2014年10月11日

秋の猫騒動 サード・シーズン(4)



メモリアルなライブがあるからといって猫は容赦してくれない。うちの猫になって1ヶ月と数日たったポチ実は時を選ばず猫らしく自由で、寝ようと思っても寝かせてくれない。一昨日庭先に一匹の猫があらわれた。その猫がうちに来たのは2度目、おそらくポチ実のお母さんなのではないかと予想している。顔、特に鼻まわりの感じがポチ実とてもよく似ているのだ。尻尾がすらっとしたとこも。ポチが病床に伏しているときに大きなオレンジ色の猫が悠々と塀の上を歩いていったことがあって、憔悴した僕もポチもその猫をただ眺めるしかなかったのだけど今思うとあいつは父親なのではないか。いろんな物語を想像した。

ポチ実は玄関に面した2階の窓際を快適な居場所と認識したのか、そこで窓の外を眺めながらすごす時間が多くなった。なので玄関の門のところから2階の窓に猫のシルエットが見えて、それはそれは可愛い。出かけるときは胸が苦しいし、帰ってきたときは胸が踊る。猫のいる暮らしはこういうふうに心に作用する。昨日の夕焼けはものすごくて、あんな色を見たのはもしかして生まれて始めてかもしれない。世界の終わりのようだった。僕はちょうど車で出かけていたので夕焼けを追いかけたが(しかしすぐに闇夜に)ポチ実もきっと窓からその燃えるような赤を眺めていたはずだ。

ポチがGOMES THE HITMAN「饒舌スタッカート」のジャケットを飾ったのが2001年。撮影は2000年だった。2001年の秋に僕の猫になって以降GOMES THE HITMANのアイコンは猫になった。21世紀になって書いた歌のなかに出てくる猫はだいたい全部ポチがモデルだが、いろんな古い歌も時を経て自分のなかで美しく変容していることに日々気付く。ポチは今晩のライブをどこかから見下ろしているだろうか。2007年以来のGOMES THE HITMANライブ、とても感慨深い。そして同時に今夜ライブが終わって家に帰ったらまた2階の窓にポチ実のシルエットが揺れていると思うとまた少し先の、あさってくらいの未来も楽しくなってくる。今日は今日でとても良い日になるだろう。明日からはまた新しい季節だ。

Posted by monolog at 10:10│Comments(0)TrackBack(0)

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