夏休みの宿題が終わった子供の気分

あああ、たくさんの言葉とメロディで頭のなかが目一杯になるような1週間でした。先週のCLUB Queのライブの前日「ユーフォリア(仮)」という曲を、明けて締め切りに追われながら月曜から2日間かけて「そして、ひとすじの光(仮)」という曲を、水木で「me-light(仮)」という曲を書いた。
秋のツアーの忙しさでしばらく作曲作業をやってなかったんだけども久しぶりに根詰めた時間だった。作曲というのは「ああ、書ける気がしない...」というときと「すわ、書ける気がする!」という気分の基調低音に楽曲の出来が左右されるのですが、この1週間でその基調低音のようなものがジワジワっと良い方向に変わっていくのがわかった。その感じがとても気持ち良かった。
1曲の歌を作るのにその中で歌われる歌詞の3倍くらいの量を書いて取捨選択していくのが普通なのですが(僕の場合はね)、「すわ、書ける気がする!」モードのときは旋律に言葉を書かされるというか、余計な、余分な歌詞が出てこないもので、久々にそういう感覚を味わって体とかノドは疲れてるのに心はほくほくしてるみたいな、「あああ、この気分は僕にしかわからないだろうな。特権だな。そう言えば昔ドッケンっていうバンドがいたな」という感じで楽しかった。
で、「1曲の歌を作るのにその中で歌われる歌詞の3倍くらいの量を書いて取捨選択」された残りの3分の2の言葉というのは他の曲で再利用されたりもするにはするけれど、だいたい取捨選択で落とされた時点で言霊とか効力とか強度みたいなものをなくしてしまうのでほとんどがゴミ箱に消えていくのだ。
ものすごい量の言葉を書き散らした後なので僕は今やたら饒舌かもしれない。ライブ前日にしてバタバタと明日の準備をしているのですが、なにをしゃべろうかとか、こないだ歌わなかった秋についての曲をやる今年最後のタイミングだな、と思ったり、もうクリスマスについての歌も解禁していいだろうとか、セットリストを考えています。21時頃からの出演となりますので迷わず遊びにきてください。
写真は珍しく晴れた火曜日の市ヶ谷の夕暮れ。ビルの谷間に太陽が落ちていく午後4時。
Posted by monolog at 23:51│
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宿題お疲れ様です。
作曲三昧でしたね。
自分は作曲したことはありませんが、「基調低音」というのは、気分のupper・downerのようなものでしょうか。
ものを書く時は、完成までに何度か叩き台を出して、直して、また出して…を繰り返しますね。やはり誰でも完成品の3倍くらい書くのでしょう。
「旋律に言葉を書かされる」という言葉は、芸術家ぽくて素敵です。神がかっている。
言葉は生み出した時点ではいいかも?と思えるのに、取捨選択すると「言霊とか効力とか強度みたいなものをなくしてしまう」という部分が心に残りました。一度は愛したのに、ゴミ箱に捨てる時の寂しさ。
もうクリスマスの歌の時期なんだ。日の入りが午後4時なんて、夏はずっと遠くに行ってしまって。
お疲れ様でした。
私も絵を描いている時、塗った絵具を削ったり、洗い落としたり、その繰り返しで、画面上に残っている何倍もの絵具を使うことがあります。
ただ、画面から剥がされた絵具を私は他の作品のマチエール作りに使ったり、結構再利用していますよ。
学生時代、せっせとソレの膠抜きをしていると、何してんの?みたいな目で見られてましたけどね…。
今日は行けませんが、夜の科学と猫町にそれぞれ1日ずつですが参加します。
猫町は初めてなのでとても楽しみです♪
写真、とてもキレイですね。ドキッとしました。
長い影、ずっと見ていたくなるような気持ちになります。
キレイですね。
この時期は街での解禁、人それぞれの思い入れがある解禁がある。どんな解禁がそれぞれにあるのだろう。それを考えると冷えた空気の中でもあったかく感じられる。やっと来た冬を楽しもう、と思います。
基調低音て、常に心の中に鳴り続けてる心音(心音は常には聴こえないけど)みたいな?気分を下支えするどんなときも常に静かに流れてる気持ちじゃないかなと。
今日、「a called place powwow」が聴きたいです。大好きなんです。しばらく聴いてないから。。
それは、わくわくわくわくですね。
曲のタイトルも一風変わった感じで素敵です。
ymdさんの声が、どこかで鳴っていることを期待して待っております。
季節の移り変わり、寒さに加えて身体の温度はほくほくかな。