
毎年春の恒例行事となってきたイスラエル靴のお店NAOT TOKYOでの5周年アニバーサリーライブ。東京スカイツリーを見上げながら蔵前へ。いつもは3月に春の気配を感じながらだったのが今年は2月に。それでも暖冬の尻尾の候、隅田川は穏やかに緩やかに流れて、新しい季節の匂いがしました。高野さんとは先月の広島世羅町でのライブ以来、高橋久美子ちゃんとは年始巣巣での即興セッション以来。3人、そしてNAOTスタッフが揃うとなんだか親戚集まりのようで、妙にホッとするから不思議。年月の蓄積ってすごい。リハーサルを終えて開場までの間の会話とか、ここでしか味わえない時間がある。
毎回完売のイベント、この日も盛況。演者と客席の距離がとても近い。ボス宮川さんの挨拶に続いて高橋久美子ちゃんの朗読のステージからスタート。久美子ちゃんのポエトリーリーディングを僕は最初期から見ているのだけど、思えば高野さんに初めて挨拶をしたのは久美子ちゃんに誘われて出かけていった新代田FEVERでのイベントで、そこでふたりのぶっつけ本番の即興セッションを見た夜だった。いくつかの朗読のあと名前を呼ばれてステージへ。「春」という詩にギターと鼻歌を添えて共演。音楽と言葉が楽しそうに踊る。高野さんも久美子ちゃんの詩にエフェクティブなノイズとギターで風景を描いていく。穏やかで和やかな空間だけれど、やってることは結構エッジーというか、毎回攻めてアップデートされるから面白い。

二番手は僕。この日のコンセプトは「すべて未音源化」の歌でこれから先のことを想う、ということでした。古い新曲、新しめの新曲、最近の新曲と多岐にわたる未発表曲からセレクトしたオープニングトラックは「夢の終わりまで」。2005年のアルバム『ripple』の頃にはその原型があった歌なので歌詞は鬱々と思い悩んでいて夢の水面に浮き沈みする感覚。「ただの旅人」はインドネシアへの旅が書かせた曲。亡くなった日本学者ドナルド・キーン氏に捧げて。比較文化を学ぶときに必ず対峙することになるのが氏の文章だった。はやぶさのリュウグウ着陸の話と絡めて「houston」、宇宙を想うときにわれわれは(逆説的に)とても卑近な具象について考えるのである。
「悲しみのかけら」も10数年前に書いた曲。歌詞に出てくる「そっと触った右胸の傷は忘れかけていた約束みたいに」というフレーズは実際僕が2004年に受けた胸の術痕のことを歌っている。「lucky star」は2015年に愛猫ポチに捧げて書いた曲だけれど、巡り巡って2019年に自分自身にとてもリアルに響く。NAOT TOKYOのイベント、第一回目のとき僕の傍らにはポチがいて、2回目以降はポチ実と暮らしているのだと思い返すと感慨深い。「吉祥寺ラプソディ」を歌うと「太陽と満月」のレコーディングのときに高野さんが吉祥寺に来てくださって、録音する前に美味しいカレーを食べたことを思い出す。高野さんを呼び込んで「セラヴィとレリビー」。高野さんと演奏するときにこの曲はまたふわっと違う次元に昇華される気がします。久美子ちゃんも加わって歌うのは「僕たちの花火」、隅田川花火大会で“花火革命”を体験した“僕たち”が作った賛歌。
高野さんの演奏も素晴らしかった。「Skylove」の選曲はきっと僕が「houston」を歌ったことに呼応した臨機応変な返答?先月の世羅でのライブでも感じたけれど、高野さんの弾き語りはとても自由で曲順や演奏曲目がその場の空気でがらっと変わったりしてとても興味深い。ギター独奏からの「確かな光」の美しさに落涙しそうになった。あっという間に5年が過ぎたわけだけれど、よくよく考えると全然あっという間ではなくて、ちゃんと5年分の時間が経っていることに向き合うほうがいい。デビュー25周年から30周年アニバーサリーへと歩みを進めた高野さんの歌を聴きながらそう思いました。



最後は3人でセッション。「太陽と満月」は久美子ちゃんの朗読から始まるスペシャルバージョン。「わたしのドライバー」はNAOTのテーマソングと言ってもいいかもしれませんね。会場のコーラスも美しく楽しく響きました。キングトーンズのために書かれた高野さんの「夢の中で会えるでしょう」、そのメロディと言葉の「グッド・ナイト・ベイビー」へのオマージュについての話にグッときた。亡くなった内田正人さんに届けとばかりに小さな会場全体がひとつになって響きました。この時、この場所でしか有り得ない素晴らしい一日でした。NAOT TOKYO、5周年おめでとうございます。これまでの週末だけの営業から、春から先は週5営業と新しいことに踏み出すNAOT。そのステップを応援します。
また来年。
