2017年04月23日

いよいよ本日発売日になりました|エッセイ集『猫町ラプソディ』をよろしくお願いします



いよいよ本日4月23日、『猫町ラプソディ』全国発売日となりました。あらためて、どうぞよろしくお願いします。オフィシャル通販STOREの送料無料での申し込みは本日いっぱいとなります(もれなくサインとポストカードがつきます)。母親から名入れリクエストのリストが山ほど届いて、またたくさんサインを描いているよく晴れた朝。今日は本と花を贈り合う「サン・ジョルディの日」であり「子ども読書の日」と本にちなんだ記念日かいろいろ。さらには地ビールの日でもあるそうです。夜には下北沢の本屋B&Bで本とビールで乾杯しましょう。当日券については直接お店にお問い合わせください。


2017年4月23日(日)@ 下北沢 B&B
山田稔明「猫と暮らす人生は、かくも素晴らしい」
『猫町ラプソディ』(ミルブックス)刊行記念

18:30開場 19:00開演/1500円(1オーダー別途)
出演:山田稔明/ゲスト:桑原奈津子(料理研究家)

下北沢 B&B(http://bookandbeer.com/
世田谷区北沢2-12-4 第2マツヤビル2F


この1週間のこと。月曜日からひたすら本の発送、毎日切れ間なく。水曜日は渋谷クアトロへドラマー/コンポーザーの矢部浩志さんのプロジェクト MUSEMENTのライブを観にいった。奔放なメロディと緻密なアレンジメント、濃厚なステージでした。カーネーションのリユニオンに熱くなった。豪華ゲストのなかでレースカーテンのような透明感を醸し出していた元レーベルメイトであり地元の後輩であるLocul Busの野未山さんのすっとした歌が印象的で今度福岡で歌う時は一緒に何かできたらな、と思う。それにしても矢部さんは優秀なソングライターだ。坂田学さんのソロアルバムも素晴らしかったし、ドラマーが書くメロディはなにか特別な魔法がかかるのか。盟友溝渕健一郎の新譜にも感心した(コメントを寄せました)。

金曜日、絵を飾るフレームが必要になって探しに。IKEAに行ったのはいつ以来だろうか。季節柄、自分が上京したての学生で新しい暮らしを始めることを妄想するのになかなか楽しい空間。今週から、中断していたある楽曲のレコーディングが再開。ギターとハーモニカ、そして昨日はメインボーカルを録って今日はこれからコーラスを録音する。5月に入ったら完成か。昨日はレコードストアデイだったので夜になってレコ屋めぐりをしたが、つまるところ自分にとってはほぼ毎日がレコードストアデイなのだよな、と改めて思った。


  

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2016年09月29日

写真絵本『ひなたのねこ』増ページ&豪華装丁版の全国発売が決定しました|発売記念ライブも決定!

ひなたのねこ表紙


2014年春に私家版として1000部を発売し完売した写真絵本『ひなたのねこ』、
多くの再発売のリクエストをいただいていたこの本が大幅にページを増やし、
ハードカバーの豪華装丁にて完全版として11月3日に発売されることになりました。
山田稔明による書き下ろしテキスト、そして帯文を小林聡美さんに書いていただきました!


ひなたのねこ/山田稔明

発行 ミルブックス 
定価 本体1,200円(+税)
2016年11月3日発売予定
ISBN978-4-902744-84-2 C0772 
B6・ハードカバー・フルカラー48頁 

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会ったこともないのに、
どうしてこんなに懐かしいのかな。
ねえポチや。 ー小林聡美
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話題の人気猫小説『猫と五つ目の季節』の著者、音楽家・山田稔明が、
小説の主人公でもある愛猫・三毛猫ポチとの穏やかな日々を綴った写真絵本

ありふれた日常を文学的に描いた歌詞に定評がある著者が、膨大な写真から厳選した愛猫ポチの愛くるしい姿を、四季をめぐる優しい物語とともに、美しい写真絵本に紡ぎました。猫がそばにいる些細な日常にこそ幸せがある。そんなことが感じられる、心がほっとあたたかくなる絵本。自分にとって本当に大切なものを見つめ直すきっかけになります。
私家版として1000部限定で販売したものが即完売し、多数の再発リクエストをいただいていた本書。今回、大幅に増ページしデザインもバージョンアップ、さらにはハードカバーの豪華装丁の完全版! 私家版をお持ちの方にも自信を持って楽しんでいただける内容になっています。本文は、ひらがなとカタカナだけで書かれており、大人はもちろん、4〜5歳の子どもから読める写真絵本です。
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この本は僕とポチがともに過ごした四季の記録です。ポチは小さな庭のあるこの家で、伸び伸びと毎日の暮らしを謳歌しました。風の吹き抜ける涼しい場所、あたたかな日向、草花の芽生え、ひとつ先の季節の兆し。些細な日々の機微に気づかせてくれたのは、いつも彼女でした。ページをめくるたびに、彩り豊かな春夏秋冬の記憶がよみがえります。ポチは僕にとって今でも、この世界で一番か二番目に可愛い猫。決して巻き戻ることなく未来へ向かって進む時間のなかで、いくつもの季節が過ぎても、目を閉じればいつでもそこでポチが気持ちよさそうに日向ぼっこしています。彼女の物語は僕のなかでずっと続いていくのです。(あとがきより)

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2016年10月29日(土)@ 下北沢 風知空知
山田稔明『ひなたのねこ』完全版 リリース記念ライブ
“ひなたのねこ LIVE 2016”


14:30開場 15:00 開演/前売3500円 当日4000円(ドリンク代別途)
出演:山田稔明


2014年春に私家版で1000部限定で発売した写真絵本『ひなたのねこ』。約半年で完売してから、多くの再発売のリクエストをいただいていた本書が、大幅増ページ、ハードカバーの豪華装丁の完全版として11月3日に発売されます。私家版をお持ちの方にも、自信を持っておすすめできる、新しい『ひなたのねこ』が完成しました。このリリースを記念して、先行発売会を兼ねたライブを開催します。当日は『ひなたのねこ』の主人公ポチがいなければ誕生しなかった、いわば愛猫ポチとの“コラボレーション”による楽曲を中心にたっぷりと演奏します。

*10月3日(月)19時よりオフィシャルサイト通販STOREチケットセクションにて入場申し込み受付開始

下北沢 風知空知
〒155-0031 東京都世田谷区北沢2-14-2 JOW3ビル4
電話:03-5433-2191  
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2016年08月20日

『パイドパイパー・デイズ』と『1974年のサマークリスマス』|好きなものを好きでい続ける力



長門芳郎さんが上梓した『パイドパイパー・デイズ 私的音楽回想録 1972-1989』はページをめくるたびわくわくするような、読み応えのある本だった。僕が大学進学のために上京したのが1992年、南青山にあった伝説のレコードショップ“パイドパイパーハウス”が閉店したのが1989年だから僕はパイドに全然間に合わなかった世代だ。しかし古雑誌に掲載された広告や人づてに聞く話で彼の地に憧れをいだいた僕はGOMES THE HITMANのデビュー時に長門芳郎さんとの食事会を切望し実現、デビュー作の販促フライヤーにライナーを書いていただいて、それ以来ずっと今日までかわいがっていただいている。

長門さんが日本のポップスとロックに寄り添い支えてきたすごい人なのはもちろん十分承知しているが、お会いするたびいつも世間話や猫の話、最近こういうレコードが出たとか誰がどうしてこうしたとか、そういういつ果てるか知れない会話を交わしていると長門さんは僕にとって少し年の離れた音楽好きの地元のセンパイ(長門さんは長崎で僕は隣の佐賀だ)みたいな感じがしてくる。数年前たまプラーザにあるアメリカンダイナーで一緒にご飯を食べて遅くまで話をして、長門さんが薬師丸ひろ子作品を手がけたときの話がすごく面白くて(ちょうどNHK朝ドラで「あまちゃん」をやっていたときだった)その話を含め長門さんが見てきた風景をそのまま映画にして欲しい!と熱く語った夜があったが、まさに『パイドパイパー・デイズ』のなかで語られるのはそのときの映像まで想像してしまうようなイマジナティブな物語である。聞いたことのある話も初めて知る逸話もいっぱい。音楽が、メロディが聴こえてくる一冊でした。

時を同じくして読んだのが柳澤健著『1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代』で、これも自分の知らない時代を時系列で語った興味深い内容だった。家にいるときには朝から夜まで一日中ラジオが流れっぱなしの生活になってからもう5年くらい経つだろうか(東日本大震災と符号する)、チャンネルはいつもだいたいTBSラジオなのだけど、この本はそのTBSラジオにおいて伝説の深夜ラジオパーソナリティとなった林美雄氏とその時代に迫るノンフィクション。久米宏氏をはじめ小島一慶、小林豊、小島慶子等、各氏による回想も仔細なものだった。ユーミンや映画、タモリ、演劇作品を“発見”し、サブカルチャーという言葉がまだなかったときにさまよい悩める若者のガイディングライトとなった人物とその周りにいた人たち。メディアが体制に対して明確な意思を持っていた時代の話。

この2冊を続けて読んで感じ入ったのは「先見の明」の鋭さみたいなことでは全然なくて、とにかく自分が好きなものを突き詰めて、掘り下げて、枝葉を辿っていく探究心、そして好きなものを好きでい続ける継続力が何かの潮流や心の動きを生む、ということだ。音楽や映画や書籍なんかがなくても人の生き死にには関係ないかもしれないがクオリティ・オブ・ライフについて考えたときに僕らにとって音楽や映画や書籍は重要だ。僕は息を飲みながら『パイドパイパー・デイズ』と『1974年のサマークリスマス』を心の豊かさを獲得するための奮闘記として読み終えた。

今晩9時からは長門さんがずっとパーソナリティを担当するラジオ「ようこそ夢街名曲堂へ!」のオンエア、そして明日はタワーレコード渋谷5階に期間限定で復活したパイドパイパーハウスで長門さんとトーク、どんな話が聞けるのかとても楽しみな週末です。



2016年8月20日(土)21:00〜21:55
K-MIX(静岡エフエム)「ようこそ夢街名曲堂へ!」
*山田稔明ニュー・アルバム『pale / みずいろの時代』特集

再放送8月22日(月)28:00〜28:55 O.A.(=火曜早朝4:00〜4:55 O.A.)
パーソナリティ:長門芳郎/土橋一夫
ゲスト:山田稔明

「ようこそ夢街名曲堂へ!」公式HP 
※LISMO WAVE/ドコデモFM/Radiko.jpプレミアムを使えば全国で聴取可能。



<インストアイベント @ パイドパイパーハウス!>

2016年8月21日(日)@ タワーレコード渋谷店 5F
PIED PIPER HOUSE in TOWER RECORDS SHIBUYA前特設スペース
山田稔明『pale/みずいろの時代』発売記念
山田稔明+長門芳郎トークショー

出演:長門芳郎、山田稔明
日時:2016年8月21日(日)15:00 -

参加方法:観覧はフリーです。
サイン会参加券配布店舗:渋谷/新宿/池袋/横浜ビブレ店の4店舗
内容:トークショー・ミニライブ・サイン会

対象店舗で山田稔明 「pale/みずいろの時代」(GTHC-0008)をお買い上げ
いただいたお客様に、先着でサイン会参加券を差し上げます。サイン会参加券を
お持ちのお客様はトークショー終了後、サイン会にご参加頂けます。

*イベント詳細はHPをご確認ください  
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2015年10月10日

小説「猫と五つ目の季節」のこと4



初めてのCDができたとき両親はそれなりに喜んで、何十枚も買い込んで親戚や知り合いに配ってまわっていたけれど、それが20年近く経つと新作が出ても「あら、そうね」と全然興味を示さなくなります。しかし本、ましてや小説となると“威厳”のようなものがあるのか、出版報告をすると(父も母も小説中に登場するので伝えざるをえなかったのです)「へえ!」と父母とも驚き、「あのお笑い芸人の人のようにベストセラーにならんやろか?」と父母ともに言い、『火花』の市井への影響力の大きさを再認識したのです。

そしてついに本が完成したので一足先に両親に贈ったら、すぐに電話がかかってきた。父はまず「誤植があるぞ」といい、主人公が“稔明”の名前ではないことを指摘。エッセイだと思って読んでいたのでしょう、いろいろ説明して納得してもらい、「お父さんがいっぱい売っちゃるわ」と言う。で、今朝早くに何回も母親から電話がかかってきて「あんた、誤植があるよ」とまた言うので聞けば「サクラの木」が「サワラの木」になっとるばい、と。しかしそこは僕は「サワラの木」のことを「サワラの木」と書いたわけで、そう説明するとオカンは安心したように「あら、そうね」と言い、「お母さん、もう50冊知り合いに売ったけん全部サインいれてはよ送らんね」と言い残して電話を切った。多分、誤植の妖精というのがこの世界にはいるので、誤植のない本など存在しないのだ。僕はすでにひとつ脱字を見つけたから早く増刷になって修正できたらいいなと思う。

本を作ってみて、こんな小さな字をもう父も母も読めなくなったり読まなくなったりしてるのではないか、とか、小説を最後まで読むような集中力をもう年寄りだから持ち合わせてないのではないか、とかいろんなことを考えたのだけど、あっという間に読み終えた両親の声を聞き、CDと違って再生装置が要らない本というのは数千年も続く根源的なエンタテインメントなのだなと当たり前のことを改めて思ったのです。ちゃんと感想を聞きたいような、聞きたくないような。しかしちょっとした親孝行にはなったのかもしれません。

さて、本日発売のCASA BRUTUSの「LIFE@PET」というページで愛猫ポチ実が紹介されています。丁寧に取材をしていただき素敵なページになっています。ぜひ書店、コンビニで手にとってみてください。




表紙_1_2_S
 猫と五つ目の季節 山田稔明

 出版社:ミルブックス |2015年11月3日 発売 価格1300円(+税)
 四六版 ハードカバー 176ページ ISBN978-4-902744-79-8 C0093
 近日中にオフィシャルサイト通販にてプレオーダー受付を開始します(特典カード付)
  
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2015年10月09日

小説「猫と五つ目の季節」のこと3

昨日のこと、完成した小説「猫と五つ目の季節」を持っていろいろお礼参り。CDができると必ずヒット祈願に行くのが深大寺、昨日も気持ちのいい空気でした。そして今回は小説のなかでも重要な立川水天宮 阿豆佐味天神社、通称“猫返し神社”へも報告とお参り。ここへ来るのはポチが亡くなったすぐ後、ポチ実がうちの猫になった後、そして写真家の下村しのぶさん(「おばあちゃん猫との静かな日々」著者)に付き添って以来の4度目だが、いつきても溢れる愛とか優しさに胸がいっぱいになる場所。

引き続き友人知人から一足先にいただいた小説への感想を紹介したいと思います





すごいラブストーリーを読ませてもらいました。「これでもか」というほどのラブストーリー。
人を想う気持ちよりもピュアで、ストレートで汚れも誤魔化しもない、愛情だけが詰まった物語。
山田さんとポチの日々を覗き見させてもらい、芳恵さんの言葉をきっかけに共に泣けて幸せでした。
自分は優しく染み込んでくるような山田さん楽曲の一ファンなんですが、読んで納得です。
「こんな人ならそりゃそうだ!」と、少し笑ってしまいました。すべてはポチに感謝です。

塚本直毅さん(お笑いコンビ ラブレターズ)




友人としてバンドのメンバーとして、近くで見て聞いて体験もした山田稔明とポチの愛すべき
物語を「ああ、そうだったなあ」としみじみと思い返したり、「へえ、そうだったんだ」と
知らなかった事実に驚いたりしながら夢中になって最後まで読みました。
自分も猫を飼うようになった今、彼とポチの寄り添いながらの暮らしにはいっそう深く共感を覚え、
別れの場面ではもし自分の猫がそうなったらと想像も重なり、何度も何度も涙で文字が滲みました。
そして物語の最後に訪れた奇跡に改めて拍手を送りたくなりました。

愛するものと暮らすことの喜びが丁寧に紡がれた言葉の端々から伝わり、猫を飼っている人は勿論、
飼っていない人も読後に豊かであたたかな気持ちになれると思います。彼の自伝的青春小説としても、
猫を飼うに当たっての指南書としても読める1冊です。
個人的には厳しくも優しい猫先輩が与えてくれた教科書だと思い、
何度となく読み返そうと思っています。傍に眠る猫の姿を眺めながら。

五十嵐祐輔さん(fishing with john)



猫たちへの愛情、運命的なつながりがすごいなと思いました。
葬儀を終えて号泣するシーンでは、私も一緒に泣いてしまいました。
愛猫ポチを見て曲や詩が生まれる場面は、ミュージシャンならではの
描写が素晴らしかったです。随所に書かれている猫に関する豆知識は、
長年猫と一緒に暮らしている私も知らないことがたくさんあって、
そこも面白く役に立ちました。

木下綾乃さん(イラストレーター)



ものごころをついたときから家に犬がいた。秋田犬、ハスキー、雑種、
大学で実家を出るまで何匹の犬と過ごしたのだろう。覚えていないなんて
なんて薄情なのでしょう。結婚して娘ができて彼女が4歳(くらい)のときに
犬が飼いたいと言い出してミニチュアダックスフンドがやってきた。そして今も一緒にいる。

犬は人につく。言葉の通り妻についている。私にはそっけない。
散歩にいきたいときだけ近寄ってくる。あとは大体眠っている。

猫と暮らしたことがない。いや、よく考えてみれば、
猫に触ったこともない。猫が生活の中にいなかったのだ。

この本を読むと猫と暮らす人の気持ちがよくわかる。すべては猫を中心に回っているんだ。
世界中の人が猫と暮らせば争いは減るんじゃないかあとさえ思った。だってやることがたくさん
あるんだもの。お世話はもちろん、写真もいっぱいとらなくちゃならないし。

「人間には、猫と暮らす人生と猫と暮らさない人生、その二つしかない」ってセリフがあった。
犬と暮らす人生もあるよと小さな声を心の中だけで漏らした。そう、普段はちっとも犬のことなんて
見向きもしなかったのだけれど、そんな気持ちになり、いつもより遠くまで散歩に行き、嫌な顔を
されるくらい体をなでるようになった。

自分の生活にかかわるものに、もっと愛情を持ってかかわらなければ、
そんな風に思って本を閉じると、心にスーッとやわらかな風が吹いた。

庄野雄治さん(アアルトコーヒー)




きらめくフィルムの世界のように、その情景が目に浮かんでは消えました。
そして、不覚にも泣いてしまいました・・。

少しずつ変わっていく毎日やその中の悲しみや喪失感でさえ、
すべて愛おしく感じました。
だから喜びってあるのでしょうか?
だから希望の季節がやってくるのでしょうか?

宮川 敦さん(風の栖、NAOT)
  
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2015年10月07日

小説「猫と五つ目の季節」のこと2

昨日のこと、初めて書いた小説「猫と五つ目の季節」の本が刷り上がって、ついに手元に届いた。CDができあがったときと同じように嬉しく、さらには単行本の手触り、重さ、インクの匂いは新鮮で新しい喜びでした。カバーを取った表紙の柄、「花布(はなぎれ)」と呼ばれる背の上下につく飾り布の色、栞の色味までまでこだわらせてくれたミルブックスに感謝。きれいで素晴らしい本ができあがりました。

これから数回にわけて一足先に物語を読んでくれた友人知人からの感想コメントを紹介していきたいと思います。

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小説読ませてもらいました。
もう、泣きましたよ。
山田さんにしか書けない物語ですね。
ポチが亡くなったときの壮絶な悲しみをこれを読むまで
私は想像できておらず、申し訳ない気持ちになりました。
「猫を飼うものと、飼わないもの」という言葉がずっしりときました。

山田さんにとって、兄妹であり子どものような存在だったのですね。
一人の家族なんだなあって、いまさら!と思われるかもしれないけれど
猫を飼ったことのない私にも一人と一人が愛情で繋がっているんだっていう
当たり前のことを教えてくれたように思います。

とても優しくて、力強い物語でした。

高橋久美子さん(作家、作詞家)




書かざるをえない小説を書かれた、という感じがしました。
言い方を変えれば、ポチが書かせてくれた小説。
『the loved one』と『猫と五つ目の季節』はきっとセットで、
山田くんにとって人生を振り返らせるいい機会だったんでしょう。

僕はこれ小説というより、長いエッセイのように読みました。
ほとんどフィクションを感じない。
山田稔明という人物の十数年を重ねて読みました。
音楽と猫、それにまつわる友人たち。
ここには山田稔明という人のいつわりない立ち姿があらわれている気がします。

清水浩司さん(映画「夫婦フーフー日記」原作者、小説「コブルストーン」著者)



猫と暮らす人生と猫と暮らさない人生。
主人公は吸い寄せられるように猫と暮らす人生を選んだ。
思えば、人生の選択なんてこんなことなのかもしれない。
猫と暮らすその日々は恋愛そのものであり、それ以上であり、生命と生命の繋がりであった。
僕ならどうするかな?そんなことを考えながら読むと、嬉しくも楽しくもあるし、ちょっと怖くもあった。
新しい恋愛小説、おにいさんとかわいい猫との胸きゅんラブストーリーをどうぞ。

佐藤満春さん(お笑いコンビ「どきどきキャンプ」、構成作家)




これは家族の物語。家族の在り方は今、多様化している。昔のように
お父さんとお母さんがいて、子どもが2人、おじいちゃん、おばあちゃん、
みたいな家は減っている。私の知り合いの男性は男性のパートナーと暮らし、
代理母が産んだ赤ちゃんを、お母さんも手伝って3人で育てている。
ものすごく幸せそうで自慢げな写真がアメリカから送られてきた。
家族って、当人たちが「自分たちは家族」と思ったら家族なんだ。
家族は自分たちで作っていくもの。そして社会はそれを支援すべきだ。

山田稔明さんの「猫と五つ目の季節」は山田さんと猫のポチがいかに
家族になって行ったか、それを描いている。ポチは言葉が話せないから
山田さんはポチのことを分かろうと懸命に努力する。ポチは最初戸惑いながらも、
徹底的に甘える。これ以上深くなることがあろうかという家族愛。
と同時に多くの芸術家に「ミューズ」がいるように、
ポチは山田さんにとってのミューズでもあり、作品を生み出す源でもある。

こんなに素晴らしい家族に巡り合え、絆を深め、共に過ごせた山田さんと
ポチがうらやましい。絶対的な信頼と愛。何人もそこに入り込めない。
でも同時に、周りにふたりの絆は温かく広がって行きもする。多くの仲間を呼ぶ。

素晴らしく、理想的な家族の物語。
優しくて、しかし、やがて悲しく、そして、驚きがある。
猫が好きなに人もそうでない人にも。どんなに時代が移ろうと。普遍的な家族の物語がここにある。

和田靜香さん(音楽ライター。著書に『おでんの汁にウツを沈めて』『評伝・湯川れい子 音楽に恋をして』等)



愛する者への 世界一長いラブレター。山田くんにニャオキ賞をあげたいくらい素晴らしい。

杉真理さん(シンガーソングライター)
  
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2015年04月18日

小さな巣をつくるように暮らすこと



等々力の家具と雑貨のお店巣巣の店主岩崎朋子さんの初めての本が出た。2010年の秋に知り合って以来公私に渡ってずっと仲良くさせてもらって、いろんなことを企んだりお世話になったりしている。著書『小さな巣をつくるように暮らすこと』を読んでいると、細々と整理整頓したり埃をはらったり掃除したくなったりする。暮らしに少しハッとした気づきを添えてポジティヴシンキングさせてくれるような本でした。巣巣は僕にとって交流の場、「人」と「モノ」が結びつくと楽しいということを知った場所。ここで知り合った人がたくさんいて、今の自分の活動の糧、刺激になっています。この人がデザインした家具、この人が作ったお菓子、この人が調理したご飯、この人が焙煎したコーヒー、この人が描いた絵、この家族が収穫したお米、この人が作った本、この人が演奏する音楽・・・。顔が見える等身大のモノコトがいい、と思うようになりました。ぜひ暮らしのエッセンスとして岩崎さんの本を手にとってみてもらえたら、と友だちとして誇らしくお薦めしたいと思います。

4月29日には巣巣で出版記念イベントがあり、僕は巣巣で知り合ったけものと一緒に歌でお祝いを。



2015年4月29日(水祝)@ 等々力 巣巣
岩崎朋子「小さな巣をつくるように暮らすこと」刊行記念
トーク&ミニライブ

18:30-20-30(料金 1000円)
・もりかげ商店のおはぎとお茶
・ダンラナチュールのクッキーのお土産つき

トーク:「暮らしのこと、お店のこと」
     hal店主 後藤由紀子 x 岩崎朋子

ライブ:山田稔明、けもの(青羊+イシカワアユミ)

*巣巣HPにてご予約受付中

等々力 巣巣(http://www.susu.co.jp/
東京都世田谷区等々力8-11-3
TEL: 03-5760-7020


  
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2014年08月31日

秋の夜に備えるべきトーチ。



大山卓也著「ナタリーってこうなってたのか」を読み終えた。リリースのたびにナタリーには毎度とてもお世話になっている。ナタリーに情報掲載をお願いするメールを送るときは「いつもお世話になっています。GOMESの山田です」と始まるメールを必ず自分で書いて送るようにしていて、それがテキストになって掲載されるのを読むのがいつも楽しみでもある。ナタリー以前のミュージックマシーンも(津田さんの音楽配信メモもそう)圧倒的な情報量を誇る有益なサイトで、いち音楽ファンとして毎日眺めていたのだけど、2007年から始まったナタリーがなければ世の中はまったく違うものになっていただろうと思う。受け取る側にとっても発信する側にとっても。本のなかで卓也さんが「編集者の仕事は自己表現ではない」ということを書いていて、僕は自分に近い人間としてミルブックスの藤原さんのことをすぐ思った。もの、こと、人を“編集”する誰かがいてこそ、そこに情報の交通整理ができるのだな。

今日で8月が終わって明日から9月。読書の秋に読むべき本が本棚に積み上がっている。トーチを用意しよう。  
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2014年08月13日

対談 横尾忠則+保坂和志「猫が死んだ」



久しぶりの連なる休み。新潮9月号を買いに本屋へ。うちの猫より少し早く(20日ほど前)芸術家横尾忠則氏の愛猫タマが亡くなったことをTwitterで知り、つぶやきとして吐露される氏の悲しみの深さに共感していたのだけど、保坂和志氏と猫についての対談をしたという告知があったので楽しみにしていたのだ。僕が猫を亡くして1ヶ月と少し経った先日のラジオ番組の収録時にパーソナリティの女性(旧知の仁井聡子さんだ)が「山田さんは悲しみを包み隠さず『僕は今悲しいんです』と全力で悲しんでいるところが人間らしくて見ていて清々しい」というようなことを言ったのだけど、小説や随筆のなかで“猫が死んだことが比喩ではなく本当に胸が張り裂けそうなほど痛い”ように記述する保坂和志氏の感情表現に僕は影響を受けているのかもしれない。保坂さんはいつだって猫の喪失については“大人げない”書き方で深く悲しむ。

そんなことを思っていたので、猫を亡くして体調を崩して入院までしてしまった横尾忠則氏を見舞うかたちで行われた対談は、とても悲しく、しかしオモシロ可笑しく、生と死の間での人間と猫についての興味深い考察が繰り広げられていた。保坂さんが冒頭で「僕も、猫が死んだときに花をもらったら、自分のためじゃなくて、本当に死んだ猫のために花が来たという感じがしてそれがよかったので…」と作家の磯崎憲一郎氏と共同で花を送った経緯を語るのだけど、これは本当に僕もこの1ヶ月ずっと感じていたことで「これ、ポチちゃんに…」と届くお花や供え物を受け取るとき毎度「ああ、ポチが喜ぶなあ」「これポチが好きそうなおもちゃだなあ」と心から思う自分がいたことに気づいた。横尾氏が猫のタマを庭に埋め白い砂利を敷き花を植えてモニュメントのようなものを建てて、そこを「タマ霊園」と呼んでいることも可笑しくて少し笑った。うちも神棚のような祭壇を作って、そこを「ポチ棚」と呼んでいる。みんな同じだ。

そしてこれはユリイカ2010年11月「特集*猫ーこの愛らしくも不可思議な隣人」での角田光代氏と西加奈子氏による対談でも触れられていたことなのだけど、“猫は自分で飼い主を選択する”という話題になって、保坂家の花ちゃん(小説「生きる歓び」に出会いが描かれている)も横尾家のタマも偶然の事象が重なってそこの家の猫になっていることが語られていた。うちのポチもそうだ。ポチは他のたくさんの猫と一緒に里親募集に出されたのですが(現在等々力の巣巣の「ひなたのねこ」展会場に置いてある「NEKO」という雑誌にその記事が載っています)、間一髪で僕が引き取ることになったのだ。ポチの子ども(ポチには子どもがいたのです)は引き取り手がいなかったのでバリ島に行くことになったと後で聞きました。これは僕が飼う!と決めたのではなくポチが「バリより吉祥寺のほうがいいにゃ!」と決めたのです、きっと。この横尾保坂両氏による対談「猫が死んだ」は優しく悲しく可笑しく、心に染み入るような穏やかな読後感を残すものでした。興味のある方はぜひ読んでみてほしい。

こないだ四十九日で浄土へ旅立ったということになっているポチですが、今はちょうどお盆なのできっと里帰りしてきている。ポチが元気だった頃、テーブルの上、僕の目の前で香箱を組んでうたた寝するポチを見ながら撫でながらお酒を飲む“ポチ見酒”というのを僕は好んだのですが、昨晩は「これをポチちゃんに」といただいた高知名産のカツオ加工品を(もう四十九日も過ぎたから)酒の肴にしてだらだらと飲んでいたのです。するとフッ!と足元に風を感じて「あ、ぽっちゃん。おまえのカツオをごめんよ」とカツオの一欠を小さなお皿にいれてポチ棚に捧げて、iPhoneのなかにあるポチの写真を見ながらの“ポチ見酒”でした。さびしいなあ…と相変わらず思いながらも、こんなに強く穏やかに愛する何かについて思いを巡らす季節を今までの人生のなかで初めて過ごしていると感じています。

四十九日までは毎週なんらかの名前がついた法要があったのですがそれもなくなり、次は9月26日の百ヶ日忌だそうです。想いは途絶えることはありません。今日でポチが逝ってから8週間になりました。

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2014年06月20日

「Qui La Laの夏物語」にまつわる物語



イラストレーター中村佑介くんのイラストのために歌詞を書く依頼を受けたのが今年の2月、東京に大雪が降る前のことでした。編集を担当するのが2000年に一緒に『cobblestone』の小説やパンフレットなどを作った清水浩司さん(著書「がんフーフー日記」が映画化決定!)であるという縁深い繋がりにも驚きながら僕はその仕事を快諾するわけですが、続いて届くメールには歌詞を書くにあたって参考になるようにと、“きららちゃん”という架空のキャラクターについて「書店系の文系アイドル」というざっくりとしたキャッチコピーと、詳細に書かれた彼女の履歴書が添付されていました。それによると彼女は東京三鷹市の下連雀に住む18歳で、「東川篤哉から安部公房、横溝正史からサガンまで乱読気味」な文学少女らしい。それで、最初に僕の頭に浮かんだのが下連雀の禅林寺の、森鴎外の斜向かいにある太宰治のお墓のこと、そして6月19日の桜桃忌でした。近所に住んでいる“きららちゃん”が桜桃忌に手を合わせにいかないはずがないのです。僕が選んだ中村くんの絵は季節は夏、猫の耳をつけた女の子が金魚鉢や風鈴と一緒に描かれたものでした。

そして翌月3月17日にだれもいない静かな禅林寺の太宰のお墓の前まで行ってみたのです(その日のブログ)。その段階ですでに「雨降り/水無月/桜桃忌も過ぎて」という言葉とメロディはできあがっていて6月後半から7月の歌という設定にしました。僕は作詞作曲家として歌を作ることが主たるソングライターなので言葉だけを書くよりも歌詞とメロディをふんふんと歌いながら一緒に作るほうが得意です(「曲はどうやって?」と訊かれると「同時です」と答えるのはそういうことです)。禅林寺から帰る道すがら生き生きとしたリリックがするすると連なっていき、それはとても楽しい作業で、結局AメロからBメロ、そしてサビと一気にできあがり、あとはひたすら推敲して「Qui La La の夏物語」がついに完成します(提出したのは北とぴあプラネタリウム公演の前日3月25日でした)。その時点でリズムもメロディもできあがっていて、個人的には15年前にGOMES THE HITMANがリリースした『weekend』収録の「ストロボ」を2014年に更新するようなイメージが浮かんでいました。

「きららちゃん」の見本サンプルがポストに届いた日に中村くんに完成お祝いのつもりで僕は自宅作業部屋でデモをさっと録音して(楽しい作業でした)MP3を送るととても感動して喜んでくれたのでもっと喜ばせたくて、“きららちゃん”の少女性を付け足すために唐津からレッスンと曲作りのために上京してきていたガールズバンドたんこぶちんのまどかちゃんに来てもらってユニゾンとハーモニーの歌を重ねてもらった(その日の日記)。なんと偶然にも彼女は“きららちゃん”と同じ18歳なのでした。そして素材をまとめて3rdアルバム『新しい青の時代』すべてでミックスを担当してくれた手塚雅夫さんに託し、キリッと音を整えてもらいました。その音源を小学館の方がリリックビデオにしてくれたのが上の動画です。楽器演奏はすべて僕、ボーカルに関して僕が一箇所「太宰ならこう言うわ」という女性言葉が恥ずかしくて「太宰ならこう言うさ」と歌ってしまっていますが、そこは申し訳ない。本当ならキー合わせをして全編まどかちゃんに歌ってもらいたかったのだけど、若々しい可愛らしさはふんだんに加味されていると思います。「これなんって読むんですか?」と桜桃忌を知らないまどかでしたが、太宰に惹かれはじめるのはきっとみんな18歳を過ぎたあたりなのではないでしょうか。そして昨日の桜桃忌、ファンが集いさくらんぼがたくさん供えられた墓石に「こういう歌詞を書きましたので」と報告したところでした。発売予定もなにもない、しかし今年の夏のキラーチューンになりうるような良い曲だと思いませんか?何回でも聴いてもらえたら嬉しいです。


Qui La La の夏物語/山田稔明 feat. MADOKA(たんこぶちん)

小学館|きららちゃん  
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2014年04月17日

特別寄稿「新しい」が描きだす新しい暮らし

note(ノート)のフォロワーが100名を越えたので記念に特別寄稿のテキストを公開しました。書いてくれたのは皇學館大学文学部国文学科で教鞭をふるう岡野裕行氏。ミュージック・マガジン2012年5月号に「いま、小沢健二が紡ぐ物語に魅せられて―ものごとはきっと歌の力で変わっていく」という素晴らしい考察文を書いた著者が発売を経て10ヶ月を迎える『新しい青の時代』を分析してくれました。6,000文字越えの大作です。推測考察の真偽については明言を避けますが僕はこの長い手紙のような文章を読んで感動し、僕の音楽を好きな人にもぜひ読んでもらいたいと思いました。100円での有料公開にしたのは受動的にではなく能動的に読んでいただきたかったからです。下記はサンプルとして無料購読できるさわりの部分ですが、本文はこの5倍あります。ぜひ「note」からご購入いただき音楽と一緒にお楽しみいただければ嬉しいです。売上で岡野くんに菓子折でも送ろうと思います。

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「新しい」が描きだす新しい暮らし

text by 皇學館大学文学部国文学科 岡野裕行

山田さんの『新しい青の時代』が2013年7月7日に発売され、日々の生活のなかで幾度も繰り返し聴くことができる日がやって来てから、10か月近くの時間が経ちました。2009年3月発売のソロ1作目『pilgrim』、2010年5月発売のソロ2作目『home sweet home』のときと同じように、ライブで何度も披露されてきた曲ばかりが収録されたこともあり、それぞれの曲たちを初めて生で聴いたときのことを思い出し、心地よいメロディーやフレーズを確認しながら聴くことができるのは、ここ数年の山田さんのCDを購入するときの楽しみのひとつでもあります。ところで「『新しい青の時代』に収録された曲たちは、いつ頃からライブで聴かせていただいていたのだろうか?」と思いまして、山田さんのブログの過去ログを遡ってみました(こういう作業を可能にする山田さんご自身の日々のこまめな記録に感謝します)。

,匹海惴かうかを知らないならどの道を行っても同じこと(初演は2011年9月10日の恵比寿天窓switch)
一角獣と新しいホライズン(初演は2011年9月10日の恵比寿天窓switch)
8と水の新しい関係(初演は2010年9月11日の恵比寿天窓switch)
ね輯供塀蕷蕕2012年4月7日の等々力巣巣)
ナ針泙碧萋の暮らし(初演は2010年9月10日の恵比寿天窓switch)
Ψ醋世りのナイトスイミング(初演は2011年9月10日の恵比寿天窓switch)
Г笋泙咾海了蹇塀蕷蕕2011年10月1日の等々力巣巣)
┯の葡萄(初演は2011年9月10日の恵比寿天窓switch)
日向の猫(初演は2011年12月27日のカフェ長男堂/2013年1月19日の表参道GROUNDまでのタイトルは「日向の猫とチャーリー・ブラウン」/2013年5月12日の大阪雲州堂のライブから「日向の猫」に改題)
ハミングバード(初演は2009年5月30日の恵比寿天窓switch/2012年2月5日までのタイトルは英語表記の「hummingbird」/2012年3月19日の札幌食べるとくらしの研究所のライブからカタカナ表記の「ハミングバード」に改題)
あさってくらいの未来(初演は2012年9月9日の等々力巣巣)

2009年の曲が1曲、2010年の曲が2曲、2011年の曲が6曲、2012年の曲が2曲という全11曲の構成になっています。月別で見ていくと、9月に発表された曲が7曲と圧倒的に多くて、それ以外は4月、5月、10月、12月にそれぞれ1曲ずつ発表されています。今回のアルバムの発売日は夏の盛りの時期でしたが、収録された曲たちは夏の終わりから秋の始めくらいの時期に、新曲としてお披露目されたものが多いということになります。特に2011年9月10日の恵比寿天窓switchでは、『新しい青の時代』の収録曲のうちの4曲が新曲として発表されていて、この日のライブが今回のアルバムの方向性を強く示していたのではないかという気がしています(この日のライブに足を運べなかったことは今でも悔しく思っています)。『pilgrim』『home
sweet home』『新しい青の時代』のソロ3作品のいずれにも、1曲目の歌詞のなかに「9月」という言葉が出てくるのは決して偶然ではないのでしょうね。


全文(6,653文字)をお読みになるには山田稔明のnoteからご購読(100円)ください。

山田稔明のnote:「新しい」が描きだす新しい暮らし  
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2013年06月13日

まよいながら、ゆれながら



先日「まよいながら、ゆれながら」という本が出版されました。福島のあんざい果樹園、札幌のたべるとくらしの研究所を営む安齋一家の2年間を描いたフォトエッセイブックです。僕はひょんなことから大震災後の2011年4月に初めて福島の果樹園を訪れて、そこでお父さんとお母さん、次男の伸也さん、そしてガイガーカウンターと初対面したのでした。その後の8月の結実の季節に再訪して食べた桃の美味しさは自分内での“桃革命”になるほど。2012年の春まだき3月の、白い息を吐きながらの札幌たべるとくらしの研究所でのライブも忘れられません。

この夏、この本の出版記念イベントとして(僕の『新しい青の時代』発売もあわせて)福島と札幌、そして東京で安斎家や中川ちえさんたちのチームとご一緒できることがとても嬉しいです。巻末奥付の協力者のリストに僕の名前をいれていただいているのだけどあんざい果樹園との出会いがなかったら得難かった感覚や想いがたくさんあるので僕のほうが感謝したいくらいです。下記はは僕がこの本に寄せたコメントです。


2011年の4月(大地震の翌月だ)にざわざわカタカタと鳴る胸を抱えて
あんざい果樹園を初めて訪れた日のことは忘れられない。
そこで美味しいご飯をいただいて談笑し、“家族”という言葉の意味を再認識した。
東京、鎌倉、札幌、そして諫早と波紋のように繋がっていく人の縁の中心は福島にある。
札幌を旅行するならたべるとくらしの研究所へ、
晴れた休日には福島のあんざい果樹園へ出かけたらいい。
力強い笑顔が待っている。 — 山田稔明



文中に出てくる「諫早」は伸也さん家族が一時期身を寄せた身を寄せた長崎県諫早市、本文中にも出てくる平湯さんが営む雑貨店オレンジスパイスがある街のことで、昨年末に僕は福田利之さんが繋いでくれた縁でそこにも立ち寄った。いろんなことが繋がっていくなあ、と思っていたら一連のイベントに中川ちえさんがつけたタイトルが“つながって、輪になって”だったという符号。

古い映像を整理していたら2011年8月にダンラナチュールなっちゃんたちとあんざい果樹園へおじゃました時の映像クリップがあって見入ってしまった。バックで流れる歌は「新世界のジオラマ」という、新作『新しい青の時代』からのアウトテイク、震災後に初めて作った歌だがこの歌を作るきっかけは札幌へ移った伸也さんが笑いながら言った「昔から開拓者精神って言うじゃない?」という言葉だった。今はもういない番犬のリンゴの姿も。ぜひ書店で本を手にとって、もしよかったらイベントにも遊びにきてください。




『まよいながら、ゆれながら』(mille books)発売記念&
『新しい青の時代』(山田稔明)発売記念共同イベント

     “つながって、輪になって”



7月7日(日)@ 福島 器やあんざい(あんざい果樹園内)
開催時間;11:00〜17:00(ライブ&トークは13時と17時の2回予定)
*入場無料/ライブは投げ銭制にご協力ください
器やあんざい/あんざい果樹園
〒960-2261 福島市町庭坂字原ノ内14 
電話024-591-1064


7月15日(月祝)@札幌 たべるとくらしの研究所
18:00開場/18:30開演/前売¥3,600(お菓子と飲み物つき)
出演:山田稔明、キッコリーズ [カポウ、鈴木裕、池田靖司]
*入場予約はオフィシャルサイトRESERVEにて受付中
たべるとくらしの研究所
〒064-0809 札幌市中央区南9条西11丁目3-12


7月20日(土)@ 蔵前 in-kyo
19:00開場/19:30開演/料金¥2,000(ドリンク&dans la natureのお菓子つき)
出演:中川ちえ(トーク)、山田稔明(ライブ&トーク)
*お申込みはミルブックスHPをご覧ください
in-kyo
〒111-0043 東京都台東区駒形2-5-1 1F
電話03-3842-3577  
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2012年03月14日

ハードボイルドとわたし




昨日のこと。終日今週末の札幌のためのリハーサルと準備。ウクレレ教室(ウクレレ付きコース)のお申込は締め切らせていただきました。かなり大人数のワークショップになりそうです。ウクレレ持参の方の席があと残りいくつか。Brown Books CafeではGTHとソロ楽曲を振り分けて二部制のライブなのでセットリストを作るのが新鮮で楽しい。19日のたべるとくらしの研究所も残席わずか。こちらは地元のキッコリーズとセッションを予定していて昨日はキッコリーズの曲を何度も個人練習。ご予約をお待ちしています。

年末に買った厚い本、小鷹信光著「アメリカ・ハードボイルド紀行 マイ・ロスト・ハイウェイ」を読み終えた。まったく知識も(それほどの興味も関心も)なかったアメリカ探偵小説やフィルム・ノワール、メンズマガジンなどを巡り綴られていく随筆だが、表紙と第一章(原爆実験の場となった北米砂漠での撮影に従事したジョン・ウェインや映画関係者が白血病や甲状腺ガンの病気でなくなることが多かったことについての考察)が面白くて手にとって、知識がないので注釈や挿絵を行ったり来たりしながらずいぶん長い時間をかけて読んだ。そして僕は今すでに探偵小説にとても興味を持っていて、文中で何度も話題に出る「マルタの鷹」(WOWOWで録画した)という映画をじっくり観てやろうという気分になっているからきっかけというのは些細なものだ。

新譜に備えてブルース・スプリングスティーン関連の本をいくつか再読していたら彼の詞作にはハードボイルド小説からの影響がとても大きいということを書いてあった。「ハイウェイ・パトロール・マン」という僕が好きな曲などは本当にアメリカのコントラストの強い光と影を写したような歌で、興味のリンクが面白い。旅に出るのに携帯する本を準備しようと書棚を眺めて、もうすぐ読み終わるグレイトフル・デッドの本の次に、これも年末に買ってそのままにしてあるチャールズ・マンソンとファミリーについての厚い本に狙いをさだめました。

そういえば『mono』というアルバムのために書いた「言葉の海に声を沈めて」という曲はポール・オースターから影響を受けまくって言葉が浮かび上がり、私立探偵から追い掛け回される(ような気分になっている)文筆家という主人公のつぶやきを歌にしたものだった。あれが僕がこれまで書いた唯一のハードボイルド物語なのかもしれないな、と札幌でのセットリストをぼーっと考えながらギターを爪弾いたりして歌ったのが昨日の夜中のことだったのです。  
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2011年09月21日

[BOOK] コンビニ店員は見たっ!

HDRコンビニに行ってレジを打ってもらうとき「お願いします」と(小さな声だけど)言う。商品とお釣りを受け取るときに「ありがとう」というのはなんかちょっと照れがあって代わりに「どーも」と言う。家から最寄りのコンビニでも、ツアー先で飲み足りなくてホテルのそばのコンビニでビールを買うときも言う。いつからかそう言う習慣がついた。

もう何年も前、深夜のコンビニでアルバイトをしてたときに、くたびれ果ててレジ打つときにそういうふうなヒトコトを言われるだけでハッとして嬉しくて、背中を見送りながら「ああ、あのお客さんすごくいい感じだな」と、自分も利用者側としてそうありたい、と思ったんだろうな、僕は。

「コンビニは社会の縮図だ」というのはよく言われること。夜10時から朝6時までの深夜シフト、ほんとにいろんな人がいるんだなああと嫌な思いをしたり身体的にもきつかったり「この!こんなやつ地獄に堕ちればいい!」と呪ったりすることもしばしば、かと思うとひとこと「お兄ちゃん、どうもね」と言われただけで救われたりもした。僕がバイトしてたころは宅急便も電子マネーもなくタバコも酒も扱わない店だったけど今のコンビニはもっと最先端で大変だろうと思います。

音楽ライター和田靜香さんはR.E.M.がきっかけで知り合い、マイケル・スタイプとの2ショット写真を自慢したり自分のCDを聴いてもらったり、その後もなんやかやとやりとりをさせていただいているのだけど、その和田さんが書いた「コンビニ店員は見たっ!〜レジの裏から日本が見える〜」がとても面白かった。

追記*かなのフォントのなんともなさけない感じが和田さんがヘナヘナめそめそと、しかし歯を食いしばり語っている感じがして好演出だと思いました。

笑ったりため息ついたりしながらあっという間に読み終えて、とても優しい気持ちになって、優しい気持ちのままさっきコンビニに行ってきた。レジでメール便を送るときに「忙しいときにごめんね」と声をかけたら「大丈夫っす!」とニコッとしてくれた店員さん。キャンペーンのくじ引いたらペットボトルのお茶が当たりました。

読書の秋になにか面白い本ないかなーと思っている人におすすめです。  
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2011年05月16日

[BOOK] 読書(春編)

_SL500_AA300_3月の地震の後はとにかくテレビやインターネットばかり見つめていたのだが、4月を過ぎてからずいぶん本を読みました。読書はいいですね。自分のペースでゆっくり飲み込める。

柴田元幸責任編集の「monkey business」2011春号はポール・オースター号で読み応えがあった。加えて村上春樹と小澤征爾との対談も。その村上春樹が「ランゲルハンス島の午後」で唱えた「小さくはあるが確固とした幸せ」を引用した内田樹著「疲れすぎて眠れぬ夜のために」は“不充足感をバネにして生きる”頑張り方を改めようという、今の気分に同調する本だった。

樋口毅宏著「雑司ヶ谷R.I.P.」も真偽飲み込んだ荒唐無稽な筋書きを楽しみました。デビュー作「さらば雑司ヶ谷」に続き今作にも小沢健二論者が登場するが、そのキーワードに引っかかる人も多いでしょう。ずっと続いて欲しいハードボイルドストーリー。

表紙のおじさんの満面の笑顔がずっと気になってはいたが自分とは関係のない次元の話だと思っていた「奇跡のリンゴ―『絶対不可能』を覆した農家 木村秋則の記録」。ここに書かれるのはカッコよく言えば飽くなき開拓者精神だが、最後までカッコいいシーンがひとつもない(終わることのない)男の執念の物語だ。この本に興味をもつきっかけをくれたあんざい果樹園ファミリーに感謝したい。心に浮かんだ“new frontier”という次のテーマのことをずっと考えています。

最後、皆さんにお薦めしたいのが川崎フーフ著「がんフーフー日記」。初回版『cobblestone』付属の小説コブルストーンを書いてくれた文藝レアグルーヴ清水浩司さんが上梓した本です。一緒にサンフランシスコに行ってクラムチャウダー食べたりイベントでトークしてもらったりとお世話になった清水さんのここ数年のことを僕は全然知らなかった。Twitterで知ってすぐ注文して翌日に到着したその本をあっという間に読み終えて清水さんの携帯に電話した。闘病ドキュメント本というカテゴリーに入るであろう本ですが、僕はたくさん笑って泣いて温かい気持ちになりました。(特設サイト

今年に入って5ヶ月が過ぎようとしていますが音楽も僕好みな新作が多くて嬉しい。R.E.M.、Iron & Wine、Fleet Foxes、Beastie Boys、The Feeliesなど、レコードは夜な夜なぐるぐる回っている。

写真

  
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2011年05月01日

[BOOK] がんフーフー日記(川崎フーフ著)

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2011年02月20日

[BOOK]はみだしインディアンのホントにホントの物語

写真久しぶりに面白いアメリカンネイティブ関連の本を読みました。シャーマン・アレクシーは先住民スポーケン族出身の作家で、「リザべーション・ブルース」「ローン・レンジャーとトント、天国で殴り合う」というとても面白い小説と、彼の短編を映画化した「スモーク・シグナルズ」という映画で知られる。

「はみだしインディアンのホントにホントの物語」は去年日本で出版された自伝的小説ですが、挿絵も可愛く、ほぼ自身の体験した実話で構成される少年の話はネイティブアメリカン文学というカテゴリーを越えてとても生き生きとハードでリアルで悲しく優しい保留地の風景を覗かせてくれた。こういう本が翻訳されて出版されたことが素晴らしいとも思いました。

週末に遊びにいったアノニマスタジオでのブックマーケット、そこで手に入れた堀部篤史著「コーヒーテーブル・ブックス」(mille books) はとても興味深い本で、“コーヒーテーブル・ブックス”という“応接室のコーヒーテーブルに置かれ、来客の手慰みになるような本”の存在意義を意識させられた。うちのテーブルには手慰み用にエドワード・カーティスが撮ったインディアンのポートレイトを集めた分厚い写真集を置いておくことにする。

R.E.M.のレビューを寄稿させていただいたCDジャーナルが発売になった。びっくりするくらい充実した内容でした。「R.E.M.とわたし」の教科書的サブテキストにしようと思います。ぜひ書店で手にとってみてください。

やっぱり本は手に触れてページをめくるほうがワクワクして、いい。  
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2011年02月19日

書き下ろし冊子、monolog

monolog_store0Twitterでもブログでもない、紙に印刷して手で触れてページをめくるテキスト、いわゆる“ZINE”が作ってみたいという思いから書き下ろしの冊子を創刊しました。

『pilgrim』『home sweet home』を経ての雑感をまとめてみたいという気持ちもあったので、ここ2年のレコードとツアーを思い返して文章を書き下ろしました。インディペンデントリリースゆえに雑誌にインタビュー記事が載ることも少なくなった近年だったので、縦組みの自分の文章はとても新鮮な眺め。

未CD化楽曲の歌詞やウクレレスコア、手描きのイラストや写真もいろいろ賑やかな創刊号になりました。ライブに来てくれた皆さんに対しての手紙のような、学級新聞/壁新聞のような感じで、僕の音楽が好きな人にとっては有益なことが書いてあると思います。

オフィシャルサイトSTOREにて販売を開始しました(あわせて新作CDR「music for muffin cafe」も入荷しました)。内容詳細は通販ページをご覧ください。限定部数での販売なので興味のある方はお早めに。今年はこれ、継続的に続けていきたいと思います。少し遅くなりましたが今年の抱負、「新しいことをいろいろ始めて、それらをやめないで続ける」です。

よろしくお願いします。




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2011年02月06日

「死ぬまでのひまつぶし」

写真西荻で手に取ったフリーペーパーに85歳で珈琲豆屋を始め今年で(奇遇にもそのフリペを手にした2月5日に)なんと100歳になられたという安藤久蔵さんのインタビュー記事が載っていて読みふけってしまった。今でもお元気でフェアトレードの珈琲豆を自ら焙煎して販売されているということだったので機会があればそのコーヒーを飲んでみたいと思った。

去年亡くなった祖母は92歳と長生きだったが晩年はほとんど会話もままならない状態だったので、ああ、もっとたくさんの昔話を聞いておきたかったなと残念に思う。「生きてるだけで丸儲け」だが、語り伝える/引き継ぐことがあってこその資産運用ではないか。

「佐野洋子対談集ー人生のきほん」は「100万回生きたねこ」の著者が生前に自らラブコールを送って西原理恵子、リリー・フランキーとの対談をまとめた本でした。「生きることは、死ぬまでのひまつぶし」と帯文に記されているが、とにかく大きい器に盛られた役者があたたかくて優しい会話劇を繰り広げているような言葉たちを読み終えたくなくて、同じところを何度も繰り返しゆっくりと読んでいる。

うっかり巻末にある、リリーさんが今年1月に天国の佐野洋子さんにあてて書いた書簡を先に読んでしまったが、なんだか知らないが胸がいっぱいになってしまった。時間をかけて読み進めていこうと思います。  
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2010年09月28日

荒木経惟「チロ愛死」

chiroNHKを見てたら「アラーキー センチメンタルな夏」という番組をやっていて、愛猫チロの消えてゆく魂を切り取った写真はいつ見ても胸が痛いなーと思っていたら、9月になって「チロ愛死」という写真集が出ていることを知りアマゾンで購入。

静岡のライブから帰ってきた朝に本が届いた。ラットホールギャラリーの展示で見た写真は全部モノクロだったが、今回の写真集はカラーも含み会場で延々とスクリーンで流されていた写真日記のようなものも収録されている。寝ぼけ眼で眺めてもどんどん涙目になってくるほど。

1990年に出版された「愛しのチロ」には「チロは、A(アラーキー)の愛人生。」と直筆で書いてある。チロを見送った「チロ愛死」には同じく手書き文字で「チロは、Aの愛人生、ずーっと。」と綴られていた。

切ない写真集だが、A5サイズの気持ちいサイズの本をめくっていくと燃え尽きる前の熱を感じる。とても愛しい気持ちになってくる。泣いてしまうから絶対立ち読みできない類の本です。  
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2010年08月31日

いつもそこにある歌詞問題

book8月最後の日ですが、3日前となにも変わらない(ように思える)嫌なくらい暑い晩夏です。今年は秋がなくて夏が終わったら冬が来る、とニュースが言っていた。9月のライブでは閉じ込めたはずの夏の歌をまた歌うことになるかもしれないな。

本屋をうろうろしていたら「Jポップな日本語」という本を見つけてパラパラとめくり、だいたい書いてあることは予想がついたのでみなまで読まずに棚に戻したが、最近TwitterのタイムラインにもJポップの歌詞についてのつぶやきがたびたび浮かんでくる(「最近のJ-POPの歌詞、同じ空の下にいすぎ 夢を夢で終わらせなさ過ぎ 眠れぬ夜多すぎ 寂しい夜迎えすぎ 不器用な俺だけどお前のこと守りすぎ...」というやつ)。それは嘲笑的だったり自嘲気味だったり、あるいは現場的危機意識を持ったリツイートだったりする。使い古されたフレーズやなんとなく適当にまとめた口当たりのいいクリシェは地雷のようなもので、願わくば踏まないようにしたい。

歌詞についてのイロイロはいつの時代も、ある。ずいぶん前に古本屋で見つけた1970年代の「ニューミュージックマガジン(ミュージックマガジンの前身)」にもジャパニーズロックの歌詞問題という特集があって「最近の歌詞はめちゃめちゃでトンとワカラナイ!」と書いてあるのだから。大人が若者の言葉遣いを揶揄するような感じで。

自分で歌詞を書いてそれを人の前で歌うというのはなかなか覚悟のいる行為で、僕がバンドを始めた頃ずっと英語で歌詞を書いていたのは日本語で歌うのが恥ずかしかったからだ。それが今では日本語で歌詞を書いて歌うことが生業になっているからなにがどうなるかわからないものだ。もう10余年ずっと歌詞を書くことをやめないでいる。

僕はゼロ年代後半の数年間、音楽専門学校で作詞クラスの講師をアルバイト的にやっていたことがあるのですが、誰からレクチャーを受けて歌詞を書くようになったわけではないので教え方もなにも行き当たりばったりで、初めての授業で「課題;来週までにお気に入りの手帳、ネタ帳を手に入れる」、次の授業で「書きやすいペン/筆記用具について」という講義をやってクラスを不安の底に落としいれたことがある。

歌詞を書く技術とかコツとかは、もしそういうものがあったとしても音楽の良し悪しには関係ないような気がしていたので、それからあとは「1番で“僕”と歌いはじめたら2番でいきなり“オレ”になったらいけないよ」とか比喩(直喩と隠喩)についてグルメレポーターの彦摩呂の“たとえ発言”(「うわー、なんとかの宝石箱やー!」的な)を引用したりとやりたい放題で、今から思えば相当楽しいディスカッションをしていたように思います。

芥川賞作家の保坂和志氏に対面したとき歌詞についての話をさせていただく機会があったのですが、「歌詞のモチーフが広がっていかない」という僕に「歌詞で言うべきことなんてそんなにある?音楽でも小説でも大事なことはひとつかふたつくらいなものではない?」というようなことを言われた。それで僕はとても解放された気がして、それ以降の僕はひとつかふたつかの歌いたいテーマを何曲もかけて、アルバム何枚にもわたって書くという作風にシフトした(と思っています)。

作詞クラスをやってみて学生が提出した歌詞を見たり添削したりして感じたことは、歌詞に上か下はなく右か左か(限定的な意味ではなく同地平線上にあるという意味で)しかない、ということでした。個人的趣向でいうと、僕は自己満足的で自己完結しがちな甘ったるく夢見がちなポエムのような言葉の連なりが好きではないけれど、いいか悪いではなく、好きか好きじゃないかで受け止める側が取捨選択すればいいものが“歌詞”だと思います。

そういうことをぼんやり考えたりしながら、今日もこれから日暮れまで歌詞を書く作業です。


※画像は最近読んで面白かった&最近面白くて読んでいる分厚い本たち、「ジョニー・B・グッジョブ」
「日本のヒップホップー文化グローバリゼーションの<現場>」「魔獣の鋼鉄黙示録ーヘビーメタル全史」。




RM1856B今年春に取材を受けた記事が再掲載されたムックが発売になります。
定価1050円、9月25日発売です。興味のある方はぜひ。

Sound&Recording Magazine Presents
ネットとライブで自分の曲を売る方法
ミュージシャン・サバイバル・ハンドブック

全ミュージシャン必携! CDが売れない時代のサバイバル指南書

CDが売れないこの時代に、ミュージシャンはどうやったら自分の音楽を広め、売っていけばいいのか? 本書では、iTunes Storeへの登録方法をはじめMySpace、Twitter、YouTube、Sound Cloud、USTREAMなど各種ネット・サービスを活用した音楽の販売&プロモーション方法について詳しく紹介。既存の方法にとららわれないさまざまなライブのやり方で、収入を得ていく方法も鋭く考察していきます。さらに音楽著作権、マネージメントなど、音楽活動に役立つさまざまな情報を網羅。アマチュアからプロまで、2010年代に音楽活動するミュージシャン必携のガイドブックです。(HPより転載)  
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2010年07月02日

冷たいコーヒーと「たぶん彼女は豆を挽く」

DVC001532010-05-11T11-44-24-14a09きっかけはファンの方からもらったコーヒーでした。「aalto coffee、失恋コーヒー」とだけ記載された銀色の袋に入った褐色の豆粒、とても美味しくて、その聞きなれない名前とともに記憶に残っていた。

Twitterをきっかけに言葉を交わし、ロースターの庄野さんが僕の音楽を昔から好きでいてくれたことがわかって、それからずいぶん早急なスピードで徳島まで訪ねて(明石大海を越えてそこへ車で連れていってくれたのが紅茶専門のチャッツワース岸本さんだというのも素敵な繋がりだ)美味しいコーヒーを淹れてもらった。

もじゃもじゃで愛想がいいのか悪いのかわからない庄野さんだがとてもコーヒーに誠実な人に見えて「来てよかったなあ」と思った。僕はaalto coffeeのオリジナルコーヒー缶を購入し庄野さんは『pilgrim』と「home sweet home」を買ってくれました。それが5月のはじめ。

その時にmille booksから刊行予定だと聞いていた著書がこの「たぶん彼女は豆を挽く」という本で、とても手触りの良い、手元に置いておきたい装丁でした。内容も肩肘はらない美味しいコーヒーの淹れ方やコーヒー豆についての話、あるいはいかにしてコーヒーロースターになったかという経緯など興味深い内容でした。

大抵暑い季節になると僕はすぐ出来合いのアイスコーヒーをスーパーで買ってきて氷をかきまわして楽をしてしまうのですが、この本を読んでライブのたびにファンの皆さんからたくさんいただくコーヒー豆をちょっと時間をかけてドリップして好みの濃さの水出しコーヒーを作ってみました。

コーヒーと音楽は似ているような気がします。なくても生きていけそうな気がするけど、それが「ない」世界を想像できない。人それぞれのこだわりがあって、良い悪い高い安いでは仕分けすることができない存在、みたいな感じ。興味がある方はぜひ読んでみてください。  
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2010年06月29日

愛しのチロ、センチメンタルな旅

sentimental西日本ツアーから東京に戻り物欲が高まって渋谷へ出かけて、ロゴスで荒木経惟の「センチメンタルな旅、春の旅」を見つけた。

僕は「愛しのチロ」というアラーキーの愛猫の写真集が大好きだったので「お、新しい写真集。チロもまだまだ元気だな」とか思ったのだが、果たしてチロは今春3月に亡くなっていた。22歳の大往生。

この本はチロとの最後の日々を記録した写真集でした。中身をちらっと覗き、「ここで立ち読みしたら泣く」と思って買って帰りました。

ページを捲るたびにチロがどんどん小さく薄くなっていって目の光がなくなっていくのが悲しく、アラーキーは飼い主としてカメラマンとしてどんな気持ちでシャッターを切ったのだろうかとか、さらにはうちの猫にもやがて来る最期の瞬間とか、いろんな想像をしながら僕はさめざめと泣いてしまった。胸をかき回す写真集だった。

ラットホールギャラリーというところで展示をやっているので機会があれば観にいきたいと思っています。とても切ないシーンが多いですが猫が好きな人、興味のある方はぜひ。



そしてうちの猫の話。広島のライブに「CAT GARDEN」という僕とポチが出会うきっかけになった写真集を持ってきた人がいて、サインを書いたりいろいろお話を交わした。

今となっては知らない人もいるかもしれないがうちの猫は写真家の斎門富士男さんが葉山で飼っていたのを譲り受けた猫である。「CAT GARDEN」を見て「饒舌スタッカート」のジャケット撮影を斎門さんに依頼したのが縁のはじまりであった。

斎門さんのいくつかの写真集で語られるポチという猫はうちのとは別の猫で、斎門さんが最初に飼い始めたポチにとてもよく似た猫だということで2代目を襲名したのがうちの猫。だから「猫なのにポチなんて面白いですねえ」とよく言われるがポチは最初からポチなのだ。子ども時代のポチ、少し大きなポチ、きりっとしたポチが写真集のなかにいくつも記録されています。

pochiうちの猫は「baby cat」というフォトブックの表紙を飾っていてそれは筆舌に尽くしがたい可愛らしさで、いつになっても自慢の種だ。アラーキー「センチメンタルな旅 春の旅」の中で印象的だったのは力なく横たわるチロのそばに元気盛りのころを切り取った写真集「愛しのチロ」を並べて写した写真だった。

無防備に寝息をたてて眠るポチのそばにその「baby cat」を並べて眺めて「ああ、いつまでもこのまま」と願う。チロの写真集を見たことによりいつも以上にコーミングしたり入念に爪を切ったりして嫌がられたが、猫とは本当に魔性の生き物だと思う。

AMAZONを見てたらマーケットプレイスで斎門富士男/猫関連の写真集がとても安く買えるみたいなので(1円とかで売ってたやつは僕が全部買い戻したよ)興味のある方はぜひうちの猫の勇姿を探してみてください。他にも「ぽちのゆめ」という本もあり、ここには完全室内飼いになった今からは想像もできない雪にまみれるポチの姿が記録されている。  
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2010年02月03日

サリンジャー追記

salinger柴田元幸氏のサリンジャー追悼文が読みたくて出かけたのだけど、午前中の図書館は気合をいれて新聞を読む人が群れていて全然前日の朝刊がまわってこない。英字の新聞記事をいくつかコピーして、帰り道にあるニューススタンドで幸運にも探している朝刊を譲ってもらった。

「キャッチャー・イン・ザ・ライ」がサン・テグジュペリの「星の王子さま」や太宰の「人間失格」などと並んで、若かリし頃に人がしばし陥る(そして若さゆえ許容されるべき)“自分だけは純粋なんだ”という思いに強く訴える書であった、という記述に納得。サリンジャーは“はしか”のようなものだという僕の思いをさらに“翻訳”してもらえたように思いました。「生きる違和感」というものが実は普遍的なものである、という不思議な矛盾が面白い。

年を取らない(時とともに入れ替わっていく)多感な若者の代弁者としての重責に背を向けてサリンジャーはこの世から姿を消して生涯を終えたけれども、それは“書けなかった悲惨”というよりも“書かなかった栄光”だと称えることができるだろう、と追悼文は締めくくる。いつだってそうだ、“生きる違和感”に対する答えは提示されるものでなく、なにかをきっかけに深く思案するものなのである。

そして関心は、本当にこれからサリンジャーが隠遁生活の中で書きためてきた未発表の原稿が出版されるのかどうか、ということで(いくつかの長編も書き上がっているという噂もあるらしい)、40年分のタイプライターが打ち込んだ文字の連なりに21世紀の今日めぐり逢えたらそれは奇跡のような、素晴らしい再会だ。

大学でサリンジャーを専攻していたというのが青臭くて少し恥ずかしかったのだが(ビート文学の授業を受けていたことも同じだ)読解に対して答えを提示されることがないサリンジャーの文学には底無しの余白が残されていて、興味の尽きない対象だな、と今では強く思う。  
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2010年01月29日

本当にいなくなったサリンジャー

salinger夜中にふと目が覚めて枕元のiPhoneをさわっていると「米作家サリンジャー死去」のニュースを見つけて、なんだか夢を見ているような気持ちになった。「ざわざわ」と「ゆらゆら」が合わさったような気分。

何がきっかけで「ライ麦畑」を中学の終わりに読んだのか今では思い出せないが、思うにサリンジャーとは“はしか”のようなもので、例えばFlipper's GuitarとかNIRVANAとか(人それぞれここに違う名前があてはまる)に似ている、気がする。なにかを掘り下げていくきっかけになったり、誰かにとっては人生のメルクマールになるような、そういう存在だ(ある世代にとっては、と限定すべきかどうかはわからない)。

大学時代は本当にたくさんのサリンジャー作品を読んだが、僕が一番好きなのは「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」という“グラース・サーガ”の断片だった。授業ではサリンジャー研究者の先生について「ナイン・ストーリーズ」をたくさんの文献と並べて読み解いていたけれども大学への行き帰りで楽しんで読んだ「大工よ..」が一番だった。

サリンジャーは生きていてもひっそり息をひそめているような隠遁作家だったけれども、亡くなったというニュースを聞くと、とっくに20世紀は終わっていて今が2010年だということに改めて気付かされる。

サリンジャーが享年91歳だと知って、現在病院で寝たきりになっている僕のおばあちゃんと同い年であることに気づき、年老いたサリンジャーの最後の姿を少しだけ想像できたような気がしました。RIP。  
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2009年02月26日

夏の夜の花火 胸を刺す痛み

shangri理想郷とゴミ捨て場、シュールな風景だ。

辺見庸の講演をまとめた「愛と痛み 死刑をめぐって」を読み終えた。とても重たく、考えさせられる内容でした。村上春樹のエルサレム賞のときのスピーチもそうだけれども、意思表明とは身を切るような行為だと痛感する。

“自分”という個を世間からきちんと切り離して思考することの大事さとか、声の大きさや小ささに惑わされることのない自分のなかのスタンダードとかニュートラル・ポジションとか、そんなことに想いを馳せました。  
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2008年12月18日

冷たい雨とグッド・ヴァイブレーション

dwarf冷たい雨が降るとても寒い日、髪を切りに広尾へ。映像編集とかちょっとした録音とかステージ構成だとかそういうことに終始する孤独な作業期間だったのでおしゃべりが楽しい。隣の席がミュージシャンで芥川賞作家の川上未映子さんで、挨拶をして少しお話をさせていただきましたが、とても穏やかで華があって素敵な人でした。良い“気”をもらった。

行き帰りの電車で西原理恵子著「この世でいちばん大事な「カネ」の話」を読みふける。折りにふれ手に取るよりみちパン!セシリーズの新刊だが、既刊のカタログ同様この本も大人が読んでも子供が読んでも何かしらの塊を胸に残す本だと思いました。くよくよしたり迷走したり「オレはこれからだ!」という人(全員だな)は読むといいです。

寒い日だったが広尾の灯りのデコレーションはとても可愛らしかったです。明けて快晴。今日も一日準備作業、BGMはずっとソニック・ユースとPAVEMENT。  
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2008年10月20日

9つの物語

9storiesちょっと前になるが、本屋をふらふらしていたら気持ちいい表紙の本が目に留まった。見れば柴田元幸氏が訳し下ろした全篇新訳のJ.D.サリンジャー「ナイン・ストーリーズ」だったのです(モンキー ビジネス 2008 Fall vol.3 サリンジャー号)。

この「ナイン・ストーリーズ」という短編集は僕が高校時代にはじまって数えきれないくらい読んだ本のひとつで、本棚にあった野崎孝訳の文庫(なぜか2冊)やペーパーバッグを引っ張り出してみたら、やっぱりおびただしい書き込みとアンダーラインの数々が染み込んでいて、大学時代のサリンジャーゼミの記憶がよみがえる。

村上春樹氏が「ライ麦畑」を新訳したときにも感じたが、言葉を更新していくことによって視力が矯正されたように見えなかった風景が見えてくることもあるもので、今回の柴田元幸訳の「ナイン・ストーリーズ」も最初の数ページを読んでみて懐かしさと新鮮さが混ざったような感じになった。

音楽にも文学にも心の深いところにまで爪痕とか染みを残す力があるものだなあ、と思った。  
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2008年09月29日

秋の匂い

cheerssmile録音作業は続いていて、昨日は「ユートピア」の歌とコーラスを全部録り終えました。「嗚呼、家よ」の大合唱の上に歌を乗せていくのは思ってた以上に気持ちがよかった。

ツアー中はほとんど本を読まなかったせいか、最近活字を目で追うスピードが加速している。森達也著「メメント」は僕が十代の頃に大きな感銘を受けた藤原新也の名著「メメント・モリ」(“死を想え”の意)を想起させるタイトルの、「生と死」をテーマにした連載の単行本化。考え、答えをいくつか保留し、ため息をついたり思い悩んだりを共有しながら久々に実のある読書でした。“生と死”は言い換えれば“クレールとノアール”だ。

ファンの誰かがくれた内田恭子「チョコレートと犬とベッド」は井の頭線を往復する間に読みました。30代女性の気取らない品のいいエッセイで言葉もシンプルでなぜ僕にこの本をくれたのか少しわかったような気がします。同じように誰かがくれたパウロ・コエーリョ著「アルケミスト」の文庫本もカバンにいれて街へ出てみようと思います。

小説家保坂和志さんから新著「小説、世界の奏でる音楽」を送っていただいた。ありがたい。分厚い小説論。前作よりも取っ付きにくい感じがしてタフ・リーディングの予感。頭を柔軟にして接しないといけない。読書の秋とはよく言ったものだ。

ドン・チーゲルとアダム・サンドラー出演の2007年映画「再会の街で」をDVDで観た。9.11世界同時テロで心をなくした男とその友だちの友情劇。思い出のアルバム、スプリングスティーンの『The River』を爆音で鳴らしてシンガロングするシーンや表情のひとつひとつに優しい気分になる。ニューヨークの街を電動キックボードで滑っていくカメラワークが壮快で「欲しい!」と思って調べたら日本では交通ルールが厳しくてダメみたいだ。

最近カリフォルニアもいいけどニューヨークもいいな、と思う。そのNYの街がめちゃめちゃになってしまう「クローバーフィールド/HAKAISHA」も観てしまいました。  
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2008年07月31日

ゴールドラッシュのあとで

天辰保文さんの30年以上のキャリアを包括した本「ゴールドラッシュのあとで〜天辰保文のロックスクラップブック」を本屋で見つけた。『cobblestone』のライナーなどでもお世話になっている天辰さんだが、物心ついて洋楽のCDを聴き始めて以降この方の文章を情報源として何度も繰り返し読んできたが、この本も読み応えがあって素晴らしい。ニール・ヤングを聴きながら。

写真は裸眼リハ。牧野元さんとnobolというバンドのエナちゃん、元さんのオートバイ。

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2008年07月01日

book days

bookdays1角田光代「あしたはうんと遠くへいこう」「幸福な遊戯」、ECD「いるべき場所」、バクシーシ山下「よりみちパン!セ29 ひとはみな、ハダカになる。」、浦沢直樹× 和久井光司「ディランを語ろう」、と時間があればひたすら本を読みメモをとる、という数日。まぶたを閉じても活字が見えるような。

R.E.M.の2003年から2007年までのプロモーションやツアー、オンステージ、オフステージ、楽屋風景とあらゆるシーンを収めたDavid Belisleによる写真集『R.E.M. Hello』はページをめくるたびにそこから音楽が聞こえてきそうな躍動感溢れる本だった。とても見応えがあって、ヴォルフガング・ティルマンスやロバート・フランクの写真を眺めている感覚に近く、アーティスト本という範疇を軽く凌駕している作品だと思いました。  
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2008年03月29日

フィエスタ

spring8spring7街のいたるところで春を祝う催事が。スプリングフェア、スプリングフェスタ。

下北沢で立ち寄った本屋で買った本、ナンシー・ウッド「今日という日は贈りもの」の冒頭に月についての伝承話が書いてあって、それがとても美しくてイマジネーションをくすぐられました。


昔、父なる空(ファーザースカイ)は母なる大地(マザーアース)をその両腕に抱いて彼女と交わり、月が生まれた。月が彼方の星々の間でだんだんに大きくなると、太陽の犬たちが代わる代わる月に噛み付いた。月がこんな形になるまでパクッパクッと彼らは食べた。

ぼろぼろの月はそれでも空で明るく輝き続けた。すべての二本足と四本足の創造物たちが広場で輪になって踊り、見上げると月がだんだん大きくなっていくではないか!月は大きく大きくなって、ついにまんまるの幸せ顔になった。しかしまたしても太陽の犬たちが月を噛んでは少しずつ削りとった。こんな形になるまで。

そのとき以来二本足と四本足の創造物たちは月の満ち欠けに慣れた。ときどき太陽の犬たちが月に噛みつき、父なる太陽がその丸い顔に黒い影を投げかけるのに慣れて、これらの月に12の名前をつけることに決めた。




という話。真っ暗な夜の空の下でおばあちゃんから昔話を聞くような感じに心に染み込んできて、頭の中に絵が浮かんでくる。信じられないようなニュースややりきれない気分に苛まれる僕ら現代人が求めているのはこういう単純でシンプルな物語なのではないかと思いました。ゆっくり読み進めていこうと思う。
  
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2008年02月16日

あしあとを残して猫は

猫のあしあと昨日は代官山の“晴れたら空に豆まいて”というライブハウスで打ち合わせ(春の「夜の科学」を代官山でやってみようかと思っている)、その後同じく代官山で映像制作チーム“ナナ色”の打ち合わせで美味しい博多水炊きをいただく。帰宅後録画しておいたアカデミー賞を眺めて樹木希林さんの受賞スピーチに感動。

明けて寒い土曜日、猫とホットカーペットで並んで寝そべりながら町田康「猫のあしあと」を泣きながら読み終える。本を読んで泣くことはそうあることではないのですが、2004年の町田康「猫にかまけて」で泣いて2005年リリー・フランキー「東京タワー・オカンとボクと、時々、オトン」で泣いて、それ以来の涙で文字が読めなくなるような読書。猫をなでながら読んだからよけい切ない。

猫を飼っているのではなく猫と暮らしているのであって、猫に癒して欲しいから一緒にいるのではないのです。猫の小さな命に対して最後まで献身的な著者の姿と文章にため息がでました。  
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2008年02月14日

読みかけの本を積み上げてゆくのさ

plat1plat22月頭からずっとライブやその準備やらで活字離れをしていましたが、ホットカーペットの上で猫と並んで腹這いになりながら何冊か本を読みました。

小説を読むほどの体力はないので音楽的リズムのある本をチョイス。佐野元春著「ビートニクスーコヨーテ、荒地を往く」は佐野元春によるビート文学の先駆者たちへのインタビューを収めた読み応えのある、アカデミックな意味でも完成度の高い本でした。なにより佐野元春の文章のテンポがよく創造的なメタファーに富んでいて活字を追う目が喜ぶ感じ。あらためてビートニクたちの書き散らした作品を読みなおしたくなった。大学時代で一番突拍子もなくて面白かったのは「ビートニクとその時代」という1年間だけ開かれた授業でした。その授業は天気がよければ校庭でひなたぼっこしたり突然即興で英語の詩を朗読させられたりした。

直枝政広著「宇宙の柳、たましいの下着」はどのページを開いても読み入ってしまうような、文字情報の多い本で、音楽好きが作った音楽好きのための本という佇まいで、直枝さんの文章もかなり赤裸裸な感じで知らなかったこともいっぱい知れて聴きたくなる音楽もたくさんあって、こういう読書は身になるな、と思いました。

そして今僕はようやくお正月に買った町田康の「猫のあしあと」を読み進めているのですが、今はけたけた笑いながら作者と猫との暮らしを眺めてはいるが最後には絶対泣いてしまうんだろうな。なぜ猫とはこうも人間の目尻を下げさせ口角をあげさせてしまう生き物なのか。「猫をかまけて」のときも吉祥寺から渋谷への電車のなかで泣けて大変だったことをおぼえています。

ニール・ヤングが「音楽が世界を変える時代は過ぎ去ったのだ」という発言は字面で読むと非常に悲観的に伝わってくるけども、その後の声明を読むと歌を歌う意味/意義みたいなものが明確に浮かび上がってきて勇気が出た。

「音楽が世界を変える時代は過ぎ去った」と話したニール・ヤングからの声明文


今日もいい天気だ。  
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2007年11月15日

ポチだって猫である

グーグー先日の誤配送の件もあって、これもなにか素敵な運命の連なりかもしれないなと思って大島弓子著「グーグーだって猫である」はじめ数冊を買ってきた。猫のことを愛し、猫に対して人と接するときと同じように声をかけている方なんだろうなーと、なんだか妙に感動しながらあっという間に読み終えました。ああ、この気分のよさはなんだろうか。邪気が落ちていく感じだ。

大島弓子マンガと保坂の本と森達也の最新刊を読みながら先週から曲を書き続けている、という頭の中がしっちゃかめっちゃかに散らかりまくっているこの頃だけれども、なんかマルチタスクにいろんなことが良いほうに向かっているような気もするな。

さて「猫町14」は30分でソールドアウトとなりました。ものすごい勢いでたくさんの申し込みをありがとうございました。恵比寿Switchは椅子の数が決まっているのでどうしようもないのだけれども、キャンセル待ちの多さを考慮して「夜の科学」両日とも定員人数を若干数増やしてみました。猫町ダメだった人は高円寺で僕が面倒見ますから。  
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2007年11月13日

「三十歳までなんか生きるな」と思っていた

保坂新刊いろんな作業で寝不足でバッタバタしつつ珍しく天気のいい火曜日、昼から四谷・市ヶ谷へ。階下のポストに草思社からの届け物、保坂和志さんから新刊の『「三十歳までなんか生きるな」と思っていた』を送っていただきました。保坂さんもMJと同じく、何度お会いしても何度サインをもらってもカチカチに緊張する僕にとっての偉人だ。

その後「ああ、嬉しい」と思って冊子小包をあけてみると絵はがきが一枚入っていて、「ん?」と思って見てみるとなんとそれは大島弓子さんからのメモで、どうやら僕宛の荷物が最初大島弓子さん宅に誤配送されたらしく気付かずにそれを開封してしまった旨を丁寧にお詫びするような内容のものだった。大島さんは保坂著「明け方の猫」の文庫で解説マンガを書いていらっしゃるので同じ方面の配送物がなんらかの理由で混乱してしまっただろう。とにかく「保坂さんからだ!」と思った封のなかに大島弓子の直筆メモが入っている!という何だか信じられないような幸せな午後でした。両名にお礼を言わなくては、と思う。

本を最初の何ページかパラパラと読みましたが相当面白そうです。ああ、いろんな作業から早く解放されたい。  
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2007年07月09日

マーブルの本

まこインディアンは笑う僕がライブのMCでふれたマーブルブックスの本を紹介したいと思います。「インディアンは笑うーあなたの厳しい現実もひっくり返す、ネイティブ・アメリカンの聖なるジョーク! 」は北山耕平さんがブログで長年書いてきたなかからよりすぐった“聖なるジョーク”を集めた本で、こんな時代にフッと肩の力を抜く技法を伝授してくれるような書籍だと思います。そういえば今日も古着屋で奇跡的に可愛らしいデザインのインディアンTを手に入れました。

もう一冊は猫好きの人に。「まこという名の不思議顔の猫 」という、これもブログ絡みの本。にやーっと笑いたいとき僕は「Bad Cat」というペーパーバックをぼーっと眺めるのですが、これも感情のとげとげをならしてくれる猫力満載の本だと思います。

本屋さんで見かけたら手に取ってみてください。  
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2007年06月11日

ショートソング

shortsong雨上がりの吉祥寺でライターの土佐有明くんと歌人の枡野浩一さんとお茶を。枡野さんと初めてお会いしたのはまだ20世紀の頃だったか。今日と同じように土佐くんと所用があってそこで紹介してもらったのだ。そのとき偶然カバンには保坂和志の本が入っていて、保坂さんと面識のあった枡野さんが保坂さんと僕を仲介してくれた、という奇跡的な関係がつながったことを僕は今でもラッキーだった、と思う。

「ショートソング」というこの本は話の筋もとても面白く惹き込まれる小説なのだが、吉祥寺に実在する喫茶店やカフェ、雑貨屋などが数多く登場するのでガイドブック的に読み返すことも多い。今日は吉祥寺タワーレコード現店舗での営業終了日だったので少し感慨深かった。3日に1日は覗くレコード屋だったからだ。

吉祥寺のヨドバシカメラがオープンしたら人の流れはどんなふうに変わるんだろうか。  
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2007年05月12日

黄色い涙

黄色い涙僕は普段マンガをまったく読まないのですが、永島慎二著「黄色い涙」に妙に惹かれて購入、読み終えた。

昔「おじゃまんが山田くん」というアニメがあって、僕は結構それのせいでからかわれたりもしたのですが、その中に出てきた浪人生たちの醸し出すアパートの雰囲気の懐かしさをときどきふわっと思い出したりする。

行くあてもなく夢と対峙する若者像というのはいつもセンチメンタルで貧乏で青臭いのだが、“あの頃”という、実際は見たこともない時代に憧れにも似た郷愁を感じる。この漫画はそんな感じだった。1976年作品。  
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2007年03月29日

すごいスピードで

pochi070329なぜかふと思い立って元チェッカーズ高杢氏が書いた自叙伝みたいなやつがものすごく読みたくなってブックオフを探してみたが、なかった。

かわりにピーコ著「片目を失って見えてきたもの」、光浦靖子・大久保佳代子著「不細工な友情」を購入。どっちも面白くてぺろっと読んでしまった。たまに、定期的に、こういう読書をしたくなる。2冊とも良い言葉満載でした。

桜はだいぶん咲いた。武蔵野は都心より1日か2日遅いみたいだ。  
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2007年03月04日

金曜土曜

kosaka金曜日、吉祥寺くぐつ草で打ち合わせ。土曜日六本木で所用。花粉のせいか体調気分ともに低迷、本を読んで過ごす。

義務感にかられ「佐賀のがばいばあちゃん」を読む。良い話満載ですぐに読み終わりました。ただ、この「がばいばあちゃん」っていうのが「すごいばあちゃん」と訳されていることに違和感があり、普通「がばい」という方言は形容詞ではなく副詞的に使うものだから、たとえば「がばいすごいばあちゃん」だったら日本語的に正しい。江頭2:50が「がっぺむかつく」って言うときの「がっぺ」は「がばい」から派生した言葉で、すなわち「がばいむかつく=とてもむかつく」ということになる。今後この「がばい」が「マブい」とか「ヤバい」とかみたいに解釈されてしまうんだろうか。それか県境の僻地で言葉を育んだ僕の知らないところで「あいつ、がばいぜ=あいつ、すげーぜ」みたいな言い方が本流だったのか、言葉とは難しいものだ。

もう一冊、小坂忠「まだ夢の続き」がとても面白い。大学時代、日本語ロックリバイバルブームのなかで出会った『ほうろう』というアルバムが大好きだった。日本語ロック黎明期の話や狭山アメリカ村での話など興味深い記述が多い。後半で述べられるであろうキリスト教の牧師に転身した後の詳しい話が楽しみである。  
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2007年01月20日

また会う日まで

mataau六本木へ行って用事を済ませて武蔵野へ帰ってくる、という一日。中央線と大江戸線を乗り継いで柴崎友香最新刊「また会う日まで」を読み終える。

いつもの柴崎的“何も起こらなさ”に少し特異な設定が入り込んできて、しかし流れる時間がゆったりとして(というか慌ただしくなくて)ライフサイズというか、日常はそのまま文学になり得るということを再認識した楽しい読書だった。

家を出るときには降ってなかったのに六本木に着くと冷たい雨に変わっていて、これは今年初めての雪か、と思ったら降りやんでしまった。土日になら雪が積もっても楽しいのに。ニュースでは月曜日が雪だと言っている。でも受験生にとって雪はやっかいだろうな。センター試験を受ける人はリラックスして頑張ってください。  
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2006年09月30日

保坂和志×柴崎友香トークショー

sonomachihosaka_new僕自身の物の見方/考え方に大きな影響を与え続ける小説家2人のトークショーを聞きに青山ブックセンターまで行ってきた。渋谷に着くまでの電車で読んでいた森達也著「夜の映画学校」での緒方明監督と森氏の対談中に「保坂和志」の名前が出てくる偶然。映像/映画の分野で話のなかで保坂の名があがることは多く、「夜明けまで」を撮ってくれた山川監督からも映画仲間としての学生時代の保坂話を聞いたし、「ストロベリーショートケイクス」という魚喃キリコ原作の映画にも保坂さんは出演してるらしい。

トークショーは柴崎さんが進行役をつとめる形で始まったが予想通り、文字おこししてみたら話の面白さがなくなるような、「・・・」とか声色の変化とか咳払いとか目配せとかそういう事象を全部含めて充実した興味深い内容のオンパレードで、非常に保坂的/柴崎的だと思った。

一人で充足した暮らしを送っていると風景が入ってこない、という保坂の自論に始まった風景描写の重要性の話をはじめ、2人のシーンを書くことに比べて3人以上のシーンを書くことの難しさについて述べられたくだりなどが印象に残った。歌も一緒で登場人物が2人の歌詞はありふれているから簡単に書けるのに、3人以上の群像劇を書こうとすると途端に奥行きが必要になって相応しい言葉が見つからなくなることに対する説明がついた感じだった。

保坂が柴崎の新作を評して「30歳前後の若者の普通の姿があまりに自然に小説に入り込んでいて、その登場人物には人生に対する甘い期待みたいなものがない感じがして、そこがちょっとすごいことなのではないか」というようなことを言ったのだが、僕もその言葉を聞いて「あああ、その通りだー」と思った。

保坂和志著「小説の誕生」と柴崎友香著「その街の今は」を購入、サインをしてもらう。柴崎を一気に読み返して、保坂をちょっとずつ読んでいくのがこの秋の楽しみだ。1,000円とか2,000円くらいで思考や意識のよどみがサラサラと流れていく感じがして、CDも単行本1冊くらいの値段まで下げたらいいのに、と思った。  
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2006年09月17日

この街の色

sonomachi小説家の柴崎さんからメールをもらった。新刊発売にあわせて9月30日に柴崎友香と保坂和志でトークショー&サイン会があるそうです。興味のある方はぜひ出かけていってみてください。

初夏に新潮に掲載された「その街の今は」は今年読んだ小説の中で群を抜いて肌に合うものだったので(7月30日の日記)、きれいな装丁に包まれて単行本になるのが嬉しい。保坂さん関しては「小説の誕生」という本が出る。さらに、’99年発表のポール・オースター「ティンブクトゥ」も柴田訳が出る。そういえば「言葉の海に声を沈めて」という曲はオースターの本を読まなかったら書けなかった曲だったと記憶している。幸せな読書の秋になりそうです。

ことさら柴崎友香は僕と同い年なのもあって何を書いても気になる存在で、個人的にはこの「その街の今は」は街をさまよい景色を眺める感覚で読み始めたら途中で止まらないような感じだった。みんなも同じように感じるのではないかと思う。  
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2006年08月05日

健康スタンダード

hakase水道橋博士著「博士の異常な健康」を読んで感嘆符の嵐、面白かった。すべて実体験に基づくレポートは感動的ですらある。

僕は2003年から今年の頭まで「実録!健康スタンダード」というコラムを連載し、様々な健康食品やグッズを試してきましたが、やっぱり忙しい日々のなかで長続きしないモノが多かったのです(続いたのはファイテンとバランスボールくらい)。博士はこの本のなかで数年単位で実践至上主義を貫き説得力のある“健康”に関しての持論を展開しています。

だんだんいい歳になってきて社会の仕組みもわかってきて、大きな仕事の歯車として活躍し金曜日を“週末”と呼べなくなって久しい働き盛りの人々や、どうしてもついしかめっ面になってしまってモノを斜めに見てしまうのがクセになったような我々みんなにとって一服の清涼剤のような本なのでは!と思いました。お薦めします。僕はまた基本に還って青汁を再開しようと考え中。夏だしな。

今晩から“ripple-ism2006”チケット先行発売開始です。「夜の科学9」も一般発売が始まりました。たくさんのお申し込みをお待ちしております。外は気持ちいいくらいに晴れていますが、熱中症などに気をつけていきましょう。僕が2003年に初めて書いた健康コラムを以下に再掲載しておきます。


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2006年07月06日

追憶のハイウェイ61

likearolling井の頭線の電車のなかでグリール・マーカス著「ライク・ア・ローリング・ストーン」を読み終わる。面白かったっ!一発録りでミュージシャンが頭を抱えながらアレンジを変えながらディランが不機嫌になりながら奇跡の6分ちょっとをキャプチャーする過程が克明に綴られて、これを読みながら『追憶のハイウェイ61』を聴くと40年前の録音がやたらと立体的に聴こえる。

海外ではディラン研究家のことを“Dylanologist(ディラノロジスト)”と呼ぶのですが(Dylanologyででディラン学ということだ)、ほんとに底が深くて抜け出せない。先日、1974年に初版が出た「ボブ・ディラン全詩集」の第3刷(1976年発行)を手に入れたのですが、程度もよく日焼けした感じも味があって眺めるだけでも心が躍る。しかしページをめくるとものすごい量の文章文章文章...。もはや文学、ディランがずっとノーベル文学賞にノミネートし続けられているわけがわかります。

夜は下北沢でHARCOを観る。僕の好きな「Night Hike」という曲がぐるぐる回る。土曜日は久々に渋谷で弾き語りです。できるだけたくさん歌ってたくさんしゃべろうと思いますので、特に「夜の科学7」に入れないみんなとかGTHの音楽が足りない!と思ってる人とかみんな観にきてください。予約はこちらから。  
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2006年06月18日

if today is not a endless highway

bobbioものすごい数のポストイットが示すタフ・リーディング、ボブ・ディラン著「ボブ・ディラン自伝」を読み終えました。面白かった!非常に詩的な文章。フォークソングとはとにかくほのぼのしたカレッジ・ミュージックではなく時代を映しそれを時と場所を超えて伝えていく音楽である、と痛感。再び燃焼するディラン・ブーム。まもなくスコセッシ監督の歴史的な映像作品「ノー・ディレクション・ホーム」のDVD国内盤が出るので、まだまだしばらくディラン浸けになりそうです。

ウィルコやブライト・アイズに感化されてディラン再認識が始まったんですが、今日はディランからさかのぼってウディー・ガスリーやロバート・ジョンソンを聴いている。歴史ってすごい。感服する。  
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2006年04月22日

インディアン、ボブ・ディランと保坂和志

toholife『第一印象で恐縮ですが、「あれ? ものすごい空気感じゃないの? 前からそうなんだけど、前は少し距離があったというか、遠い感じがしたというか、、、、」と思って、2003年のを聴いてみると、いままで感じていたより、季節とか時間とかの感じが直接的な感じで、ということは、

仮説(1)今回のCDによって、それまでのものまで、良さが引き出された。
仮説(2)この2年のあいだに、わたしが変わった。

と、テキトーな感想で申し訳ありませんが、今回のは特別いいんじゃないかと。ステージの躍動する感じが浮かびます。繰り返しですが、以前のより、ダイレクトな感じがします 。』



上の文章は昨年『ripple』の発売時に芥川賞作家保坂和志さんからいただいた感想なんですが、このときの嬉しさは尋常じゃなくて,僕は「ぎゃーー保坂さんーー!」というタイトルでお礼のメールをしこの言葉をホームページなどに掲載させて欲しい(出世払いで)というお願いをし、その返事に「きゃーーわたしが、保坂さんーーです。」というタイトルのメールで快諾していただいた、という経緯があります。

昨日宅急便で「途方にくれて、人生論」という新刊が届いて、非常に目にも手にも気持ちのいい装丁を目の当たりにしてまた飛び上がるくらい嬉しかったのですが、パラパラと読み始めたら止まらなくなって心がほだされる感じがして先に先に読み進めたくなって眠れなくなった。

この春の僕の関心/興味のサブジェクトはインディアン(アメリカ先住民)とボブ・ディランのついてのことで80%を占められていて、文庫版を機会にもう一度読みなおそうと思っていた「カンバセイション・ピース」も購入したまま封も開けずにいたんですが、この本はインディアンとボブ・ディランの隙間にすーっと入ってきた。

何日か前の日記に書いた “インディアンの言葉で「変化」は「死」を意味する” ということと、この本のなかで述べられた“...変化や進歩や希望や可能性というのが、ただ「いいもの」だと思い込むことが今という時代を覆っている「信仰」である..” というくだりとが僕の中で繋がって、“それに気付かない人は希望がない状態のことを簡単に「絶望」といったりしてしまうが、希望とも絶望とも関係のない人生観というものもあるのだ” という記述が、数少ないボブ・ディランのインタビュー記事での「無理矢理時代の先端を走らなければいけないとは思わない。永遠に生きていられるわけではないのだから、今は今の時代を自分なりに生きる。時代に遅れないように使う時間なんてどこにあるというのか」という発言と繋がっていくのが、個人的にはすごく気持ちよくて、明け方まで眠れなかったのです。

あと「本といったら借りるものだと思っていて手元に置かない人は、知識への愛は育たないし、当然身につかない」という一節もすぱっとして爽快だった。「本」を「音楽」と置き換えても同じことだと思いました。興味のある人、時間がある人はぜひ読んでみてください。  
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2006年02月26日

キー・オブ・ライフ

keychain朝は六本木で歯医者、昼は武蔵野で作業、夜は目黒で髪切り。東京の街をバーッと移動するとなんだか「おれ、頑張ってる」っていう気持ちになるから不思議だ。

電車に乗るとやたら読書が進むのですが、この日は ニック・ホーンビィ「ソングブック」を読了、やたら音楽が聴きたくなる本でブルース・スプリングスティーンとエイミー・マンをCD棚から引っ張り出しました。

次にシャーマン・アレクシーというアメリカ先住民出身の作家の小説を読み始めたのですが、これが非常に面白いです。自伝的エッセイ「僕についての無認可の自伝」のなかで、彼が“インディアンであって欲しかった人たち”として、メリル・ストリープ、ヘレン・ケラー、そしてブルース・スプリングスティーンにキング牧師、果てはイエス・キリストの名前を羅列したリストがあって、その独特な発想が新鮮だった。  
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2006年02月18日

インディアンの考え方

rollingthunder
20世紀の終わりに手に入れた本とここへきてようやく波長があったのか昼夜と読みふけり読了。ダグ・ボイド著「ローリング・サンダーーメディスン・パワーの探求」という1974年に出版された本(ローリング・サンダーという名のインディアン呪術師を考察する内容)。Bob Dylanの「ローリング・サンダー・レビュー」という歴史的なコンサートツアーがあるのですが、それがローリング・サンダーの偉大さとこの本の出版を称えるために名付けられたということを初めて知りました。

ヒッピーやビートニク、ニューエイジと呼ばれた人たちがこぞってアメリカ先住民の思想に惹かれていく理由が分かったような気がしたし、おそらく近年もLOHASという概念の根底のどこかしらに影響を与えていることだと思います。ああ、タフ・リーディングだった。

時を同じくして「スモーク・シグナルズ」という映画を観ました。ネイティブアメリカン版「エリザベスタウン」という感じで家族とか親子のことを考えさせられる作品。極めてアメリカ的風景の中でインディアンの若者たちが生き生きと暮らす風景が非常に面白かった。いろんな点が繋がって線になってきているような感触があって、はやく暖かくならないかなーと思っています。  
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