2008年03月18日

チベットを想う

tibettibet2テレビのニュースでチベット情勢が映るたびに見入って考え込んでしまいます。ダライラマ14世は「これ以上チベットで暴力が続くならわたしは退位する」とまで述べて指導者の地位を辞する考えを表明したようです。

映像制作の仕事をしていたときNHKBS2で数夜連続のチベット特番のスタッフをやったことがある。ものすごく難解なチベットの僧侶たちの禅問答の英語字幕を日本語に訳したり基本的な歴史を勉強しなきゃなんなかったりで寝るヒマもなくて大変だったが中国から来た外国人スタッフたちが美味しい餃子を事務所の台所で焼いてくれたことを思い出す。

僧侶をしている友人に「仏教徒としてチベットどう思う?」とメールしていたらお昼過ぎに電話がかかってきた。大学時代に相当勉強したであろう難しいことを簡単な言い方でいろいろ教えてくれた。政治と宗教、共産主義とイズムのことなど。一息ついて彼がさらっと言った「今はテレビが宗教みたいになってるからおれたちは本当に優しい心根を持って物事の本質を見逃さないようにせんといかんばい」という言葉が印象的だった。

同じく「どんな感じ?」とメールしていた中国在住の友人は旅先の香港から「一般市民には関係ない話というか、結構報道されてはいるけど無関心/無知というか。起こるべくして起きた、とおれは思う」と返事をしてきた。

昨年末にファンの方からいただいた「祈り」という本は中国雲南省からチベットをゆく旅行記で文章も写真もきれいでよくぱらぱら眺めるのですが、そのなかに“香格里拉”と書いて“シャングリラ”と読むチベット自治州の州都が出てくる。シャングリラとは理想郷の名前だがチベット語では「心の中の日月」という意味らしい。

この本のための旅は2005年春の反日デモが激しい時期に敢行されているが、宮崎あおいはまえがきに変えて「今思えば結果的にあのデモの時期に中国へ行けたことはすごくよかったと思っている。そうでなければ私は中国全体が反日デモをしているような印象を持ったままだったかもしれない。私が中国で出会った人や家族はみんな優しくて、素敵な笑顔がたくさんあった」という旨のことを書いていて、それが“本当に優しい心根を持って”“本質を見逃さない”ということなのかもしれないなと思いました。

Posted by monolog at 21:49│Comments(0)TrackBack(0)

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