蔵前の街も一年経って少しお店が変わったりしていつも簡単に停められる駐車場が満車だったり、1年でいろんなことが少しずつ変わっていくのですね。それでも高野さん、久美子ちゃんと僕、NAOTスタッフと顔をあわせるとなんだかリラックスして焦らず急がず、親戚集まりみたいなゆるやかな気持ちになるから不思議。継続って素晴らしいな、と思う。4年前はどうだったっけ、という話。高野さんは25周年だったのが今は30周年になり、うちではポチが元気だった庭でポチ実が駆け回り、一昨年から加わった久美子ちゃんも時間の分だけ世界中のいろんなところへ行った。

リハーサルでは初めて演奏する歌を練習。高野さんにライブ直前にリクエストした「僕たちの花火」という僕と久美子ちゃんで2年がかりで作った歌、蔵前NAOTの窓から見上げた花火が書かせた曲。3人での演奏はうまく行きそうな予感。結局1回しか練習しなかったんじゃないかな。
満員御礼で開演、NAOT宮川さんの挨拶から高橋久美子オン・ステージ。その言葉と語り口で空気を変えてしまうからすごい。呼び込まれて、ここ最近よく一緒に奏でる「春」という詩を。彼女はドラマーなのでビートとともに朗読するとアクセントの付け方がとても面白くて、ラップのような歌のような独特な節回しが楽しい。高野さんとの即興セッションは今年も素晴らしかった。思えば高野さんと久美子ちゃんのセッションを新代田Feverで目撃した夜に僕は初めて高野さんに挨拶したのだった。それが5年前の話。


あたたかくて桜が咲き誇るような日だったので春の歌を歌おうと思って、「tsubomi」や「春のスケッチ」は僕の中では冬の最後の歌という感じがするから外した。自分がこれまで書いてきたなかで「桜」という単語が含まれる歌の少なさよ。「day after day」は“桜並木をひとり行く”歌。「スプリングフェア」は大学生のときに書いた古い曲、“桜の木の下でそっとうつむいて/闇を染める影を見つめているの?”と歌うが、これは梶井基次郎の『櫻の樹の下には』のデカダンスから引いたフレーズだったと思う(だから思い詰めた思春期の歌になっている)。「春のセオリー」はHARCOとの共作曲、大好きな歌なので春に僕が歌い継ごうと思う。
高野さんにひとつわがままを聞いてもらって、僕の新曲「セラヴィとレリビー」でのセッションを。まだ誰の音も重なったことのないこの歌を最初に高野さんと手合わせしたかったのだ。譜面には「春夏秋冬」と「Ah Ah」とだけ書き込んだのだけど、ギターとコーラスが入ってきたときにひとつ歌が昇華する感じがして感無量、また一緒に演奏したいと思いました。久美子ちゃんが加わって「僕たちの花火」は途中レリビー的な展開も飛び出したりして、会場の雰囲気はとても和やか。そのまま高野さんのステージに。

窓の外には隅田川が流れ、スカイツリーの光が揺れる水面を眺めながら歌を聴くと「ああ、去年もこんなふうに感動していた」と思い出す。高野さんはこの1年でリリースされた2つの新しいCDからの選曲も楽しく新鮮。ボブ・ディランの「時代は変わる」日本語カバーにも聴き入ってしまう。高野さんの新作『A-UN』はミュージシャンシップ溢れるとても風通しのよいレコードでした。30周年を迎えてなおもフレッシュなその姿勢に刺激を受けてばかり。
アンコールではまた3人になって、去年も演奏した「わたしのドライバー」。これも高橋久美子の詩をもとに僕が曲を付けた賑やかな曲。詩先で作曲する作業はとても面白い。この日はシンガロングするシーンが多くてお客さんの歌声が響いた夜でした。高野さんの「夢の中で会えるでしょう」で大団円。みんなニコニコしていました。NAOT TOKYO4周年おめでとうございます。各方面に枝葉を広げていくそのアイデアと挑戦にいつも刺激をいただいています。また奈良でも蔵前でも日本中のどこででも。そしてまた来年同じ場所で同じメンバーで集まりましょう。たくさんのご来場ありがとうございました。




