2014年06月22日

愛猫ポチについて皆さまへ御報告があります

愛猫ポチについて皆さまへの御報告

皆さんに悲しく寂しく、とてもつらい報告をしなければなりません。
僕が2001年秋から13年一緒に暮らしてきた愛猫ポチが6月19日に逝ってしまいました。
僕自身が未だ呆然として信じられず、どれだけ泣いても涙が枯れずに溢れてきます。

ポチは14歳だった去年の夏に体調を崩し、病院で末期の腎不全だと告げられました。
それでもポチは頑張って復調し、秋からはまたとても幸せそうにいつもの元気な姿で
僕の暮らしを彩り豊かなものにしてくれました。病気は立ち去ったと思いました。

この6月に入ってポチは急に食欲と元気がなくなって、すぐ病院に連れていきましたが
腎臓病はかなり症状が進んでいました。毎日病院に行き、レクチャーを受けて自宅でも
点滴をするような日が続きました。ポチは鳴いたり暴れたりせず(いつも病院で褒められました)
可能性を求めて片道1時間の2つ目の病院通いも頑張った。最後の1週間は本当に過酷で苦しくて
なにをしてやれるでもないのに僕は寝ないでポチの背中や頭、のどを撫でて過ごしました。
最後の1日はすべてを病院の先生に託して入院させました。僕は深大寺で当病平癒の願掛けと
三鷹下連雀の禅林寺の太宰治のお墓にもポチのことをお願いしにいったのだけど
その日の夕方ポチは自分で息をするのを、心臓を鳴らすのをやめてしまいました。
しかしポチは最後まで体重を減らすことなく(獣医さんも不思議がっていました)
毛艶もすべすべつるつるで、顔もとても可愛く、きれいな姿をしていました。
フォトジェニックだったポチの意地だったのでしょう。

こんなに悲しく苦しくつらく寂しい思いを僕はこれまでの人生でしたことがありません。
27歳のときからずっと一緒に暮らしたポチは僕にとっての宝物だったのだなあと思います。
ポチが見せてくれた風景は僕に“新しい青の時代”と“緑の時代”をもたらし
日々撮りためたスナップは「ひなたのねこ」という写真絵本になりました。
ポチは僕と暮らして何を思っただろうか、とここ10年分の日記を見返してみて
きっと毎日楽しくノドを鳴らして甘え放題で幸せな13年だったのではないかと
そう思うことでこの喪失感と対峙しているところです。ポチは今年で15歳でした。
6月19日の桜桃忌に逝き、6月21日の夏至の日に魂になりました。

僕自身が疲労困憊、手一杯だったのでこの闘病のことを皆さんに伝えることができませんでした。
ポチを好きな友人、関係者、ファンの皆さまにこの文章で初めてこの事実を伝えることを
心から申し訳なく思います。ポチが一番お世話になった何人かの友人たちが集まってくれて
19日から二晩、ポチの亡骸は大好きだったリビングの日向の窓際で眠りました。
荼毘に付す日の朝は家じゅうの好きだった部屋に連れていき、大好きだった庭で過ごし、
最後にソファの上で「日向の猫」という、ポチが僕に書かせた歌をポチのためだけに歌ってあげました。
長い手紙と「ひなたのねこ」、庭に咲き誇る紫陽花を切ってポチのまわりに置きました。
いつも紫陽花の庭をパトロールしていたポチにとてもよく似合っていました。

皆さんにポチのことをずっと憶えていてもらえたら嬉しいです。
これまでいろいろありがとうございました。ポチを好きになってくれた人、
「かわいいね」とちやほやしてくれた人、これからもポチを思ってもらえたらポチも喜ぶでしょう。
いつも留守番ばかりだったけど、これからは旅先へもポチと一緒に行けるような気がします。


ぽっちゃん、安らかに。
僕はおまえのことが大好きでした。
これからも何もかもを忘れないと思います。


2014年6月22日

山田稔明

DSC07947


なお、現在開催予定のイベントやライブはすべて予定通り行います。まずは
明日23日(月)武蔵小山ライブカフェアゲインでのイベントでもなるべく
ポチの話をするようにします。皆さんに手を合わせていただけるような写真を
用意したいと思いますので可愛いポチに声をかけにきていただけたら嬉しいです。
僕もきっと心が揺れ動いて泣いたり笑ったり散々な感じになるかもしれませんが
しばらくはポチがくれたものの大きさを再確認する季節にしたいと考えていますので
どうか山田稔明とポチ、GOMES THE HITMAN.COMを今後ともよろしくお願いします。

Posted by monolog at 20:37│Comments(4)TrackBack(0)

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この記事へのコメント
なんて言葉をかけてよいのか…(>へ<)

4年程前に初めて猫を保護して飼ったのです。
白くて美しい猫が家の横の公園のベンチに突然あらわれ1日中いたのでなんとなく連れて帰った。山田さんの影響もあったのです。
『シホ』と名付けた。
生まれて初めて飼う猫。もちろん嬉しかった、でもやたらと水を飲み、多量のオシッコをするし様子がおかしいので病院で検査したら重度の糖尿病でした。
そしてシホはたった1ヶ月で僕の目の前で息を引き取りました。

すごく悲しくて、泣きながら処分所に連れていきました、今でもその事が忘れられません。
それが僕と猫との始まりでした。

よく判ってなかったから嫌がるのに病院に連れていったりいろいろと検査だのしたから死期を早めたような気がした…。
俺が殺したようなものか?
あのまま野良猫だった方が幸せだったのか?
その死がトラウマになりました。
だから僕にとってはシホとの1ヶ月はまさに「夏の日の幻」なのです。

その後、残った餌を棄てるのも勿体ないからと通勤途中に出会う野良猫にあげていたらなついて後を着いてくる一匹がいた。
もう悲しい思いをするのは嫌だから飼いたくない気持ちと、と同時にどうしても『いろいろと確認したい』気持ちがあった。
だから悪いとは想いながらも誘拐してきた。

『シホの分も長生きしてくれよ』とそんな願いだけで飼いだした猫も『ぐりもう』と名付けられてもう3年も僕の横にいつもいてくれています。

もしシホと出会わなかったら…。
そして山田さんの音楽に出会ってなかったら…。
山田さんがポチと出会ってなかったら…。
そう考えると、いま僕がぐりもうと一緒に暮らすこともなかったはずです。

ポチに感謝。
もしシホに出逢ったときはよろしく。

なくしたものは永遠になりますね。
Posted by ドラム猫 at 2014年06月23日 09:12
ご冥福をお祈りします。
心中をお察しします…と言うもののそれはきっと勝手な想像でしかなくて。
傷みを理解できるなんて言えません。

でも、ポチは山田さんの生活はもちろん、山田さんの音楽や創作ににとってもミューズであって、歌の中や作品の中に時間を超えてこれからもずっと息づいてるんだと思います。

自分の話になりますが「猫がいた暮らし」を聴くと、ずいぶん前に家に居た黒猫のことを未だに想い出します。でもそれは哀しいとかではなくて、穏やかな場面とともにあって。
"喉を鳴らす黒猫は鰯雲の彼方に"や"夢の中で四季を駆け抜けてく"という歌詞にほっこりとした気持ちになって眺めるような感じです。
日々はどこまでも続きます。
weekend再現ライブも楽しみに待っています。
Posted by fran at 2014年06月23日 12:27
山田さんのブログ報告を読んで、胸がつかえるような圧迫されるような苦しさがヒシヒシと伝わってきました…。

私も今年の2月に13年一緒に暮らした愛猫のみどりちゃんと悲しいお別れをしました。

体調を崩してから毎日のように病院に通ったこと、他の元気なペットを羨んだこと…今も思い出します。

ポチは最後まで山田さんに大切にされて幸せな生涯を過ごしたと思います。
可愛がってもらって嬉しかったと思います。

気持ちもなかなか安定しない時期だと思います。
色々と淋しかったり後悔もあるかとも思います。
でも、ポチはずっと山田さんの心と共にあって、まだ49日も来てないからきっと同じ部屋にいて山田さんのことを思っているような気がします。

ポチが幸せだったにゃーって呟くのが聞こえるように思います。

ゆっくり元気になって下さい。
最後になりましたが、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

Posted by ひろみ at 2014年06月23日 15:26
今日、アゲインで悲しい知らせを聞きました。
山田さんに気の利いた言葉をかけることもできず、でていってしまいました。ごめんなさい。

今は心のままに居てくださいね。
Posted by sei at 2014年06月23日 22:45