愛猫ポチについて皆さまへの御報告
皆さんに悲しく寂しく、とてもつらい報告をしなければなりません。
僕が2001年秋から13年一緒に暮らしてきた愛猫ポチが6月19日に逝ってしまいました。
僕自身が未だ呆然として信じられず、どれだけ泣いても涙が枯れずに溢れてきます。
ポチは14歳だった去年の夏に体調を崩し、病院で末期の腎不全だと告げられました。
それでもポチは頑張って復調し、秋からはまたとても幸せそうにいつもの元気な姿で
僕の暮らしを彩り豊かなものにしてくれました。病気は立ち去ったと思いました。
この6月に入ってポチは急に食欲と元気がなくなって、すぐ病院に連れていきましたが
腎臓病はかなり症状が進んでいました。毎日病院に行き、レクチャーを受けて自宅でも
点滴をするような日が続きました。ポチは鳴いたり暴れたりせず(いつも病院で褒められました)
可能性を求めて片道1時間の2つ目の病院通いも頑張った。最後の1週間は本当に過酷で苦しくて
なにをしてやれるでもないのに僕は寝ないでポチの背中や頭、のどを撫でて過ごしました。
最後の1日はすべてを病院の先生に託して入院させました。僕は深大寺で当病平癒の願掛けと
三鷹下連雀の禅林寺の太宰治のお墓にもポチのことをお願いしにいったのだけど
その日の夕方ポチは自分で息をするのを、心臓を鳴らすのをやめてしまいました。
しかしポチは最後まで体重を減らすことなく(獣医さんも不思議がっていました)
毛艶もすべすべつるつるで、顔もとても可愛く、きれいな姿をしていました。
フォトジェニックだったポチの意地だったのでしょう。
こんなに悲しく苦しくつらく寂しい思いを僕はこれまでの人生でしたことがありません。
27歳のときからずっと一緒に暮らしたポチは僕にとっての宝物だったのだなあと思います。
ポチが見せてくれた風景は僕に“新しい青の時代”と“緑の時代”をもたらし
日々撮りためたスナップは「ひなたのねこ」という写真絵本になりました。
ポチは僕と暮らして何を思っただろうか、とここ10年分の日記を見返してみて
きっと毎日楽しくノドを鳴らして甘え放題で幸せな13年だったのではないかと
そう思うことでこの喪失感と対峙しているところです。ポチは今年で15歳でした。
6月19日の桜桃忌に逝き、6月21日の夏至の日に魂になりました。
僕自身が疲労困憊、手一杯だったのでこの闘病のことを皆さんに伝えることができませんでした。
ポチを好きな友人、関係者、ファンの皆さまにこの文章で初めてこの事実を伝えることを
心から申し訳なく思います。ポチが一番お世話になった何人かの友人たちが集まってくれて
19日から二晩、ポチの亡骸は大好きだったリビングの日向の窓際で眠りました。
荼毘に付す日の朝は家じゅうの好きだった部屋に連れていき、大好きだった庭で過ごし、
最後にソファの上で「日向の猫」という、ポチが僕に書かせた歌をポチのためだけに歌ってあげました。
長い手紙と「ひなたのねこ」、庭に咲き誇る紫陽花を切ってポチのまわりに置きました。
いつも紫陽花の庭をパトロールしていたポチにとてもよく似合っていました。
皆さんにポチのことをずっと憶えていてもらえたら嬉しいです。
これまでいろいろありがとうございました。ポチを好きになってくれた人、
「かわいいね」とちやほやしてくれた人、これからもポチを思ってもらえたらポチも喜ぶでしょう。
いつも留守番ばかりだったけど、これからは旅先へもポチと一緒に行けるような気がします。
ぽっちゃん、安らかに。
僕はおまえのことが大好きでした。
これからも何もかもを忘れないと思います。
2014年6月22日
山田稔明
なお、現在開催予定のイベントやライブはすべて予定通り行います。まずは
明日23日(月)武蔵小山ライブカフェアゲインでのイベントでもなるべく
ポチの話をするようにします。皆さんに手を合わせていただけるような写真を
用意したいと思いますので可愛いポチに声をかけにきていただけたら嬉しいです。
僕もきっと心が揺れ動いて泣いたり笑ったり散々な感じになるかもしれませんが
しばらくはポチがくれたものの大きさを再確認する季節にしたいと考えていますので
どうか山田稔明とポチ、GOMES THE HITMAN.COMを今後ともよろしくお願いします。