これが最後の紅梅
今住んでいる家に越してきてから12回目の春。その12年のあいだずっとすぐ窓の外に美しく咲き誇った真っ赤な紅梅の木があって、それはうちの庭も含めてこの一帯の緑をきれいにしてくれている庭師さんが40数年前に山から移植したものだと聞いて以来もっと愛着がわくようになったのだけど、しかし、その紅梅が切り倒されて除去されることになった。土地が売却され、新しい家が建つのだ。毎年春になると真っ赤に咲いて、時期が来ると赤い花びらがうちの庭やベランダに降り注ぎ、猫の体にその花びらがくっついたり、とても風情のあるものだった。
その日、朝早くからクレーンや重機、何人もの作業員がやってきた。もしかしたら根っこから抜いてどこかに移植してくれたりして、とか考えたけど梅の木の大きさからしてやっぱり無理な話。紅梅は今一番花が咲いている状態なのに無慈悲に(いや、切る人も辛かったと思うけど)どんどん枝を切られていった。どんどん痩せ細っていく紅梅、その切り口が赤くて血が出てるみたいに見えてびっくりした。花が咲くときだけ赤いのだろうか。僕がずっとその作業を塀越しに背伸びして見つめていらたら、物欲しそうに見えたのだろうか作業をしてたおじさんが「花のついた枝、いるかい?」と声をかけてくれたので「あの高いところの花がたくさん咲いてるところをください」とお願いした。

うちの庭にわけてもらった、真っ赤な花をつけた紅梅の枝を置くと、ふわっと春の風が吹いた。本当にそう感じたのだ。結局その日、朝から始まった作業は夕方までかけて大きな紅梅一本を抜くために費やされた。枝を落とされて幹だけになった紅梅を最後はクレーンがバリバリと音を立てて引き倒した。ひとつの生き物の終焉を時間をかけて見届けた。ふと我が庭の地面に視線を落としたらそこに植えた記憶もないクロッカスが花を咲かせていた。とても可憐に。もう来年の春にここに紅梅が咲かないなんて信じられない。だけど多分幻影みたいに、亡霊みたいに、あの新しく名前をつけたくなるような赤い色(そして背景の青空)が思い浮かぶのだと思う。12年も見続けた花だから。

Posted by monolog at 23:57│
Comments(3) │
何年か前、私が生まれる前から花を咲かせていた桜の大木が町工場の倉庫を作るために切り倒されたことを思い出しました。悲しかった。複雑な想いでした。見上げた空の青と桜色。私もずっと忘れません…
以前友人が、桜の花は幹全体からあのピンク色を作り出していると聞いた事を思い出して
少し調べてみたら下記のコラムを発見しました。
http://www.tokyo-colors.com/column/「桜の樹皮に宿るピンク」の話/
もしかしたら、この紅梅も幹全体からあの紅色を産みだしていたのでしょうか。
お気に入りが無くなってしまう事は、少し寂しいですが…
いつか、この紅梅の描いた景色や、失って寂しい気持ちが、山田さんの奏でる歌やメロディに変身して誰かの元へ届いていくのかなぁ。と想像したらそれはそれで素敵な事だなぁ。と思ってしまいました。
もう花とはこれでお別れだけれど、山田さんの詞とメロディで是非この「紅梅」を残してあげてください。
「桜桃忌」より3ヶ月ほど早い「紅梅忌」…あっ、桜、桃 梅の揃い踏み。