2022年12月06日

父の命日

12月6日は父の命日、2018年から4年が経った。自分の誕生日のすぐそばに旅立ってくれたから1年の節目にいろんなことを思い出す機会になる。とかいいながら、今朝母親に「今日はお父さんの命日ね」と言われて慌てて「そうだった!」っていうことになったんだけど(親不孝でごめんなさい)。僕は日本酒や焼酎を飲まないけれど、いただき物のお酒がたくさんあるのでそれをたっぷりお供えした。

大阪に住んでいた父が事務所で倒れた、と連絡があったのは2018年末12月7日のお昼だった。その日はGOMES THE HITMANのリハーサルで、翌日からの2日間は恵比寿での年末恒例2DAYSだった。とにかく新幹線に飛び乗った。バンドのみんなに「オレ抜きで練習しといて」と伝えた。いろんな想いがめぐる。最後に父に会ったのは4日前だった。大阪でのライブの後に顔を見に立ち寄ったのだ。その時も父は車屋の事務所にいて、ご飯が食べられてなくなってて、これまでで一番痩せていたけれど、伸ばしたあごヒゲを触りながら「痩せてかっこわるいからヒゲ伸ばしたってん。かっこええやろ」と笑って言った。年内のうちに緩和ケア病棟にある病院に一緒に話を聞きにいく段取りと約束をして、帰ろうとすると僕を駅まで車で送っていくと譲らない。「年寄りの運転はこわいから嫌だよ〜」と拒む僕の言うことを聞かず、ヨロヨロと車を操って、時に道を逆走しそうになりながら駅のコンコースまで送ってくれた。最後に「またね」と握手をした手はちゃんと力強く握り返してきた。

結局父は事務所で倒れていたところを会社のお手伝いの方に発見され、再び生き返ることはなかった。そのことを知ったのは新幹線のなかだった。現地に到着しても警察による検視のため事務所には近づけず、向かったのは葬儀会社。親戚の叔母さんも連絡を受けて到着していた。遠く東京から駆けつけた僕を気遣ってか、最短日程での通夜と葬儀の段取りが進んでいたのを、「明日と明後日は東京に戻って仕事があるので2日待ってほしい」と自分でもびっくりするくらい冷静なトーンでいうと、打ち合わせの場が一瞬シーンと静まり返ったことを憶えている。僕には僕のやるべきことがあったし、父もそれをわかってくれるはず。生涯現役、自分の仕事場で最期を迎えるような父親だ。「自営業」という職業の意味を父親の背中を見つめながら僕は子供の頃から他の友だちよりも深く理解していた。

それからの2日間のライブ(父親のことは翌年まで公にしなかった)、その翌日からの通夜と葬儀、父の住んでいたマンションをひきはらって、経営していた中古車屋を閉めて顧客に連絡して解体するまでの怒涛の数ヶ月を思い返すと気が遠くなる。いろんな人に迷惑をかけて、そしてそれ以上に皆さんに助けてもらった。一人っ子で親を亡くすのって頼れる人がいなくてなかなタフだけど、そもそも自分には兄弟がいたことがないのだから比較対象がない。これまでもこれからもきっとそう。父がいなくなってからの4年は自分自身の健康問題のことがあったり、コロナ禍になったりで、なんだかもうあっという間。もう少し落ち着いてクシャクシャの笑顔の遺影を前にゆっくりビールでも飲みたいものだ。この父親の満面の笑みの写真を撮れたことがオレ的親孝行だったかもしれないな、とフレームを指で触りながら想う。

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Posted by monolog at 23:32│Comments(0)