オリンピックと思い出ぽろぽろ
以下の文章は8年前2004年のアテネオリンピックのときに書いた文章で、4年に1回のオリンピックのときには飽きもせず同じことを思い出したり思い返したりする。今日も壮大な開会式を観ながら「そういえば」と同じことを思い出したので(また改めて読み返したので)ここに転載します。「オリンピックと思い出ぽろぽろ」2004年8月の記録。
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ベランダのニガウリに花が咲き朝から驚喜。しかしバジルと青じそが虫に喰われてしんなりしている。果てなく続くかと思えるオリンピック開会式を見ていて世界は広いな、というか、どこまでも「ある」な、と思いました。
いつも4年に1回のこのタイミングで思い出すのは高校時代の体育祭で、入場行進のときに3年4組(僕は3年2組の私立文系クラスだった)だけが「USA式入場だ」と言い張り足並みをまったく揃えず来賓のテントに向かって手を振りながらダラダラと行進して、体育教師にすごい勢いで怒られていたのが面白かった。
この体育祭では、3年生が中心になり応援団を構成して応援合戦をやらなければならず、何事にも無気力だった僕らは応援団長選出に難航し、団長を拒み続ける(それでいてリーダーシップの強い)Sくんと仲良しグループの僕ら数名は、親不孝通りでしこたま◯◯を飲んだ後、天神の警固公園というところで話し合いをし、「おまえらのうち誰かがこの池に飛び込むくらいしたら団長しちゃるばってんな」と意地でもつっぱねようとするSくんの言葉にNくんが痺れを切らし、服のまま池にザブーンと飛び込んで(スローモーで見えた!)泣きじゃくりながら「おれはお前が団長やるなら死んでもついてゆくっちゃ!」、それに続いて僕らも「おれもたい!」「おれもくさ!」とみんなが声を荒げる。うつむいていたSくんが一呼吸おいて「わかったちゃ」と言った瞬間にそこにいたみんなが感極まって泣き笑いした、という春まだきの寒い夜のエピソードというのがあって、「tsubomi」という曲の「17歳の頃流した涙思い出して笑う」という歌詞の下りはこの出来事を指しているから、自然とこのクソ暑い時期に僕は「tsubomi」という曲を思い出すことになる。
ちなみに僕は応援団の中で太鼓を担当し、太鼓の叩き過ぎで手の皮がむけるという最初で最後の体験をする。高校からチャリで30秒の距離にあった僕の家は応援団合宿所となりました。当時うちにはアキちゃんという猫がいた。
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先日のレコーディング中リズムを録音するセッションのあいだロサンゼルス五輪('84)とシドニー五輪('00)の間の3つの五輪開催都市名を思い出す、という記憶ゲームをやりました。'88年のソウルは簡単だったが僕は'96年のアトランタを思い出せず(アメリカは2回もやっててずるいな)、アッキーは'92年のバルセロナを最後まで思い出せなかった。ソウル五輪とバルセロナ五輪の間の大部分僕は九州の田舎で高校生で、その頃のことを最近よく思い出します。
さて、体育祭で応援団をやることになった高3の僕たちは夏の盛りに練習を開始しました。僕らは3年2組(私立文系クラス)だったのでB団という名でチームカラーは黄色ということになった。誰かがどこかで手に入れてきた、応援団が有名な高校の体育祭のビデオを学校からチャリで1分の僕の家で◯◯◯を飲みながら(発泡酒なんかなかった時代)団長のSを中心にみんなで研究の日々。
チームカラーが黄色ということは虎、タイガーっぽさを出さなきゃならんだろう、とテーマも決まっていきました。学校は中高一貫の新しく出来た進学校だったが、僕らは2回生として高校から入学しているので(一学年上に先輩がいただけ)伝統というものがまったくなく前例に習うということもない。
僕はHくんとふたりで太鼓担当だったが、太鼓を響かせるのが案外難しい。太鼓のふちと皮の部分でリズミカルなパターンをいろいろ考えた。女子チームは団長が着る紋付ハカマなんかのデザインを開始、絵がうまい人は大きな虎の絵の立て看板を塗り始めた。夏休み中に学校で夏期講習という名目で午前中勉強し午後から遅くまでおのおの体育祭へ向けての作業をしていた当時の夏を思い出すといろんなことがあったはずだけど楽しかったこと以外は忘れてしまっている。
例えば、視聴覚教室で振り付けの練習の途中でギャアギャアふざけて遊んでいたらNくんがグーでガラスを殴ってしまいバックリ手を切って保健室では手に負えないので病院に連れていった。ガラスを片付けていた別のNくんもなぜかまた手を切ったので後を追うように病院へ。そんな状況でもみんな何か面白くて楽しくてゲラゲラ笑っているような夏だった。
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オリンピックもメダルラッシュが一段落し大詰めか。浜口親子(浜口京子選手は僕が通った大学の向かいにあった武蔵野高等学校出身のはず)には非常に楽しませてもらいました。が、オリンピック会場のスタンドにニコンのカメラを下げたとくダネ!の◯◯さんがいるのに気がつき「ああ、また見ちゃったよ」という感じになる。
今から13, 4年前、高校時代の夏は確実に近年ほど暑くはなかった。僕の高校はグラウンドの向こうに国道が走りその向こうはどこまでも山だったが、その山側に簡易スタンドのようなものが組まれた。そこで体育祭を観戦したり応援合戦をしたりするための4段ほどのスタンドだ。
黒字に黄色いラインのハッピを着た応援団B組は(他の団ももちろん)授業が終わると振り付けの練習をし、本番が近づく晩夏には下級生を含めて団員は20人近くになっていた。太鼓担当の僕は手の皮がむけ、日焼けして眼鏡の形がはっきり顔についていたと思う。
本番の記憶がすっかり抜けているのは不思議だけど、我が団が優勝しなかったことは憶えていて、みんな涙ぐんだり泣いたりしたことと、久留米で打ち上げをしてみんなひどい酔い方をしたことも憶えている。それからは加速する受験勉強のラストスパート、冬期集中講座、センター試験、孤独な受験、上京と続きます。
その頃はちょうどR.E.M.の『OUT OF TIME』というアルバムを僕は聴いていたはずで、その2年後にはもうGOMESを始めてるので、すごい昔のことのように感じているこれらのことが実はそんなに昔じゃないのかもしらん、と最近は思っている。
*2004年8月14日、8月20日、8月26日と3回に分けて書かれたブログエントリー。
*なんかちょっと、と思ったところを◯◯と伏字にしました。
Posted by monolog at 09:36│
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