しばらく時間がたってしまいましたが旅日記補完。cafe Tecoでのライブ後打ち上げは美味しい餃子。次回は9月、ゆっくり鍋でも食べましょうとテコさんと別れ、今回は高校時代のバンド仲間やっちゃんの家に宿泊。
ビールを何缶もあけて眠くなるまで終わらない話。3月11日の前と後では僕らの会話の内容は確実に変容したが、それでもなにも変わらないところもある。目が覚めたら朝。
前回遊びにきたときはいなかった、やっちゃんちの犬(ニヤっとした顔が特徴)。僕から猫の匂いを嗅ぎつけたのかとても興奮し、うれションされるという事件!着替えを持ってきていて助かった。子供たちとテレビゲーム、Wiiってので初めて遊んだ。マリオカートで惨敗、自慢気な子供たち。
やっちゃん一家と昼食を食べに。九州といえばラーメンというのが共通認識だろうが、福岡にはラーメン屋よりうどん屋のほうが多いという言説があるくらいうどんが美味しい。僕も高校生の頃はうどんばっかり食べていた。ということで美味しいうどん屋でおなかいっぱい。
天気もよく快適なドライブ、車で佐賀の実家まで送ってもらった。毎回九州に帰るたびに掛け値なしにサポートしてくれる旧友には心から感謝したい。友だちや世代の近い仲間と話をすると自分の“故郷”を実感します。
久々の実家、それこそ前回の福岡ライブの夏以来の帰郷。ひとりっ子の僕にとって長い時間親と対峙するのはなかなか骨の折れることだが、親孝行、仕方のないこと。
テレビを買いたいというので郊外型のショッピングモールへ。めんどくさいから全部機能がついているやつがいい、とブルーレイディスク内蔵の高いテレビを買う親に何も言えず。うちの親もちゃんと韓流ドラマにはまっていた。韓流の伝播力はすごい。
僕の故郷は田舎でもモールがあるのでスタバも本屋も家電量販店も、東京で買えるものがすべてある。スーパーマーケットも品揃えいっぱいで震災からは遠い場所、経済を必死にまわしている印象。天井から恐竜の足が!というトンデモ内装の面白いお店だった。
いつも実家に帰ったらそうするようにこの日も近くの温泉で、岩盤浴まで堪能しご飯を食べたら眠くなって22時には寝てしまった。実家とは眠くさせる空間。翌日は6時半に起きてご飯を食べ外出。鳥栖から久留米まで出向きぼーっと筑後川の流れを眺める。鳥栖はたくさんの工場が並ぶ工業地帯だが大人になってからのぞむその風景は昔見た印象とは少し違う。筑後川も同じく。こんな大きな川だったか、とぼんやり。
10年前大分のタワレコインストアでお世話になった方が久留米で勤務されているということをTwitterで知り会いにいく。そこもゆめタウンという郊外型モール。久々の再会が嬉しい。また9月に!と握手。
鳥栖まで戻り新鳥栖という、3月12日に開通した九州新幹線の新しい駅を見にいった。とても立派できれいな近未来みたいなフォルム。震災の影響で観光客が少ないらしく人はまばらだが、これからどんどん盛り上がって欲しい。路線図を見上げながらどこかへふらっと、たとえば鹿児島なんかへ行きたくなった。
母親とふたたび落ち合って先祖が眠るお墓をお参りに山を登る(車で)。子供の頃から蛍を見たりクワガタやカブトムシを採ったり釣りをしたり、それこそ「ぼくのなつやすみ」的なシーンが繰り広げられた集落。去年の3月に亡くなったおばあちゃんに手をあわせた。「あら!大きかしいたけが生えとる」と母は車から長靴を出してきて草むらに入っていく。うぐいす(ホーホケキョと鳴いていたからそうだろう)の声を聞きながらリラックスした時間でした。
山を降りて、役場で働くみっちゃんに会いにいったら鳥栖近郊でGWに行われる「ラ・フォル・ジュルネ鳥栖」のことを教えてもらった。世界的な音楽家や楽団がとてもリーズナブルでコンビニエンスに楽しめるそうで、僕も実家にいたら絶対行くだろうなと思うような贅沢な催し。お近くの人はぜひ足を運んでみてください。
新しくなった博多駅が見たくて福岡空港まではJRで向かった。懐かしい、えらく傾いた車両に乗って。博多駅はキラキラしていて、札幌で歩いた地下通路同様近未来的な印象。福岡空港まで地下鉄、最終便で東京へ。
窓際の席だったので、どれくらい東京の街が暗いのだろうかと見下ろしてみたが、ポロポロと溢れるような光の粒がとてもきれいで、柔らかくほぐれた身体がまたすっと背筋が伸びるような気がした。