WOWOWの連続ドラマW「グーグーだって猫である」の第一回目を観た。放送が決まったときからとても楽しみにしていたやつだけど、素材が大島弓子「グーグー」、舞台が吉祥寺だというだけでもう満足していて、正直なところその内容に関しては過度の期待はしていなかった。しかし結局最初から最後までうるうると涙目で見入ってしまいました。すべてのロケ地がどこだかわかるというのもすごいが、吉祥寺をとても吉祥寺らしく撮ってある。音楽も素晴らしい。全4話、これからのストーリーにも期待。
「グーグーだって猫である」は愛猫サバを亡くすところから物語が始まるが、サバを深大寺動物霊園で荼毘に付すところでもう泣けて泣けてしょうがなかった。ここはポチが今年6月に旅立ったときに同じように呆然としながら僕が立ち尽くした三鷹の森の中にある霊園。愛猫サバの遺骨が収められた壷もポチのものと同じ形、同じ筆跡で名前が書かれていた。主人公が猫を亡くして次の猫に会うまでの時間をとても丁寧に描かれているのも印象的。井の頭公園の北入口にドナテロウズというお店があったときはあのへんに猫がわんさかいて楽しかったのだけど最近はそれほど猫を見かけない。それでも公園を歩くときに思い浮かぶのは失意の主人公の前にあらわれた映画版のグーグー、そしてこれからはこのドラマのなかの小さなグーグーと田中泯演じる老人になるだろう。
以前にも何度も書いたエピソードなのだけど、今からずいぶん前に大島弓子先生のお宅に僕宛の荷物が誤配送されるという出来事があった。それはある出版社から送られた保坂和志さんの新著で(大島先生は保坂さんの「猫に時間の流れる」文庫本に解説マンガを書いていらっしゃったし、僕は文藝2003年夏季号「保坂和志特集」に寄稿した経緯もありました)きっと武蔵野市方面への発送分が重なってくっついていたのだろう。大島先生はその荷物を間違って開けてしまった、とお詫びのお手紙とともに改めて僕に転送してくださった。「ちょっと猫がかじっちゃってごめんなさいね」と付け加えられたメモに僕は小さく感動したのでした。
その心遣いへのお礼と、おこがましくも「グーグー」や「綿の国星」などのファンであること、自分がミュージシャンであることを記して当時最新盤だった『ripple』をお送りして、またそのお返事に「午後のコーヒーの時間に聴いていますよ」という言葉もいただいたりした。「グーグー」の連載が大島先生の生存確認のすべのようなものだったので2011年にグーグーが亡くなって物語が終了したときはとても悲しかった。今も変わらず元気でいらっしゃるだろうか、と思ったら今月新刊が出ていることを知った。奇しくも中村佑介くんとのコラボ「
きららちゃん」の元となった「きらら」での連載をまとめたもの、「
キャットニップ」はグーグー亡き後の猫エッセイマンガの延長線。さっそく今日買ってこようと思います。
しばらく毎週末が待ち遠しい。
Posted by monolog at 09:43│
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