2018年01月30日

言葉の海からすくいあげた声で



先週末、巣巣に「柴田元幸 × おおはた雄一 × 扇谷一穂『タイムレス』 」というイベントを観にいった。前日のライブの、高橋徹也が小沢健二「昨日と今日」をカバーする場面で僕は「1993年に入学してオザケン大学で歌詞を書くことを学んだのだ」というようなことを話した翌日に柴田元幸さんの朗読を聞くという偶然(小沢健二は東大の柴田先生のゼミ出身)。東京外語大で英米文学を学んだ僕にとって柴田元幸さんというのは知を司る神様のような、言葉の通じない国の話を読ませてくれる人。柴田先生が編んだ教科書を使って勉強したし、ポール・オースターに胸をときめかせて20代から30代を過ごした。四半世紀過ぎてもその媒体(=media)としての存在は今も揺るぎがない。

以前柴田さんの朗読を聞いたのは数年前の下北沢B&Bで、柴崎友香さんと一緒にポール・ラファージという未知の作家の作品を題材にしたものだったが、そのときよりもこの日の朗読は、なんというか、もっと熱を帯びていて、身振り手振りも交えた身体と姿勢と声と沈黙、なんだかわからないがすごい物語を目ではなく耳で直接聞いてしまった…と思わされるような素晴らしいものだった。おおはたくんのギターと扇谷さんの歌(これもとても素敵だった)が朗読によってもたらされた発熱を静かになだめる鎮魂歌として作用しているようにすら感じました。しびれた。

終演後の打ち上げに混ぜてもらって、少しお話をさせていただいてとても幸せだった。件の“オザケン大学”の話も笑って聞いてくださって「小沢くんはあのときこう言っていた」とか「彼はこうだった」という印象的な言葉もいくつかあったし、「以前青いCDをもらったよね?」と覚えていていただいたことも嬉しかった。朗読するときにすべての言葉を大事に発語する必要がない、という旨のことを柴田さんがおっしゃったときにハッとした。これみよがしなやり方ではないのに、柴田さんの朗読が流れるように、時に蛇行するように自然と耳に伝わる理由はそこかと思った。歌も同じで、この子音と母音や接続詞はピアノからピアニッシモ、あんまり聞こえさせたくないと思うことがある。そのうち映画『パターソン』の話になって柴田さんも「あれはよかった」と絶賛されたので、また観たくてたまらなくなって、結局翌日の夜に渋谷で2度目の『パターソン』を観たのであった。感化されてばかりの一日でした。

去年の12月に大阪のスタンダードブックストア心斎橋で試みたポエトリーリーディングのイベントは予想以上の盛り上がりを見せてとても楽しいものになった。スタンダードブックストアの中川さんとも春に続編を、と約束していたのだけど、それが具現化して3月10日(土)のお昼に開催が決まりそうです(今詳細を詰めているところです)。前回がvol.0のテストだったとするならば、今回のがvo.1となります。この巣巣での体験がどのようなケミストリーを起こすのかが楽しみでもあり、奇しくもイベントのキーワードとなった『パターソン』のblu-rayが3月7日に発売になるというタイミング。何をやるかはまた前回同様ぎりぎりまで切磋琢磨すると思いますが、今回はみんなが声を出す機会を作れたらと思っています。イベントタイトルが「言葉の海に声を沈めて」になることは決定しました。もっと言えば、言葉が漂う海を両手のひらで掬って息を吹きかけるとそれが声になるようなイメージです。関西の皆さん、ぜひ3月10日はスタンダードブックストア心斎橋、3月11日は加古川チャッツワースへお越しください。詳細をお待ち下さい。

Posted by monolog at 09:45│Comments(0)