
夕方の5時に吉祥寺の街のなかにいるとハッとする。どこからか聞こえてくる5時を告げる鐘の音はそのまま2002年の『mono』の冒頭「6PM intro」で鳴る鐘の音とまったっく同じだからだ。曲名に合わせて鐘をひとつ増やしたけれど、今から17年前の2001年の冬にコンパクトレコーダーで吉祥寺の街で録音した素材が元になっている。何年も経って、今でも同じ鐘の音が時を告げていることに驚く。『mono』を作っている頃のことはよく憶えている。メジャーレーベルとの契約が終了した後の、とても心細く不安定な気持ちのなかで、ただただ音楽と言葉の力を信じて限られた予算と小さなスタジオで音をひとつずつ重ねていった。
その後2003年にVAPと契約して再びメジャーレーベルでの活動が始まったわけだけど、今年で2度目のメジャーデビューからも15年が経ったのだなあと気づいた。『omni』という作品をリリースして全国を駆け回るプロモーションが終わってから、すでに廃盤の憂き目にあっていた『mono』のなかからの数曲を再録音したいと直訴して『夜明けまで』というシングルがリリースされることになるのが2004年。僕はこの頃のことをあんまり憶えていない。事務所をやめた頃から始めた深夜シフトのコンビニバイトをやめることができずに、夜と昼が繋がってこんがらがった生活が続いていた。このシングルリリースの後に僕は身体を壊して長期休養に入ってしまうので、いろんなことがいっぱいいっぱいだったのかもしれない。『夜明けまで』は自分史のなかでは煙草を吸っていた山田稔明にとって最後の作品として記憶される。
先日GOMES THE HITMANでスタジオに入っていたときに、別のスタジオにいらっしゃっていたヴァイオリンの武藤祐生さんが「わあ、ゴメスのみんな久しぶり!変わらないメンバーでバンドを続けられるって幸せだねえ」と満面の笑みで僕らの部屋に入ってこられた。もちろん武藤さんとは面識もあり、その素晴らしい手腕も存じている僕らは「わあ武藤さん、お久しぶりです!」と返すわけだが、武藤さんとGOMES THE HITMANとの繋がりがわからない。思い出せない。
帰宅してGOMES THE HITMANのCDブックレットを目を凝らして読むと、僕らは武藤さんに『夜明けまで』シングルのなかの「情熱スタンダード」でヴァイオリンを弾いてもらっていた。とても失礼な話だが、このときのことをほとんど憶えていないのだ、僕は。今度武藤さんに会ったらちゃんと話そうと思う。とるにならないなことは細かいところまで憶えているのに、ある部分がすっと抜け落ちているということがあるけれど、『夜明けまで』はそういう時期の作品なのかもしれない。「忘れな草」の弦パーとは?と進むとシンセストリングスで構築したものだった。そうだそうだ、「男なら女なら」には上野くんが初めて僕のレコードにフルートを吹き込んでくれたのだった。あれ?ブラス・セクションも入っている…。
で、結局僕はこの『夜明けまで』という4曲入りのシングル、「情熱スタンダード」はもちろんのこと、なんだかとても感動しながら聴いた。初めて聴くみたいな感覚だった。『mono』のなかにいるのとは違う表情と服装をしている。僕らは出さなくてもよかったCDを一枚も出していないという自負があるけれど、これも振り返ってみると必要な軌跡、轍だったように感じる。2002年から2004年というのがひとつの季節で、2005年からその次の時代、という感じがする。吉祥寺の5時の鐘の音を聞いて、そういうことに思い巡らせました。今日はこれからGOMES THE HITMANリハビリ DAY2。
Amazonにある『夜明けまで』、最後の一枚かもしれません。今年はじめからサブスクリプションのサイトで聴けるようになっていますが、ジャケットも素晴らしいのでフィジカルで所有するのもいいと思います。