2010年(日本では2011年)に公開された映画で「
キッズ・オールライト」というのがあって、僕はWOWOWか何かでテレビで観たのだけどこれがとても愛らしい映画で哀しくて優しくておかしくて、何回観ても見入ってしまう。予告編で大まかなストーリーは伝わると思いますが、いがみ合っていた者同士がジョニ・ミッチェルの『Blue』のアナログ盤に反応し「All I Want」をシンガロングして意気投合したり、細かいひっかかりがたくさんある映画。で、その製作陣が手がける映画が公開されるというので楽しみにしていた「
メイジーの瞳」が今年最初の映画館で観る作品となりました。
原作はなんと1897年のヘンリー・ジェイムズという作家の小説だとのこと。それを時間軸を現代、舞台をニューヨークに移してリメイク。「キッズ・オールライト」でも好演のジュリアン・ムーアが貫禄あるロックスターを演じ、ミア・ワシコウスカの可憐さをジョアンナ・ヴァンダーハムが引き継ぐ。そしてなによりメイジーを演じる6歳のオナタ・アプリールの存在感に牽引される物語。前述の「キッズ・オールライト」同様に哀しいような優しいような複雑な後味、誰かと「家族」とは何かを語り合いたくなる映画でした。アメリカのお金持ちはこんな家に住んでいるんだろうなーという感じのインテリアとか子供部屋にあるイケアのおもちゃとか可愛らしいテキスタイルとか、現代アメリカの暮らしを知る資料としても重要な作品かもしれません。
20歳で成人してそこからさらに20年経ち40歳になって思うことは、昔思い描いていた大人というのは想像上の存在に過ぎないということで、僕らはいつまでたっても成熟できないでいる。僕は一人っ子で両親が共働きの子供時代のことを思い出して「セレナーデ」という歌を書いたことがあるのだけど、猫と一緒に膝を抱えて光と影を眺めて子供ながらにいろんなことを達観していたあの頃のことはいつまでも忘れられない。波に揺れる小舟のように未熟な大人たちのせいで翻弄されながら一番大人びているように見えるメイジーの姿を眺めながらそんなことを思いました。
Posted by monolog at 11:24│
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