2011年3月11日のことをこれから毎年思い出すのだろう。ちょっと外出して帰ってきた僕はテーブルの上にあったお茶を派手にこぼしてしまい「あーあ」と雑巾で床を拭いていて、そこに生まれて初めて体験する震度5が来た。だから地震のせいでコップが割れたりはしなかった。僕はいつものクセで本棚とテレビが倒れないように手を伸ばしたけど今回のは全然いつもと違う。猫は怯えて走りまわり納戸のほうへ、で、その納戸に屹立するCD棚からガチャガチャバキバキとCDやDVDやらが落ちる音が聞こえてきた。長い揺れの中で僕は猫のことだけが心配で散らばるプラスティックを掻き分けて、狭っこい隙間に頭を突っ込んで放心状態の猫をなでながら「大丈夫、大丈夫」と声をかけたのだけど、うちの猫のしっぽは興奮のせいで見たことないくらいふくらんでいました。
それから24時間ずっとニュースを眺めて、ほとんど眠れずに言葉にならないような感情を持て余しながら、たまに外の様子を伺いにいったり、電話が繋がるようになってからは親や友だちと連絡を取り合ったり。テレビに映される映像は圧倒的で事態はおさまることを知らず今の段階でも次から次にいろんなことが起こっているのだけども、ああ、自分になにができるのか、と考えるとあまりに無力で力なく立ち尽くしてしまう。
昨日の混沌とした夜に、ラジオから流れてきたビートルズの歌がとても胸にすっと入り込んできて感動して、“心に対する音楽の効用”というものを改めて再認識したのだけど、きっと自分も音楽を奏でて暮らしている人間として音楽でしか何かを成し得ない、のかもしれないという自問自答。
10年という時間は区切りではないのかもしれないが、やっぱり「10年が経った」と足元を確かめるのには必要な物差しだ。この数日いろんな特番を見たり、記事を読んだりして、改めてこの10年のなかの様々な出来事に思いを巡らせている。大切なのは想像力。いろいろ想像しながら考えている。
