
GOMES THE HITMANのメジャーデビューが決まったのは1998年。インディーズレーベルから前年に『GOMES THE HITMAN in arpeggio』、そしてその年の春に『down the river to the sea』と2つのCDリリースの後、BMGジャパン(現アリオラ・レーベル)との契約が成立した。僕は大学卒業後に就職して約3年勤めた映像制作会社をメジャーデビューきっかけで辞めることになった。インディーズ時代のCDは仕事が終わった後の、夜から次の日の朝の出勤時間まで小さなスタジオで作業して作ったレコードだ。スタジオの床で毛布にくるまって仮眠したことも忘れない。メジャーデビューして晴れてプロになって、大きなスタジオで一日中レコーディングできることにどれだけわくわくしたことだろう。
初めてのメジャーリリースとなったミニアルバム『neon, strobe and flashlight』のレコーディングは阿佐ヶ谷のスタジオで行われた。収録楽曲はもちろんインディーズ時代に書きためたものだったけれど、『in arpeggio』収録の「tsubomi」を再録音して推し曲にすることもあり、インディーズ時代の総括という印象が強い作品。「夕暮れ田舎道」は1996年にカセットテープでリリースした黎明期の歌だったし。それでも「ストロボ」「アップダイク追記」といった曲たちには来たるべき新しい季節へ足を踏み出すような瑞々しい言葉とメロディがあった。『neon, strobe..』を聴くと僕はその拙さに肩をすくめてしまう。同時にこのときにしか作り得なかった、アマチュアリズムからプロフェッショナルへの過程を発見する。


シングル「rain song e.p.」は1stフルアルバム『weekend』への助走。僕はデビューが決まってから月に10曲以上のペースで曲を書いていたはずだ。溢れるばかりに。今まで書いたことのなかったようなダンサブルな歌ができて、それは最終的に「雨の夜と月の光」というタイトルになった。レコード会社のスタッフが数十人スタジオにきてくれてコーラスと手拍子をダビングした。「スティーヴン・ダフィー的スクラップブック」という曲ができてシングルのカップリングになり、アマチュア時代に書いた「universal student」という曲の歌詞を書き換えて「down the river to the sea」と改めて収録することになり、3曲入りのメジャー初シングルが完成する。カップリング曲を後続のアルバムには収録しないというのは僕からのリクエストだったはず。すべてのCDに存在意義を持たせたかった。
GOMES THE HITMANの1stアルバム『weekend』がリリースされたのは20年前の今日、6月5日だった。1999年に入ってからはこのアルバムの作業にかかりきりだったはず。このアルバムを20年経って聴く感慨深さよ。1曲目の「光と水の関係」、ビートルズの「ハード・デイズ・ナイト」の最初のコードを匂わせたイントロから甘酸っぱい。誰にとっても心ときめく“週末”をテーマにした『weekend』は金曜日から日曜日の間の風景描写だ。「長期休暇の夜」は大学生の歌だし、「週末の太陽」は「WASEDA」という仮タイトルの歌だったから、このアルバムにはモラトリアム特有の空気感が流れている。GOMES THE HITMANが大学の軽音楽サークルで結成されたこともあって、初期GOMES THE HITMANの学生風情のイメージがこのアルバムで決定づけられることになった(と今改めて振り返る)。
20年経って僕は45歳になったけど、『weekend』の歌を歌うといつでも学生の頃にタイムスリップする。あるいは歌のなかでは人は歳を取らないのかもしれない。今日から3日間、20年前のBMG(アリオラ)時代のことを回顧して文章を書き連ねてみたいと思う。いろんなことを思い出すかもしれないし、都合よく記憶が書き換わっているかもしれない。とても濃厚であっという間に過ぎていった季節だった。
20年前の今日、GOMES THE HITMAN『weekend』が発売された。
