昨日は『ripple』を録ったスタジオにて今年の頭からやってる仕事の一環、僕はソングライティングとアコースティックギターでレコーディングに参加。いつもとは違うバンドとの演奏で新鮮でした。
僕がこの前古本屋でたまたま手にした1999年のバーフアウトはTOKYO No.1 SOUL SETが表紙で、ぺらぺらめくると『weekend』時の自分のインタビューが載ってて、さらにめくると『ファンファーレ』時のadvantage Lucyに「砂丘」時のセロファン、最近ライブでも一緒になったhalちゃんとかタートルズ松本くんとか過去に対バンしたいろんな人たちなんかも含めてたくさん知り合いが載ってたので感慨深く、購入。
僕はこの、ポスト渋谷系的な90年代終わり頃は非常に無自覚に「わかってる」かのような発言をしていたように思います。気になる自分の発言を拾うと...
「英米文学の影響を受けているからって、
僕がアメリカのことを歌詞に書いても真実味がないし..」
(影響というのはきちんと消化/個性に昇華しないとダメですよ)
「...でも今はタイアップありきというかヒットさせよう
っていう狙いばっかりだと思うんですよ」
(今読むとひがみのように聞こえます。聴き手の心にヒットさせる狙いは必要だ)
「昔はそれ以前にちゃんと『歌』だったし、そういうところにはリスペクトするというか...」
(昔は、とか、そういうところには、という言い方がなんか気に障るな)
最後は「僕REMとかレモンヘッズとかカレッジシーンから出てきたバンドが
好きなんで向こうの学生街に留学したくてしょうがないんですよ」という締めくくり。
2005年に1999年の自分のインタビュー記事を読むと今よりも世間知らずでちっちゃな自分を俯瞰してる気持ちになりますが、音楽を続けることで振り返る「昔の自分」が増えていくのを僕は「愛おしい」と感じていて、今年の夏の弾き語りでは古い曲もたくさん歌おうと思ったのです。音楽を続けるというのはやってみると結構大変です。
そんなことを思ってるときにadvantage Lucyの、まさに待望の新作を聴かせてもらって、これまでの時間とか気持ちなんかが完璧に凝縮された感じの歌の立ち上がり方に鳥肌が立ちました。