2020年06月01日

2月、そして3月4月5月|6月になった

6月になった。今年の手帳を眺めながら、こんなにスケジュールに予定を書き込まなかったことなんてこれまでなかったなと改めて思う。昨年末にGOMES THE HITMAN『memori』が出て1月はプロモーションのラジオ出演で駆け回ったけれど、2月になって「新型コロナウィルス」という話題が浮かび上がった。2月2日は二子玉川の蔦屋家電でのインストアイベントだったが、その前日にレコード会社スタッフから「新型コロナの問題っていうのがあって…」と、状況次第では今後のイベント中止の可能性がゼロではないという話を聞いた。翌週2月8日は福岡での弾き語りライブだったが、まさにその日福岡のコンサート会場で感染者が出たことで状況が一気に変容する。

2月16日のちよだ猫まつりも開催があやぶまれたイベントだった。この日あたりからサインをしたり握手をしたりするのが怖くなってきた。2月25日の渋谷WWWでのGOMES THE HITMANレコ発、渋谷へ向かう車中で前述の福岡のコンサート会場での感染事例のニュースを聞き、ライブ翌日に政府がいイベントの自粛を要請、その後コンサートやライブは開催されなくなった。その翌週「饒舌スタッカート/雨の夜と月の光」両A面シングルの打ち合わせで行ったソニーのオフィスはテレワークのせいで閑散としていた。

インスタライブを始めたのは3月5日で、そこから11日連続で自宅から歌った。歌ったり喋ったりしないと不安だったのかもしれない。名古屋と大阪のレコ発は延期となりリハーサルの代わりにメンバーで集まってお酒を飲んだ。「饒舌スタッカート/雨の夜と月の光」のアナログカッティングの作業は3月23日、翌24日に東京オリンピック・パラリンピックの開催延期が発表された。もうこの頃になると緊急事態宣言がいつでてもおかしくないということになっていたけれど、GOMES THE HITMANでスタジオに入って録音作業をしたのが3月末。二日間続けてスタジオに入る予定が予期せぬ大雪が降って大慌てでリスケジュールした。このスタジオセッションはまだ止まったまま。新しい月曜日が来るたびに「いよいよ緊急事態宣言、ロックダウン」と噂が立つ。

エイプリルフールに総理大臣が布マスクを2枚、全家庭に配布すると会見した(緊急事態宣言の終わりとともにうちに届いた)。自発的ロックダウン始まる。iPhoneの導きでヨガをして、パンを焼き、梅を漬け、ひたすら掃除をする日々。4月2日にライブ配信用の機材を注文して翌3日に届いたので、すぐにいろいろ実験。このときの集中力はすごかったと思う。その週末4日と5日、2日連続で自宅仕事部屋からツイキャスで「夜の科学 at home」を開催した。レギュラーラジオ番組「PRIMECATS RADIO」が始まったのもその週末。この頃から火曜日と木曜日がインスタライブというルーティンに。週末はライブ配信とラジオというペースができあがった。4月20日にイトケンさんが両足骨折という大事故、その場にいあわすことになり、コロナとはまた別の大変ないろいろ。本当なら沖縄にいたはずなのに、という気持ちがハイテク猫町フェス開催に繋がった。GOMES THE HITMAN「饒舌スタッカート/雨の夜と月の光」シンングルの発売が正式決定
したのもこの頃。

5月になり世にも奇妙なゴールデンウィーク。その間にポチ実が急性胃腸炎になって病院通いと自宅での投薬と点滴を4日間。単調なはずだったおうち時間は波乱万丈。ポチを看病した記憶がフラッシュバック。チミちゃん元気になって本当によかったよ。所用で出かけた久しぶりの街、楽器屋が営業していたので引き寄せられるように入店、そこで小さな古いギターを衝動買い。このギターのおかげで心が弾んだ。5月いっぱいの緊急事態宣言が1週間前倒しで解除されたのが24日。だんだん色が戻ってきたり、ゆるんできたり、新しい形になっていく世界。

そして、6月になった。朝からアメリカのニュースのライブストリームをずっと眺めて呆然としながらも手だけは機敏に動かして事務仕事をした。吉祥寺の街も今日からほぼすべての商業施設が営業を再開、2ヶ月ぶりに行ったレコードショップで店員さんと挨拶したり話したりするだけで嬉しい。ライブやエンターテイメントはまだ戻って来ないし、これからどういう形式でやっていくことになるのかまだまだ先が見えないけれど、社会はじりじりと音を立てながら、半ば強引にでもいろんなことを動かしていこうとしている。この何ヶ月か、そしてこれからの何ヶ月かのことをずっと忘れないようにしたい。

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Posted by monolog at 22:20│Comments(0)