GOMES THE HITMAN『memori』コメント from 八野英史(b-flower)
僕が九州から上京したのは1992年。憧れの東京生活に浮き足立つ僕はFMラジオ番組「COLLAGE RADIO JAPAN」のチャート作成委員会というのに通った。洋邦のインディー音楽をたくさん聴ける貴重な機会で、僕はそこで多分b-flowerを初めて聴いた。翌年1993年にGOMES THE HITMANを結成する僕は大学2年生19歳で、その頃発売された『World's End Laundry〜メルカトルのための11行詩〜』のその詩世界は今自分がいる場所と地続きとは思えないほど儚くキラキラしていて、僕は熱心に耳を傾けたのです。それから20年以上経って、
「つまらない大人になってしまった」を再発見して、ボーカルの八野さんと知り合って、刺激しあえるということがとても幸せです。写真は初めて京都でお会いしたときの写真。八野さんがGOMES THE HITMAN『memori』にとても嬉しい感想をくれたので、僕はb-flowerの好きな10曲でプレイリストを作ってみました。
GOMES THE HITMAN『memori』発売によせて
2018年の八月、京都恵文社での『GOMES THE HITMAN × 山田稔明 × 高橋徹也リリース記念ライブ』にゲストとして呼んでいただき、僕はゴメスの皆さんと何曲か共演しました。慌ただしくも楽しいイベントが終わり、参加した打ち上げを途中退席する僕を山田くんが駐車場までお見送りしてくれました。
蒸し暑い京都の夜、駐車場までの道すがらいろんな話をしました。そのとき山田くんは「来年はGOMES THE HITMANのアルバムを作るんです。テーマはネオアコ。その辺のネオアコバンドがぎゃふんと言うようなのを作ってやろうと思ってて」と豪語してました。
山田くんはよく「他人の良い作品には嫉妬する」と言っているけど、僕も他のアーティストが良い作品を作ると「素晴らしい!」と思うと同時に「なんか悔しい…」となるタイプ。その夜、「それはいいねー、楽しみやわぁ」とか適当に返しながら、山田くんをはじめとするゴメスのメンバーの皆さんのことやから、きっと凄いの作っちゃうんだろうなと、まだ見ぬ作品に対してその時点で早くも“嫉妬予約”してしまう僕がそこに居ました。そしてその1年4ヶ月後、予約通り“聴くのが嫌になるほど(笑)”の作品が上がってきました。
僕と山田くんは10歳も年齢の差があるし、「ネオアコ」という独特のジャンルの捉え方にもジェネレーションギャップのようなものがあるかもだけど、この作品には音としても姿勢としても僕にネオアコやギタポを強く感じさせてくれる要素があります。ただ、そういうジャンルがどうこうという小さなスケールの話ではなく、これはもう2020年のポップスの王道だわね。誰よりも“歌”を書けるソングライターがそれに相応しいバンドと一丸になった上、さらにゲストミュージシャンをも巻き込んで2020年の日本に鳴らすべき音楽を鳴らしたと言うことか。その証拠に、世界的盛り上りを見せる日本の“City Pop”のジャンルのサブスクのプレイリストやFMラジオのAirplayにも引っ張りだことか(僕なんかがここで下手な推薦文を書かなくても、自然と多くの人に沁みていくのは間違いないです)。
14年ぶりのアルバムがここまでバンドとしてしっくりと一体感のあるサウンドに仕上がっているのは、山田くんもバンドの皆さんもずっと東京の街の空気の中で真摯に音を奏で続けてきたからなんだろうなと確信します。
さて…最後に、悔しいけど言わざるをえんか…。
「ぎゃふん」
b-flower 八野英史
Posted by monolog at 11:59│
Comments(1) │
蜂はお花のなかに、
お花はお庭のなかに、
お庭は土塀のなかに、
土塀は町のなかに、
町は日本のなかに、
日本は世界のなかに、
世界は神さまのなかに、
さうして、さうして、神さまは、
小ちやな蜂のなかに。
金子みすゞ 「蜂と神様」
b -flowerの10曲アップして下さり、ありがとうございます。懐かしさと、あぁb -flowerはもう最初から、何だか軽々しく近づいてはいけないような、触れてはいけないような神秘的な雰囲気を纏っていたんだと感嘆の気持ちでいっぱいになりました。
靄がかった印象派の絵画にも似たサウンド、雫がしたたるような叙情、青春のネガフィルム…悲しくなるくらい、良くて。
八野さんのイメージは、蜂野さん。そして「つまらない大人」ではなく「つまった子供」です。
動物園へ行こうよ♪ (永遠の59秒目)