2001年12月14日

猫の看病日記 前編〜ポチがうちの猫になった(2001.11.27〜2001.12.14)

L【イントロダクション】

写真家の斎門富士男氏の愛猫ポチ(三毛猫なので女の子だ)を譲り受けることになった僕は1週間でペット可のマンションを東京郊外に見つけて引っ越し、数日かけて猫を迎える準備(壁に段々になった棚を作り付けたり猫のトイレを買ったり食事用のトレイを用意したり)の後、2001年11月26日に静岡は伊東の斎門邸に車でポチを迎えにいった。

ポチは僕を憶えていたのか(憶えてないと思うが)怯えもせず膝に乗ってきたりする。前足を怪我してるみたいで歩きづらそうだった。連れて帰る途中で熱海辺りで時期外れの花火があがっていた。

初めてうちに入ったポチはうってかわってそわそわ落ち着かなくなり、ケージのなかに入って斎門さんちで慣れ親しんだバスタオルのそばで大きな目を光らせてキョロキョロしている。手の怪我が気になって、家に来て2日目の11月27日に動物病院に連れて行った。



【2001年11月27日】

ポチはたくさんの猫と一緒に飼われてたり、葉山のころは好き勝手に外に出ることもできたはずなので健康状態も調べておいたほうがいいと思っていた。だけども実際病院で見てもらうと手の怪我は思ったよりもかなり悪くて、手の甲から手のひらまで傷が貫通している。肉球のあたりがひどく膿んでいて異臭を放ち、触ろうとすると体を力ませて鳴いたりする。

僕が動物病院に来たのは物心ついてからは初めてだったのだけど、飼い主も積極的に治療に参加しなければならなくて、逃げようとする猫をがっちり捕まえて爪で引っかかれながらも押さえつけたりしないといけない。結局手のひらの膿を摘出するためには僕の手助けなんかではままならなくて、ポチは別の部屋に連れていかれて、麻酔なしで痛い思いをしたのだと思う。

僕は待合室で胸をドキドキさせながら傷の深刻さにショックを隠せなくて煙草を何本も吸った。戻ってきたポチは手に包帯を巻かれ気の抜けたような顔でぐったりしていて、獣医さんも気の休まるようなことは言ってくれなかった。とても深い傷なので完治に時間がかかること、猫同士の喧嘩傷なら伝染病の可能性が高いこと、自宅での消毒など根気のいる治療について。その日からポチは傷を舐めないようにカラーを付けることになった。いわゆるエリザベスカラー。食事以外は絶対外さないこと。1日2回の抗生剤服用、手の傷の消毒、目薬。ついでに首筋にノミ駆除のためのフロントラインという薬をつけてもらった。

診察料 ¥1,500
薬価代 ¥3,720
・・・・ 内訳
    飲み薬¥80×14(1週間分)
    飲み薬¥200
    消毒用塗り薬¥400
    点眼薬¥2,000
メディカルテープ ¥500
傷の処置代 ¥1,500
駆虫代 ¥1,200
===========計 ¥8,840


なんだか僕もポチもぐったりして帰ってきた。看病生活の始まり。それでもポチはよくドライフードを食べてくれるので少し安心した。カラーをつけてエリザベス女王のようなポチは心地悪そうで、後ろずさったりしている。

錠剤を飲ませるのは至難の技だった。ポチの小さな口に指を突っ込むのだってはばかられるのに一回「うげっ」と吐き出した相手にもう一回トライするのは酷な話だ。さらに前足の包帯を外し体を押さえつけて、手の傷の膿を綿棒でかき出し、軟膏状の消毒をたっぷり塗ってまたテーピングと包帯である。猫は手の使い方が器用なのできつく巻き付けてもすぐ外してしまう。

ノミは全くいなくなった。首の下、胸のあたりに毛が抜けてかさぶたになっている部分が気になる。この日から2日間身動きの不自由なポチのために寝室ではなくリビングで寝ることにする。



【2001年11月30日】

2度目の病院。引き続き手の怪我の治療と併せて、懸念されるウィルスによる病気の検査。手の怪我は小康状態で、今後も自宅で同じ処置をすることに。血液を採取してしばし待合室で猫のケージを覗き込みながら待つ。小刻みに震えるポチ。

結果は予想していた通りFIV(猫後天性免疫不全症候群)陽性。ポチは猫エイズだ。正確には猫エイズに感染していて今後発症する恐れがある、ということだ。事実を突きつけられたら前向きに考えるしかなく、「すべての猫エイズの猫が発症するとは限らない」「発症せずに天寿をまっとうする猫も多い」という文章ばっかり何度も眺めていた。猫エイズよりもっと恐れていたFeLV(猫白血病ウィルス)は陰性、ほっとした。ポチにとってはしんどい1週間。

診察料 ¥700
検査料 ¥6,000
傷の処置代 ¥1,500
=========計 ¥8,610


なんだかんだ言っても現状を把握できたことで腹をくくったというか、「頑張ろうな」と猫に声をかけることしかない。カラーと手の包帯で窮屈そうだがポチは奇麗な顔をしている。ご飯はよく食べるが、水もものすごく飲むのが心配。



【2001年12月3日】

抗生剤などの飲み薬がなくなる日なので病院へ。目薬もなくなってきた。手の傷はどんどんよくなってるみたいだ。早くカラーを外してあげたい。口が臭いのが何とかならないかと思って猫用の口臭のスプレーを買う気持ちの余裕がでてきた。手の怪我処置代をとられなくなった。

診察料 ¥700
薬価料 ¥4,440
・・・・ 内訳
    ¥80×28(2週間分)
点眼薬 ¥2,000
オーラルハイジーン ¥1,260
==========計 ¥6,650


2日後の夜、大阪の友だちが家に泊まりに来た。猫を飼ってる人なので匂いがするのかポチが擦り寄り場が和むが一転、トイレのうんちのなかに白い虫が見つかり大騒ぎに。ポチはさらに元気な顔になっていった。



【2001年12月7日】

12月7日、4回目の動物病院。だいたい朝まで起きてて昼過ぎに起きる生活をしている僕が朝の10時半に病院に通えてるのにも驚いている。この日は猫3種混合予防接種を受ける。うんちに虫がいたので駆虫の内服薬も飲まされる。そしてやっとポチの手の包帯が取れた。カラーからも解放ということである。ポチがうちにきてからこんなに心から嬉しい瞬間は初めてだ。口の周りを指でなでると目を細めてグルグルと幸せそう。

診察料 ¥1,500
予防接種(猫三種混合) ¥4,000
駆虫 ¥3,600
==========計 ¥9,550


家に帰ってきてからポチは自由にいろんなところをうろうろして、ようやく猫らしくすごくいい顔になった。元気なポチを久しぶりに見た。



【2001年12月11日】

引き続き錠剤は服用するということで、この日は僕だけ病院へ行って薬を1週間分処方してもらう。

薬価料 ¥1,320(¥80×14)
==========計 ¥1,320


これであとは風邪なんかを引かないように健康管理をしっかりとしてれば、と思って数日過ごすうちにポチの胸のかさぶたが増え、両横腹、脇の下、腿の裏側とどんどん毛が抜け皮膚の炎症もひどくなってきた。さらに口の周りとあごの下が黒ずんできたのだ。ご飯もあまり食べたがらない。動き回るのをやめ、うずくまるようなことが多い。



【2001年12月14日】

12月14日、5回目の病院、ポチは見るからに弱々しい。先生も「うーん」と考え込む。飼い主の僕にかゆみなど症状がないからノミとかダニが原因ではないし、ワクチン接種による副作用も考えられないみたい。ポチがFIVキャリアだということを考えると日和見感染というか、普段ならなんともない細菌の影響を受けて炎症が起きているとも考えられる。

取りあえず血液の成分検査。調べてみると正常値より高いのは白血球、たんぱく、血糖値であった。ポチにとっては白血球数が減ることのほうが怖いことだから結果的にはいい、と先生は言ってくれた。たんぱく量増加=脱水症、と検査報告書に書いてあるがポチも少し脱水症状が見られる。

あてはまるどの項目を見ても「ストレスによる」と書いてあって、家に引っ越してきてずっとカラーをつけて病院の診察台の上で震えているポチを見ると可愛そうになった。ポチは皮膚の炎症のまわりを広範囲に毛を刈られ、消毒され、舐めないようにまたカラーを巻くことになった。飲み薬が1種類増え、塗り薬が処方された。口まわりの粒状の黒いものはアクネという“にきび”のようなもので、ブラシでこすると取れるらしい。取りあえず舐めさせないで投薬して様子を見ようということになった。

診察料 ¥700
薬価料 ¥1,800
・・・・ 内訳
    内服薬 ¥80×10
    塗り薬 ¥1,000
血液検査料 ¥4,000
=======計 ¥6,820


喉元と左右の横腹から脇の下、両膝と毛を刈られたポチは、それはもう人に見せられないくらいみじめな姿になった。見れば見るほど本当に毛が生えそろうのかと思うくらいだ。なかなか体調もよくならない。毛繕いのときに飲み込んだと思われる大量の毛がうんちの中に混じっていたり、ふけのようなものが毛の表面に浮いてきたりする。 (続く)  

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2001年12月13日

猫の看病日記 中編〜満身創痍の年越し(2001.12.17〜2002.01.21)

【2001年12月17日】

病状は変わらないまま12月17日6回目の病院。また改めて毛を刈られ、薬がもうひとつ増えた。一週間様子を見ることになった。頻繁なコーミングが必要なのでノミ取り用のくしを買う。

診察料 ¥700
薬価料 ¥3,290
・・・・ 内訳
    内服薬 ¥80×14
    内服薬 ¥80×14
    内服薬 ¥150×7
ノミ取り用コーム ¥315
===========計 ¥4,495


ポチがきちんとご飯を食べてくれることだけが救いだ。僕はこの時期次作のレコーディング真っ最中で昼過ぎに出かけて夜になっても帰らないという生活をしてたし、一日じゅうカラーをつけて不自由なポチをことを思うといても立ってもいられなくなったが、帰ってマンションのドアを開けると待ち受けて鳴き、撫でられるのを待ってる姿は健康な猫となんにも変わらない。



【2001年12月24日】

12月24日、クリスマス・イヴの日に7回目の通院。多少は良くなっててもやはり炎症部分の毛を刈られ、カラーも外さないように言われる。薬を2週間分もらってこの年最後の病院となった。せっかく少しずつ毛が生えてもすぐ刈られてポチはクリスマスだから、と買ってきたチキンみたいに肌があらわになっている。

診察料 ¥700
薬価料 ¥6,580
・・・・内訳
    内服薬¥80×28
    内服薬¥80×28
    内服薬¥150×14
===========計 ¥7,640


レコーディングで深夜に帰宅する日々はなおも続き、ポチは多分1人で部屋で寝たり水を飲んだりご飯を食べたりまた寝たり玄関のドア越しの物音に耳をそばだてたりしてたはずだ。アクネという口のまわりの黒いぶつぶつは古い歯ブラシで擦ってやると以外とあっさり取れて、ポチもまんざらじゃない様子で喉を鳴らして口元を押し付けてくるので作業がはかどる。

大晦日のころになるとポチの皮膚の赤みも減ってきて、カラーを外してネズミおもちゃで元気に遊ぶ時間も増えてきた。僕はお寿司を食べて年末を堪能したあと、新年が明けたことを理由にコンビニにアイスなんかを買いに出かけ、ポチのために一番高い猫缶を買ってあげた。近所の神社で初詣もすました。ポチのこともよろしくお願いした。

2001年、ポチがうちに来てから約1ヶ月でかかった治療代は合計で53,985円なり。



【2002年1月7日】

1月7日、2002年初めての病院。前回くらいからケージに入るのをひどく拒むようになってきたのは病院が居心地の悪いところだということを明確に意識したのだろう。

長いことフーフー格闘してやっとケージに押し込め30分遅れていった僕に、先生は待ちに待った言葉を口にした。 「まあ、かなり良くなったみたいだし、カラー外してみましょうか。それで悪くなったからって『外していいって言ったじゃないか』って言われると困るんだけどね」と笑いながら。そしてここ数日のうちに口がすごく臭くなったことを訴えて薬を変えてもらった。 1日2回から1日1回服用の薬に変更。これでかなり僕もポチも楽になる。相変わらず炎症部分の毛は刈られるけれども。

診察料 ¥700
薬価料 ¥3,640
・・・・内訳
    内服薬¥60×14
    内服薬¥80×14
    内服薬¥120×14
==========計 ¥4,550


カラーを外したポチは高いところに登ったり、久しぶりに四肢をリズムよく動かして走ったり、ソファを自分の城にして飛びまわった。見ていて気持ちいいくらい猫らしい。壁で爪をとがないかわりに僕のジーンズにまとわりついてきては爪を立てる。

猫トイレの砂は最初は紙の、トイレに流せるタイプのやつを使っていたのだけれども、最近はおからのトイレに流せるタイプに落ち着いた。濡れたところがすぐ分かってすごく手入れもしやすい。おからだけあって最初ポチは食べそうになったけれど今はなんの問題もない。

ようやく猫と暮らす醍醐味と言うか、喜びと言うか、そういう幸福感を実感できる日々が断絶することなく続く。まだ朝晩にむりやり薬を飲まされはするが、ポチは冒険心を全開にさせて動き回っている。ベランダから落ちそうになったり、朝寝てる僕に顔を押し付けてきたりする。

ずっと『猫の看病日記』という仮タイトルがついていたアルバムは『mono』というタイトルになって完成し、この時点で早くも次作のタイトルが『omni』と決定。



【2002年1月21日】

本当は朝から病院のはずがひどい大雨だったので病院に電話して午後の診察にしてもらう。せっかく早起きしたし、今日病院に行ったらまたポチは毛を刈られるだろうと思ってデジタルビデオカメラをセットしてビデオ撮影。これはその後編集され「目に見えないもの」のPVになった。

結局午後には天気はもっと悪くなり、ポチが入ったケージをビニールで覆って(自分はずぶ濡れで)病院へ。経過報告と薬を処方してもらう。毛も刈られる。

診察料 ¥700
薬価料 ¥3,640
・・・・ 内訳
    内服薬¥60×14
    内服薬¥80×14
    内服薬¥120×14
==========計 ¥4,550


ポチは相変わらずかさぶただらけで、元気に走り回ってはいるんだけど、定期的にすごく大きな耳につく声で鳴くようになってきた。さかりだろうか。

1月31日G.A.P.C.というユニット用の曲を作るため自宅に数名のミュージシャンが集まる(この楽曲は後に「University of Love」として完成)。ポチは人見知りもせず愛想を振りまいているが、時折作業に支障が出るくらいさかりのついた声で鳴いた。

いよいよ 真剣に避妊手術について考え始めた。(続く)

  
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2001年12月12日

猫の看病日記 後編〜完結編(2002.02.05〜2002.02.24)

【2002年2月5日】

避妊のことを考えつつ、急にポチがくしゃみと涙目が目立つようになって病院へ。中断していた目薬を再開し、薬も変わった。元気だがくしゃみが止まらないようだ。

診察料 ¥700
薬価料 ¥3,600
・・・・ 内訳
    内服薬¥200×7
    内服薬¥200
    点眼薬¥2,000
======計 ¥4,510


その後数日でくしゃみ鼻水はよくなってきたけれど、さかりで体が火照ってつらそうだ。



【2002年2月11日】

診察の結果飲ませていた抗生剤の量を半分に減らすことになった。いい調子だが、先生と真剣に避妊手術について相談する。選択肢は避妊手術以外ないような気がする。

診察料 ¥700
薬価料 ¥1,140
・・・・ 内訳
    内服薬¥100×7
    内服薬¥60×4
=======計 ¥1,930


夜眠れないくらいポチが鳴くようになった。本当に赤ちゃんが泣いているような声で鳴き、目がギラギラしている。腰の辺りをなでてやると吐息のような声。僕のかばんやらスニーカーやらにおしっこをするようになってきたが、怒るに怒れない。



【2002年2月14日】

前日くらいから電話で病院と相談して避妊手術を決意する。ポチの体力はかなり回復してるからきっと手術には耐えられるだろうとのこと。全身麻酔のため前の晩から断食させておかないといけなかったので「めしくれ」と鳴くポチを心を痛めて無視し続けて病院へ。

「避妊翌日コース」という、手術して一晩入院の後迎えにいくというコースを選択。安定するまで入院するプランもあったが何日も会わないのはつらい。危険を伴う手術ではないが、全身麻酔もあるし万が一のことがあっても仕方ないこととして了承する旨の誓約書を書く。

ケージごとポチを預けて、手術が済んだら電話をもらう約束をするが、前の手術がいくつか遅れていてポチの順番が回ってくるのがいつか分からないらしい。ものすごくお腹が減っているはずだし、病院のなかでケージにひとりのポチを思うとつらい。僕は雑誌の取材を受けつつ気もそぞろである。

結局日付が変わる前に病院から連絡があり、無事手術が終わったことを知る。麻酔から覚めつつあり点滴を打っているらしい。安堵の溜め息を大きくいくつもいくつも。



【2002年2月15日】

お昼過ぎに急いで病院にポチを迎えにいく。細い腕には点滴の後の包帯。ケージから出たポチはぐったりしてるが目は大きくいい顔をしていた。口内炎がいくつかできていたのはストレスのせいだと思われる。初めて会った手術担当の女性の先生がすごく優しくポチに「頑張ったもんねー」と接してくれた。「美味しいものをたくさん食べさせてあげてくださいね」と言われて気付けばポチは30時間以上何も食べていなかった。

避妊翌日コース ¥23,000
・・・・内訳
    診察料
    注射料
    自動点滴装置
    皮膚処置
    駆虫
薬価料 ¥2,540
・・・・内訳
    内服薬¥80×14
    内服薬¥80×14
    内服薬¥300
血液血清検査 ¥7,000
心電図 ¥4,000
=======計 ¥35,360


しばらくお腹の傷がくっつくまでカラーをして生活しないといけないが、ポチにとっても僕にとっても必要な試練だったと思う。帰宅後ドライフード、ツナ缶、水と普段と変わらず食事をしてくれた。お腹の傷のまわりは広範囲に毛を剃られ、こんなに切らなくても、というくらいの長さの傷を小さいホチキスの針のようなもので止めてある。

僕の住んでる町は猫の避妊に対してけっこうな補助金を出してくれるので、そのお金で手術に耐えたポチのために猫タワーを買ってあげた。肥満対策には昇降運動が一番いい。お気に入りの場所に。



【2002年2月18日】

術後4日目の朝、起きるとポチのカラーが外れていてお腹のホチキスも自分で取ってしまったみたいだったのであわてて予定外に病院へ連れていく。術後の経過はきわめて順調で傷口も問題ない様子。軽く処置してもらい診察代もかからなかった。



【2002年2月24日】

傷を見てもらいに病院へ。傷口もしっかりくっつき問題なし。これでポチはカラーから完全に解放される。さらに3ヶ月近くなにかしら服用していた薬も飲まなくていいことになった。間違いなくうちの猫になって以来一番元気で健康な状態。外はまだ寒いが早めの春が来たような感じ。

2002年に治療費として払ったお金は53,900円。ポチがうちにきてからたったの3ヶ月でかかった病院代のトータルはなんと10万7,885円となる。それでもしかし、それは値段の付けようのない猫といる暮らしのために捧げたお賽銭のようなものだ、と本気で思った。


3月に入って雑誌「猫の手帖」の取材を受けた。なんとか傷口の毛も生えてきて心配していた写真写りもばっちりだった。1ヶ月前から比べると信じられないくらいの幸福感が猫のまわりに漂っている。その後ポチは元気はいいものの柔らかめのうんちなどに悩まされ、オリゴ糖入りのフードを試したりしたが、4月に入って暖かくなるころにはお腹の具合もよくなった。

2004年現在(7月)にいたるまで、あれ以来一度も動物病院のお世話になっていないことに驚いている。その後ポチはポストカードのモデルになったりTシャツにデザインされたり僕の歌の中に登場したりしている。それでも心のどこかの、すぐ手の届く部分に「ポチは猫エイズポジティヴだ」という意識があるから、この「猫の看病日記」は完結しない。

今僕が望むのはこの日記の続きを書かないまんま、知らないうちにたくさんの月日が、それこそ10年くらい流れて欲しい、ということだ。(第一部 完)


追記;だいたいこの頃から10年経った。ポチはそのぶん歳をとって丸々と太ったけれども元気です。(2011年8月24日)
  
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