

10センチの隙間から覗くとポチはこちらに背中を向けているようだった。手をいれてもシッポをつかむことしかできないし、そうこうしているとポチはじりじり奥のほうへ奥のほうへと身体を移動させていく。ホウキの柄の部分で追い出すようにすれば簡単に出てくるかと思ったがポチはこわばって重たい石のようにびくともしなかった。
「ぽっちゃん!おれやん!おにいちゃんやん!忘れたと?はよ出てこんね!ポチ!」真夜中なので僕は押し殺した声で、なぜか九州弁でポチを落ち着かせようとしたが数十分膠着。ポチにこれ以上のショックを与えたくないので腰をすえて慎重にやる、と決めた。
防寒のために着ていたコートを脱ぎシャツ一枚になって僕はマンションの廊下に寝そべって、ポチに僕の顔が見えるように10センチの隙間に寄り添った。やっと僕からもポチの顔が見えて、どこのドラ猫かと思うほど汚れていて目はカラーコンタクトをはめたみたいに空虚な感じになっていた。
僕の服もドラ猫かというくらいに汚れて、それでもやっと両手の肘くらいまで隙間から入れることができたのでポチの首とか頭とかあごをムツゴロウさんみたいにワッシャッシャッシャッと思いっきりなでまわした。しばらく硬直していたポチだったが、モノクロからカラーに変わるみたいな感じで(ホントにそう感じた)ゴロゴロゴローと喉を鳴らす音が聞こえてきて、ポチの身体もふにゃっと柔らかくなった。
なでるのをやめて両手を隙間からひっこめたら、ついにポチは顔を外に出したのだ。ぶるぶる震えながら。そして真っ黒になった両手、上半身とポチは這いずり出てきた。歓声をあげたい気持ちを抑えて冷静に小さな声で「おいでおいで。自分で出てこい」と呼ぶ僕。しかしポチのおなかから下がなかなか出てこない。10センチの隙間にポチの腹と足がつっかえて出てこない。
見かねて僕はポチに手を添えて身体を横向きにさせて、ついに両腕でグワッとポチをつかまえて胸に抱いた。こっちにも伝染するくらいポチはぶるぶる震えていて白い部分はすべて薄汚れていて瞳はまだ事態を把握していないような感じだった。
急いで部屋に戻って床に下ろすとポチはいろんな記憶をたぐるように回りを見回し少し水を飲んで「にいやああん(兄やん)」と鳴いて買ったばかりの黒いジャケットにすり寄った。そこでやっとホッとして僕も泣いた。ごめんなおれのせいで、ポチよ。でもおまえ、今史上最高に汚いからその黒のジャケットには触らないでくれ、と。
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