恵比寿天窓switchでの7ヶ月ぶりの、バンド編成では春以来の“夜の科学”は39回目、「あさってくらいの未来」という新曲をサブタイトルに掲げた秋分の日の夜でした。イトケンさんと武蔵野を昼過ぎに出発し安宅くんをピックアップして恵比寿へという道も久しぶり。車中BGMはなぜかザ・ランナウェイズとチャット、全身でリズムをとりながらswitchへイン。
少しだけスタッフ陣の入れ替わりがあり、switch側も今までどおりの雰囲気でライブができるようにと最善を尽くしてくれてなんのストレスもなく穏やかなリハーサル、そしてあっという間の開演。オープニングの映像は8月に葉山で撮ってきた海のシーン、そこに「dejavu song」という映画「ナナとカオル第2章」の冒頭で流れるインストゥルメンタルをのせて。
9月の始まりは「harvest moon」から。2曲目の「どこへ向かうかを知らないなら..」には「9月になると思い出すこと」というフレーズがあって、それは僕の意識のなかでは「harvest moon」から明確に繋がっている。すべてが独立しつつまたすべてが繋がっている、というのが僕の音楽に対する理想。新しい曲を中心のセットリストでした。
奇しくもこの日はR.E.M.解散から1年目の夜ということで「nightswimming」の一節からの「月あかりのナイトスイミング」がとても気持ちよかった。季節をまたぐときにこの曲は雰囲気が様変わりしたのだけどどこかの地方都市の街灯や誘蛾灯がちらちらしている風景が明確に脳裏をよぎるようになった。「光の葡萄」もそう。これは東京のどこかで毎晩展開する静かなシーンのBGMだ。
バンド編成で初めて演奏した「あさってくらいの未来」がとても気持ちよくて、みんなもそうだったら嬉しいなと思いました。2回目のサビの「5センチくらいの些細な兆し」と歌ったあとに安宅くんのスライドギターがキューンと入ってくるところで僕もキューンとするのです。昨日iPhoneのボイスメモを遡って聴き返していたらこの歌は5月の終わりに鼻歌でメロディの原型ができていた。札幌の作詞ワークショップではこれをみんなに聴いてもらってこれにどうやって言葉の枝葉が生えていったかを検証したりしてみようかなと思っています。
気づくと2時間半の、いつもの長丁場のライブに。MCでなにをしゃべったかとか付随するサイドストーリーはまた五十嵐くんが面白く日記に書いてくれるでしょう。アメリカ橋の上で打ち上げしていたら雨が降り始めてそれは日曜日までを覆い尽くしたのだけど、とにかく9月22日はとても楽しい夜でした。ありがとう。