4月末恵比寿での先行リリースライブと京都・加古川、5月末の下北沢でのバンド編成レコ発に続き再び始まった弾き語りツアー。キャリーバッグに荷物を詰め込みながらすり減った車輪を見て「7月の旅まで持ちこたえますように」と願う。
1年ぶりの佐賀。天気予報では100%豪雨と聞かされていたのでブルーになる覚悟はできていましたが、飛行機の窓から見る雲の上は当然まぶしく晴れていて一縷の望みにすがる自分もいた。
果たして降り立った福岡空港は雨で、地下鉄で博多駅へ。鹿児島本線乗り換えのためホームへ上がると電車のダイヤが乱れまくって混沌としている。雨のせいかと思ったら人身事故、東京でも九州でも人身事故は起こる。
快速が急遽各駅停車に変更になりすし詰めの電車はゆっくりと鳥栖へ。車窓から眺めるガクアジサイがきれいだった。耳に入るすべての言葉が九州弁。自分の言語スイッチも生まれ育った言葉へと切り替わっていくのだ。鳥栖駅は古い駅で、その姿は昔から全然変わらない。相変わらず空が広い街。雨はそれほどひどくなく、ずいぶん遅れて会場入りする頃には同級生のみっちゃんとうちの母親が机や椅子を並べてスタンバイしてくれていました。
昨年同様鳥栖“Bar APPLAUTIR”にはママに抱かれた子どもから小学校中学校時代の同級生、60歳を越えた親戚のおじちゃんおばちゃんまで老若男女が集まってくれた。先月徳島アアルトコーヒーを訪ねたときにマスターの庄野さん(同世代)が「誰もが隠したい黒歴史であるはずのECHOESをカバーしてる動画を観て感動した」と言ってくれたのでこの日もECHOESをカバー。生まれて初めて行ったコンサートがゴダイゴだったので「ガンダーラ」も歌った。カンガルーの会(小さく産まれた赤ちゃんのための親子会)のお母さんたちもたくさん観にきてくれたので彼女たちのために「この広い世界で」も。
この日だけ歌うつもりだったカバーのなかから結局さだまさし「道化師のソネット」が西日本ツアーセットの中に組み込まれることになった。大学を卒業して就職してクタクタになっている疲れた心にとても自然にじわーっと染み入った歌だった。
札幌からレストランのや親子がライブを観にきてくれて、うちの親と「お世話になっています」「いいえ、こちらこそ」と頭を下げながら言葉を交わしているのも不思議な光景でした。いただいた立派なアスパラガス、美味しかった。
誰かがアンケートにも書いていたが、この日の「SING A SONG」は手拍子がとても拙く不揃いで、でもそれがとても誠実な感じで鳴っていてとても感動的だった。初老のおじさんがビールを飲んでまったりしながら僕の話を聞き入ってうなずき拍手手拍子をしてくれているのを不思議な気持ちで眺めていた。
遠方から観にきてくれた人たちにも感謝。あそこが僕の生まれて育った街です。
ライブ後、去年同様にうちの母親行きつけのスナックというか小料理屋というか、唯一無二な雰囲気のお店へ連れて行かれる。同級生のみっちゃんやっちゃんも道連れ。
最初は僕ら以外に脚はおらず静かにおでんをつついていたが、市議会議員のお兄さんに続いて仕事終りの集団客(韓国から仕事を習得しにきてる人たち含む)が入店、ハングル語の歌、カラオケが始まる。
対抗心がわいてきたうちの母親は僕に耳打ちしてくる。「あんた、ライブで歌ったさだまさしさんの曲ばカラオケで歌わんね、さあ、ほら」と。僕が嫌がっていると「あらー皆さん歌がうまかですね。ばってんうちの息子も東京でプロのミュージシャンばしよっとですよ。もう10年も!」と大きな声で言う。
「ああもう、しぇからしか!」とめんどくさくなって僕は刀を抜くようにギターを出して「手と手、影と影」をその場でフルコーラス熱唱。その後僕の帽子にはそこに居合わせたお客さんたちからのお札が吸い込まれていった、そんな夜でした。
また来年もその次も鳥栖でライブがやれたらいいなと思う。昔は里帰りして歌うなんて想像もできない、とんでもないと思っていたけど、今はそれが嫌じゃない。この心持ちの変化は自分にとってはなかなか大きいです。「息子の一番長い日」、という感じの西日本ツアー初日でした。