
さて、8月最後の週末だ。小学生のころ夏休みの後半を父親の実家である愛媛で過ごすことが多かった。海が近くて、昼過ぎにばあちゃんといとこと一緒に海へ出かけ、つぶ貝をとってきてその夜にそれを食べたりしていたことを憶えている。ばあちゃんがおやつの時間になるとなぜかいつもオロナミンCをくれたことも思い出した(10歳かそこらの僕が滋養強壮のために飲んだ初めての栄養ドリンクだった)。愛媛弁は関西弁と九州弁のちょうど中間のような言葉で、数週間そこで暮らしていると自分の九州弁が少しずつ変な感じに変わっていくのがおかしかった。
ばあちゃんは例えば海から家に帰るときに「さあ、としあき、そろそろいぬじょ」という。僕は「は?」となるわけで、「いぬんじゃ、いぬ」というばあちゃんに「いぬって?」と聞くと「“去る”っちゅうことじゃ」、「い犬?猿?なにそれ!?」みたいな風景がバーッとフラッシュバックした。今でも「いぬ」とは「帰る」ということだと無意識に頭のどこかがカチッと認識している。
四国に最後に行ったのは1998年頃、テレビ番組制作の仕事をしていたころで、その時はたくさんの滝でロケをした。その前に行ったのが大学時代、いつもオロナミンCをくれたばあちゃんのお葬式のときで、自分の親父が泣いているのを初めて見たんだけども、やっぱり直視できなくてやめていた煙草を再び吸うきっかけになった旅だった。
夏が来れば思い出す、という歌を口ずさみながら記憶をたぐるとどんだけこすっても落ちない湯のみの茶渋みたいにポロポロと思い出す何かがある。今年の夏は暑くてずっと部屋の中にいたから物思いに費やす時間が長くてたくさん記憶を整理したのだ。