ので、このMVには僕の母校だった東京外国語大学(今はもうない北区西ケ原のキャンパス)や都電荒川線、荒川土手など僕の青春時代の景色が多く映っている。ボーカルの岡田さんは今音楽プロデューサーになって、ガールズバンドたんこぶちんを手がけていて、「Qui La Laの夏物語」へと繋がった。僕のバンドでコーラスをしている立花綾香との出会いのきっかけも岡田さんだ。

オフィスでぼんやりしてた僕に「おい、山田。おまえ今日午後あいてるなら一緒に来い」と半ば無理やり監督さんに連れていかれたのは川崎クラブチッタで、そこで細身のシンガーソングライターのMV撮影を手伝ったのもその当時のことだ。高橋徹也のデビューシングル「真夜中のドライブイン」という曲で、僕のその日の仕事はCDプレイヤーの再生ボタンを押したり、カメラのテープの入れ替えをするくらいだったが、その日初めて聴いたその歌を僕はその後ずっと好きでい続けた。今や自分にとってもっとも刺激的な音楽家との出会いがそのときにあって、二十四年を経てまたこの秋にふたりで音楽の旅をすることになっている。

映像制作仕事時代に僕が関わった(というほど大げさな手柄ではないけど)一番大きな仕事は安室奈美恵のライブ映像作品だったと思う。僕はあまたある彼女の楽曲を憶えて小節を刻み、何十人といるカメラマンにステージの展開をインカムマイクを通じて実況することだった。「あと16小節でギターソロです!」とか「間もなくセンターからアムロさんポップアップします!」とか。会場は東京ドームだったか。他にもいくつかの会場でコンサートの下見をしたことを憶えている。僕は「a walk in the park」という曲が好きだったんだけど、クライマックスで歌われる「Sweet 19 Blues」という曲がとにかく感動的だった。商品化されたそのライブ映像のエンドクレジットにはどこかに自分の名前が入っていて、そのことが今でもちょっと誇らしい。40歳の誕生日に発表された引退宣言をニュースで眺めながら、自分の20年前のことなどをいろいろ思い出したり、20年経った自分の今の暮らしを思ったりした。あの頃に戻りたいとはまったく思わないが、あの季節がなかったらどうなっていたか、全然想像がつかない。思わず目を細めてしまうようなギラギラした日々だったのかもしれないな。

Posted by monolog at 11:58│Comments(0)