僕自身の物の見方/考え方に大きな影響を与え続ける小説家2人のトークショーを聞きに青山ブックセンターまで行ってきた。渋谷に着くまでの電車で読んでいた森達也著「夜の映画学校」での緒方明監督と森氏の対談中に「保坂和志」の名前が出てくる偶然。映像/映画の分野で話のなかで保坂の名があがることは多く、「夜明けまで」を撮ってくれた山川監督からも映画仲間としての学生時代の保坂話を聞いたし、「ストロベリーショートケイクス」という魚喃キリコ原作の映画にも保坂さんは出演してるらしい。
トークショーは柴崎さんが進行役をつとめる形で始まったが予想通り、文字おこししてみたら話の面白さがなくなるような、「・・・」とか声色の変化とか咳払いとか目配せとかそういう事象を全部含めて充実した興味深い内容のオンパレードで、非常に保坂的/柴崎的だと思った。
一人で充足した暮らしを送っていると風景が入ってこない、という保坂の自論に始まった風景描写の重要性の話をはじめ、2人のシーンを書くことに比べて3人以上のシーンを書くことの難しさについて述べられたくだりなどが印象に残った。歌も一緒で登場人物が2人の歌詞はありふれているから簡単に書けるのに、3人以上の群像劇を書こうとすると途端に奥行きが必要になって相応しい言葉が見つからなくなることに対する説明がついた感じだった。
保坂が柴崎の新作を評して「30歳前後の若者の普通の姿があまりに自然に小説に入り込んでいて、その登場人物には人生に対する甘い期待みたいなものがない感じがして、そこがちょっとすごいことなのではないか」というようなことを言ったのだが、僕もその言葉を聞いて「あああ、その通りだー」と思った。
保坂和志著「小説の誕生」と柴崎友香著「その街の今は」を購入、サインをしてもらう。柴崎を一気に読み返して、保坂をちょっとずつ読んでいくのがこの秋の楽しみだ。1,000円とか2,000円くらいで思考や意識のよどみがサラサラと流れていく感じがして、CDも単行本1冊くらいの値段まで下げたらいいのに、と思った。