15年目の、7年ぶりのGOMES THE HITMAN(2014年10月11日 @ 吉祥寺 スターパインズカフェ)
メジャーデビュー15周年の年に7年ぶりの4人のGOMES THE HITMANライブがどうにか無事に終了しました。何から振り返ったらいいのか迷いますが、まず7年ぶりのライブに向けて最初のリハーサルをしたのが9月30日。ほぼ半日、都内の某ライブハウスを借りきって機材音響的にもストレスのない状態で最初の音を出しました。正直に言うと、この日のリハーサルのメンバー間の雰囲気と音楽の立ち上がり方次第で10月のライブをGOMES THE HITMANの一夜限りのお祭りにするか、新しい始まりにするかを決めようと思っていたのです。果たしてまさにその夜、僕は仮押さえにしてあった11月と12月のスケジュールに関して恵比寿switchへ決定の連絡をしたのです。7年間というのは、ただの空白ではない“時間”だったのだとその日思うことができました。
僕はここ数年自分のライブを迎えるときに過度に緊張することがほとんどなくなっていました。緊張感がないということではなくて楽しくてワクワクする気持ちのほうが勝る感覚。しかし今回のGOMES THE HITMANのライブが近づくほどにどんどんナーバスになってきて胃腸の調子が悪くなったり口内炎ができたりして、いつもと違うことに気がついた。そうだそうだ、いつもこんな感じだった。すなわちこれがバンド(GOMES THE HITMAN)で歌うということなんだなあ、と妙な感慨を持って当日の朝を迎えたのでした。会場はうちから10分の距離なのに1時間半前くらいには準備完了してしまってそわそわと浮足立つ僕を猫が不思議な顔で眺めていました(結局予定の入り時間より30分早くスターパインズのスタッフとともに会場入り)。不思議なことに会場入りと同時に僕の胃の痛みはなくなりました。
リハーサルを目いっぱい時間ギリギリまで。余裕を持って時間配分しているつもりでも気づくといつもあっという間に時が過ぎていく。スターパインズカフェのスタッフさんが2006年ワンマンのときの資料を引っ張りだしてきてくれたのだけど、僕はそのときのライブのことをほとんどなにも憶えていなかった。「手と手、影と影」がCMでずっと使われて『ripple』セールスがずっと横ばい持続したことを受けてレコ発ツアーを2年続けてやったときのツアーファイナルだった。自分のなかの記憶の空洞に驚くが、きっと多分そういう季節だったのだ。自宅から一番近いライブハウスなのでここ数年とても仲良くさせてもらってるが、2006年当時にお世話になった同じスタッフさんたちとこの日のライブを作れるということのありがたさを改めて感じる。グランドピアノを使ってライブができるというのもとても贅沢。僕はいつものMartinのアコギ、そしてシンライン(Fender Telecaster Thinline)という2000年代によく弾いていたギターを使用。サポートギターなしの4人編成では落ち着いたアコースティックライブをやることのほうが多かったし、アコギよりエレキを弾く割合のほうが多いというのもこれまであまりないことで、“懐かしい”という感覚よりも“新しい”という印象のほうが強い。昔やってたのと同じことをもう一回やるというよりも、今の自分たちのやり方で塗り替えてやり直す感じ。ああ、そうだ。ポチがいなくなって初めてのGOMES THE HITMANでもある。この日僕はジーンズの後ろのポケットにポチの形見が入った真鍮のカプセルを忍ばせていた。そして、いよいよ開演。
楽しいという感覚とはまた別のところで、やっぱりステージ上でも僕はここ数年のなかで一番緊張していて、固くて、年を重ねて経験値もアップして昔よりもっと余裕綽々で音楽を奏でられるだろうと思っていたのにひとつひとつをこなしていくのに必死で、練習してたことが本番でできなかったり、エフェクターを踏み間違ったり、息が上がってしまったり(GTH初期の歌を歌うときはいつもそうなる)、個人的にはいろいろあるのだけど、そんなこととは関係なしに客席からはとても熱心な眼差しと、嵐のような拍手と闇夜のような静寂とが寄せては返した。「そうそう、GOMES THE HITMANのライブはこんなふうだったよな」と僕の記憶をくすぐる。「アップダイク追記」という曲は年をとるごとにその歌詞が風合いを深めていく。「憧れがいつかは諦めに変わることぐらいわかっているつもり」と歌うのはまだ憧れたことを諦めていない証拠、「秋の夜に、まだ若い証」である。
続いて『weekend』の楽曲をまとめて演奏した。実はこのアルバムの性格を決定づけるのは(「ready for lab」をイントロとして)「お別れの手紙」から「train song」へ繋がる部分ではないかとここ数年思っていたから、その2曲を続けて演奏したときにアルバムリリースから15周年のけじめをつけられたような気がした。やはりバンドの演奏、僕の歌、そしてそこに乗る堀越コーラスというのがGOMES THE HITMANサウンドなのだなと実感。「街をゆく」で歌うのは「声をからして僕らは笑う/たとえばつまらない思い出話にも」というフレーズ。15年後に歌うことを想定して25歳の僕が綴ったのだ、きっと。デビュー前、大学時代から演奏していた曲もちゃんと21世紀にアップデートできた気がする。堀越和子、高橋結子、須藤俊明、この人たちのことを僕は18歳のときから知っているが、そんなメンバーで20数年たって声を合わせて満員御礼のステージで音楽を奏でられるというのはなんという幸せか。いつもは気づかないふりをしているけどこの日の120分間はずっとそのことを思っていました。
かといって急にメンバー間がぐっと仲良くなったり目に見えて一致団結したり面と向かって褒めあったり打ち上げで盛り上がって2軒目3軒目と一緒に飲みにいったりするようなことは全然なくて、やっぱりバンドって面倒くさいなあという感覚がまったく変わらないのも面白いところで、しかしこれまで15年、もっと言えば結成から21年やってきて多分もしかしたらバンドの空気感や演奏する感じや楽曲把握力などに関して今が一番いい状態なのではないか、ということに気付いてしまった。僕が2007年に出版マネージメントとの契約を(友好的とはいえない形で)終わらせてしまったこともあり、現在のゴメスにはレコード会社もプロダクションもディレクターもいないのだけど、GOMES THE HITMANがGOMES THE HITMANの曲を演奏することの意味はとても大きいと改めて感じました。
北海道から九州まで全国各地から、限られたチケットを手に入れたたくさんのお客さんが集まってくれたことに心から感謝を。そして古い友人、新しい友人、音楽仲間もたくさん。イトケンさんなどは親戚の晴れ舞台を見守るような感じで映像担当として開場前からいろいろ手伝ってくれたし、五十嵐くんや上野くんなど夜の科学オーケストラの面々もこのリユニオンを目撃することを熱望して観にきてくれたので、ソロのバンドの雰囲気もちょっと変わっていくかもしれない(ゴメスがそうなら山田バンドはこうだぞ、と)。ギターを手入れしてくれたハックルたけ兄にも感謝。ここに掲載したライブ中の写真を撮ってくれた田中和彦さんは『neon, storobe and flashlight』のブックレット写真も撮ってくれた方。映像を押さえてくれた吉野達哉さんも「tsubomi」「ストロボ」などPVを監督してくださった映像作家。お二方とも僕が映像制作会社でADをしていた頃からの付き合いになる。BMG時代、VAP時代のスタッフもたくさん勢揃い。そして師匠ともいうべき杉真理さんは最終リハーサルのスタジオに続いて僕らの姿を見守ってくれた。「山田くん、現役“感”あるね!」と言われて「今日からゴメスは“現役”ですから!」と答えました。ボランティアで集まってくれたたくさんの友人、スタッフの尽力がなければ成し得ないライブでした。そしてスターパインズカフェにもお世話になりました。そしてメンバー3人もありがとう。また次の機会に。