2019年06月14日

いくつもの6月

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2004年の5月から日記(このブログ)を書いているので、もうちょうど15年ということになる。読み返してみると僕は15年前の6月15日に肺気胸の手術のための9日間の入院から退院したようだ。もうずいぶん大昔のことに思える。15年前の春、病に倒れる前は僕はまだ一日一箱タバコを吸っていたのだな。「なん年前の今、自分はなにをしてたっけ?」と振り返るのが好きなのは自分が記録魔だからなのかもしれない、とアーカイブスを辿りながら、思った。

1年前の今頃、僕はザ・カスタネッツの牧野元さんと下北沢で2マンライブをやって、その日の夜に元さんの病気のことを聞いた。1年経って元さんは見事に元気になって嬉しい。5年前の今頃は僕は24時間体制でポチの看病をしていた。できることがひとつずつなくなっていって彼女の命の炎が少しずつ小さくなっていくのをなすすべもなく、しかしずっと寄り添って眺めていた。もうすぐまた、5年前から個人的に特別な意味を持つようになった6月19日の桜桃忌がやってくる。さくらんぼもそろそろ旬だな。

いくつもの6月を思い出しても、いつも紫陽花が揺れる風景がそこにある。今年うちの庭には去年よりずいぶんたくさんの花が咲いている。

Posted by monolog at 20:21│Comments(1)
この記事へのコメント
献身とは、ただ、やたらに絶望的な感傷でわが身を殺す事では決してない。大違いである。献身とは、わが身を、最も華やかに永遠に生かす事である。人間は、この純粋の献身に依ってのみ不滅である。 ー 太宰治 『パンドラの匣』より

5年前の今頃、山田さんは「揺れる舟の上」にいらしたのですね。「ポチの子守唄」かけがえのない曲ですね。自然と涙腺がゆるみます。時のゆりかごに揺られ、「舟の上」はいつしかそこだけ限りなく優しい光のスポットが注がれる、陽だまりになっていく。そしてその陽だまりの中にはポチと睦む山田さんの背中があって …
近藤さんのアレンジもロマンティックで、素敵です。楽器一つ一つの音色を慈しむようです。

「手」という名辞を口にする前に感じている手、その手が深く感じられていればそれでよい、と書いたのは中原中也ですが、この「ポチの子守唄」は、実際会ったことも、触れたこともないポチのことを、とても近しく感じさせてくれるのです。
Posted by naco at 2019年06月17日 14:55