を執筆してくれた音楽評論家 宮子和眞さんしかいないと思った。20年以上にわたり我々を見守ってくれた宮子さんならではの文章をいただき、冒頭の文を真似して「宮子さんに、こういうのを書いてほしかったんですよ!」とお礼を言った。宮子さんはこの10余年、それぞれのソロ活動もきちんと追いかけてくれた。『新しい青の時代』を作った2013年には、完成直前の思い悩みスランプ状態のときに宮子さんの自宅オーディオルームで音源を爆音で試聴させてもらったこともあったなあと、いろんなことを思い出す。デビュー盤のときに、「洋楽みたいにライナーノーツが差し込まれてるCDにしたい」とわがままを言って宮子さんにお願いしたときから、20年の時が経ったのだ。感慨深い。
メンバーの4人は今頃きっと、こういうのがやりたかったんだよ、と思っているんじゃないだろうか。
アルバムの3曲目が終わり、そろそろバラード?と思っていると、違う。次の曲はバラードだろう?また違う。次の曲は?え?また違うの?というアルバム。GOMES THE HITMANの新作『memori』でバラードらしき曲が聴かれるのは、ラストから2曲目、その1曲だけだったりしている。そこで僕は思うのだ。こういうGOMES THE HITMANが聴きたかったんだよ、と。
14年前にレコーディング活動を休止する以前の彼らは、青春期からオトナへの階段を昇る青年そのままだった。“青春期”を言い換えるなら、バンド・サウンド。“オトナへの階段”は、シンガー・ソングライター的な佇まい。端的に言うと、山田稔明がオトナへの階段を昇り切った時に、バンドはその活動を休止せざるをえなくなった。
でも彼らは、オトナになった今でも、少年の心を忘れてはいなかった。少年性を取り戻すのではなく、いま現在の心持ちでかつての瑞々しさを表現できるようになった。『memori』の美しさや麗しさは、その点にこそあるのだ。
須藤のベースはかつてのレコーディングよりグンと前に出ているし、高橋のドラムスは無数のセッション活動の経験が存分に生かされている。堀越のアコーディオンが聞こえてくると、ちょっともう、涙腺が緩みそうになる。
メンバー4人の誰も、この14年の間はGOMES THE HITMANのような音楽を演奏していなかった。5年前にライヴ活動が再開され、以降は旧作の実り多いリイシューが進んだ。機が熟した時点で放たれる『memori』での躍動は、4人の清々しい想いがその輝きの背景にあることは間違いない。こういうのがやりたかったんだよ、という清々しい想いが。
宮子和眞